トンネル・アプリ

文字数 1,991文字

 典型的な中年男の私は、一週間毎日四時間、メタバースの中で丸の内OLとして過ごした延べ二十八時間の率直な感想を聞かせてくれと言われたので、
「ゲーム、服や雑貨の買物、美容院とネイル、画廊巡り、映画、コンサート、工場見学、世界の名所観光、アバターとの会話、みたいな期待通りの内容と、保険の相談、新車の試乗、ピアノの練習、解剖挑戦、みたいな体験もできた。不当で差別的な扱いはなかったし、全てがスムーズだった」と答えると、向かいの椅子に座る友人で開発担当の加藤は、
「不満とか、要改善点はないか」と聞くので、「では率直に言う」と前置きし、
「綺麗すぎるな。仮想とはそういうものかもしれんが、結局はその場か現実で金を使わせるための空間だろ、そう思うと一日四時間でも五日目以降はうんざりだったよ。あとは食事かな、仮想の世界で注文して現実に戻ると配達されてくるやつな、服や雑貨はまだましだが、食事は仮想の世界でイメージしたやつと配達品のギャップがでかすぎるんだ」と正直な感想をぶつけた。加藤は、
「食べ物はその通りだな、長期的な課題だ。それと綺麗すぎるってやつだけどな、それは開発側にも問題意識はあるんだ。でだな、この「トンネル」というメタバース用アプリを開発したんだが、使ってみてくれないか」と言った。「トンネル?」と私が怪訝そうな顔をすると、加藤は、
「街を歩いてると、ここ何かな、って気になる建物とか場所あるだろ。メタバースの中でもな、そう言う場所を見つけたらこのアプリを起動して、その場所に入り込むトンネルを作るんだ。そこが家でも草原でも廃墟でも宇宙空間でも、AIが周囲のプログラム環境とユーザーの嗜好に合わせて違和感のない別の小さなメタバース空間を作って、トンネルからユーザーを導き入れるんだ」
「そこで何するんだ」と私が聞くと、加藤は、
「AIの作った世界次第だ。他のアバターがいるかもしれないし、イベントがあるかもしれない。ドラマ性を持たせたくてAIには現実世界を学習させたから、エロやグロ、凶暴性や残忍さ、綺麗だけではない世界も広がるはずだ」と言う。私は一時間だけやってみることにして、ゴーグルを装着した。
 綺麗ではない性能を試すには何がいいかと周囲を物色するとATMがあった。アプリを起動し「金が欲しい」とコマンドを打ち込み、トンネルからATMのメタバース世界に入ると、AIが「仮想通貨の名義を変更するか」と聞いてきた。「はい」と答えると、ブロックチェーンの末尾は変更され通貨の所有権は私に移った。一時間遊ぶ予算を確保したので街に繰り出そうとすると、名義変更の影響でプログラムが歪んだのか、出口がない。ATM内の壁に向かい「出口が欲しい」とトンネルを開けると、工務店の親父が出てきて扉を作ってくれた。さてどんな綺麗でない世界が待っているのかと外に出ると、目前はAV専用映画館だった。
 職場の目や家族の手前、現実世界でAVを見たい欲求を長く制御していた私は、トンネルを開け作品リストに接触し「クライマックス部分だけ編集してダウンロードしたい」とコマンドを打ち、編集されたオリジナルAVのブロックチェーンの名義を私にしてダウンロードした。だがまたしても出口がなくなり、どうやらこのトンネルアプリのバグなのか、ブロックチェーンの不用意な変更で出口は消えるようだ。
 再度扉を作らせた工務店に報酬を送金するとATMで調達した資金は底を突き、気晴らしにロックでも聴こうと80sバーに入った。バーは八〇年代をロックに捧げたおっさんらが、実社会でOLに相手にされない心の傷をアバターに託して癒している証左だろう、丸の内OLのアバターで溢れていた。久しぶりのロックを楽しんでいると一人馴れ馴れしく接してくる丸の内OLのアバターがいるので軽くあしらっていると、
「また悪いことすると出られなくなりますよ」と言う。「誰だ?」と聞くと「工務店です」と言う。工務店のアバターがなぜ丸の内OLのアバターになってるのか聞くと、
「このバーは俺が作ったメタバースの中のメタバースだからな」と言う。OLの声だが聞き覚えのある口調に、「加藤か?」と聞くと丸の内OLは「そうだ」と答え、「トンネルアプリのバグを工務店のオヤジとして修復していた」と言う。
 メタバースの中とはいえ、加藤に悪事を見られ尻拭いまでされた私は恥ずかしさもあり、恥を認めたくないプライドも顔を覗かせ、ふと加藤の丸の内OLアバターに向けてトンネルアプリを起動し「見なかったことにしてくれ」とコマンドを打った。すると視界は暗転し「END」のメッセージが流れ、視界が戻ると元の世界で向かいの椅子にいた加藤の姿はなく、椅子の上には加藤の服だけが無造作に人型に残っていた。これは現実じゃなくてメタバースだよな、と思いながら私は恐る恐るゴーグルを外した。
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