第1話

文字数 1,197文字

 イエス様は「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある」と言われた。
 聖書は神様の言葉を集めた書物だから、聖書を読むことは、神の言葉をいただくこと。
 聖書を読むことをさぼると、ごはんを食べなかったみたいに力を失っていく。

 洗礼を受けて早や二十年。 
 その時から聖書はずっと私の傍にあり、生活の一部として溶け込んでいる。
 当たり前のように聖書を手にしているけれど、時折、その重さについて考える。
 神の言葉をいただいているという事実を、私はわかっているのだろうか、と。
 本当の本当にそのことをわかったら、ぶっ倒れてしまいそうだ。  


 愛が溢れる時―それは神様から注がれるものだけど―その気持ちをほかに表現できない私は、聖書に文字通り口づけする。

 悲しみを抱えて肩を落とすような時、御言葉の上に涙を落とす。 
 涙は吸い込まれ、乾いた頃には私の歩みみたいにボコボコとした跡が残る。

 魂に靄がかかるような時、私の中の何かが聖書を手に取るように促し、御言葉を示す。
 両刃の剣よりも鋭く、あらゆるものを切り離し、刺し通して思いを見分けてしまう神の言葉の前に、色々な言い訳と誤魔化しは取り除かれる。  
 その過程は苦しいけど、本当の自由と喜び、平安をもたらす。
 そして「蜜よりも甘い教え」という言葉の意味を知る。

 聖書の一節に「神の言葉は生きていて」とあるが、それは本当だと思う。
 ただの文字ではない。
 食べるようにして私の中に入ってきた御言葉は、内側で動き出す。
 すぐな時もあれば、ずっと時間が経ってからのこともある。
 知らなかったことを教え、正しいことに気付かせ、
 認めたくなかったことを悔い改めさせ、足枷となっていた思いから解き放ち、
 暗くなった心に希望を与える。  
 冷え切った感情に血を通わせ、進めなくなっていた足を前へと動かす。
 心に新しい風が通っていくように。
 いのちの泉が湧き出るみたいに。    
 
 見えることよりも、見えないところで起こっている変化の方がずっと大きく、驚くべきことかもしれない。
 周りの景色は何も変わっていないのに、何もかもが変わってしまう。  
 私を変えてしまう、神の言葉の力。  


 もう読んだところなのに、書かれていることは同じなのに、読む度に新しい。
 いつも新しい。生きている神の言葉。
 神の言葉は廃れない。本当に廃れていない。何千年経った今も。
 日々の生活を照らす一方で、人類の歴史と今後起こることまで教えてくれる。
 つくづく不思議な書物だと思う。

 聖書は、神様が私たちにプレゼントしてくれたもの。
 道に迷わないように。ひとりだと思わないように。
 なんの望みもないと絶望しないように。   

 本当に必要なものを教えてくれるために。

 聖書は、神を示してくれる。  
 善いお方で、聖くて、愛なるお方だと。

 だから聖書が好き。
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