スパイス

文字数 943文字

 彼女は、とても幸せそうにご飯を食べる。
 見ているこちらまで、うれしくなってしまう。

「おいしいねー」

 食べることが好きなくせにボキャブラリーは貧困で、彼女が「おいしいねー」以外の感想を述べたのを僕は聞いたことがない。
 ただ、その笑顔にすべてがつまっていて、言葉などでは言い表せない幸せが伝わってくる。

 そんな彼女と一緒に食事をとれるようになったのは最近のことだ。
 それまで彼女は、人前で食事ができなかったのだ。
 家族や一部の友人の前なら大丈夫だったが、僕の前で食事ができるようになったのは付き合って半年も過ぎてからだった。
 原因は元夫。

 彼女の食事姿を見て「お前を見ていると胃がもたれる」などと毎日のように言っていたらしい。
 さらにキツイ言い方もしていたようだが、彼女の口から無理に聞く気にはなれなかった。
 
「こないだの中華屋さんと、ここだとどっちが美味しいの?」

「どっちも、おいしー」

 ほんの少しだけ考えた後、彼女が答える。
 いつも通りの答えと、いつも通りの笑顔。
 彼女につられていつもより多めに食べてしまう僕も、いつも通りだ。

 空腹は最高の調味料というが、言葉もきっと大切なスパイスなのだ。
 その一言が、相手を傷つけ、味覚すら失くしてしまう。
 実際彼女は、元夫との食事では炭を食べてるようだったという。
 
 人間は単純なのだ。
 一言で傷ついてしまう。
 人間は繊細なのだ。
 傷つくと、楽しいことすら苦痛になる。

 さすがに苦しくなってスプーンをもてあそんでいると、彼女が笑う。

「やっぱり多かったじゃない」

「京子につられたんだよ」

 すぐ私のせいにすると彼女が頬をふくらます。
 丸顔の彼女は、よけいに丸くなった顔で、また笑った。

「最近食べ過ぎで、ちょこっと太ったかもー」

 彼女はそう言うが、顔以外は細いのだ。
 痩せの大食いというのか、華奢ですらある。
 顔のわりに胸がないという悩みを聞いて、笑ってしまったことがあった。
 女性にとっては、なかなか根深い悩みだそうなのだが。

「でねー。そのせいかちょこっと……おっぱい、大きくなったかもー」

 後半の部分を小声で言いながら、彼女は悪戯っぽい顔をする。

「このあと、うちくる?」
 
 僕が残った皿を、素早く平らげるのを見て彼女が笑う。
 
 人間は単純なのだ。
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