第1話

文字数 1,022文字

 よるとひるが逆になった生活を続けて半年。
 暗い気持ちになることもまだ度々あるが、暗い海の底に沈みそうになったときは、僕は狭いワンルームの隅で丸まっているものに手を伸ばす。
「うにゃ」
 相棒はつれない反応を示し、さらに体を丸め小さくなる。
 僕はそこへ近づき、そのもふもふに鼻先をうずめる。
 春の温かい陽で乾かされたさらさらの土のような匂いがした。

 もふもふを拾ったのは三か月前。
 会社を辞めて、転職活動したがダメで、引きこもって三か月が経とうとしていた頃だ。
 新卒で入った会社で上司にいじめられた。その上司もさらに上の上司にいじめられていた。
 だから自分のしていることを悪いこととは全く考えていないようだった。
 我慢して我慢して三年勤めた会社を辞めた。若いやつはすぐに辞める。世間にそう思われたくないため、三年我慢した。
 しかし、次の仕事は見つからなかった。我慢はスキルとして認められないようだ(当たり前だ)。
 結果、望んだような仕事、前よりマシな仕事には就けなかった。いい大学を出てなければ、またブラックに飛び込むしかないのか。
 バカらしくて投げ出してしまった。
 日中をだらだらと過ごし、夜は熟睡できず、出かけるのはコンビニだけだった。
 ある小雨の降る真夜中、コンビニからの帰り道で小さなビルの陰で立ち尽くしていた猫と出会った。
 奴はやぶにらみで空を見上げていた。
「一人か?」
 何も言わない。ちょっとは鳴け。
「俺もだ」
「ふにゃん」
 でかい図体でふてぶてしいのに、声はかわいらしい。
「雨、もっとひどくなるぞ」
「・・・」
 まただんまりか。
「行くとこないのか?」
「にゃん」
 おっ、いい返事。
「うち、来るか?」
「にゃあ~ん」
 初めて太い声ではっきりと鳴いた。
 猫に近づくと、奴はこっちをはっきりと見返してきた。手を伸ばしても逃げない。雨粒は大きくなりどんどん増えている。
 僕は小さな雨粒を長めの体毛にびっしりとまとった茶トラの猫を抱えて、古いマンションまで駆けた。

 鼻先だけでなく、のの字に丸まったタツオの作った空間にさらに顔をうずめていくと、奴は「にゃあ~」と不機嫌な声を出して、伸びをすると同時に僕の顔を押しのけた。
 自分が甘えたいときは、こっちが寝てても何をしててもお構いなしのくせに。
「わがままな奴」
 そうつぶやくと、タツオはのっそりと立ち上がり五、六歩あるき、またゴロンと横になった。
 わがままでかわいい奴だ。
 タツオは弱ったいまの僕の命綱。
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