第1話

文字数 1,995文字

「お、おかえりー塁!」
 球場から帰ってきた俺の背中に、ぎこちない声がかけられた。
「……夏帆」
 俺は中途半端にドアを開けたまま、振り返りながら隣に住む幼なじみの名前を呼ぶ。
「午後の暑い中、おつかれ。試合、その……、残念だったね」
「……ああ」
 俺の短い返事に、夏帆は気まずそうに視線をさまよわせる。
「えっと、そう! 今朝試合に行く前に早起きして、カップケーキ作ったんだ! 塁が帰ってきたら渡そうと思って」
「……いらねえよ、そんなもの」
「まあまあ、そんなこと言わずに!」
 そう言って丁寧にラッピングされたカップケーキを押しつけられ、俺は仕方なく受け取った。
「め、めちゃくちゃ緊迫した試合だったよねー。さすが県予選決勝! まさに、手に汗握る試合だった!」
「……」
「かっこよかったよ、先制タイムリー! 打ててよかったね! 毎晩素振り、がんばって――」
「でも、俺のせいで負けたんだよ! 俺が、あの打球を捕れなかったせいで……っ!」
 突然俺が声を荒らげたのに驚いた夏帆が、ビクッと肩を震わせた。
 こぶしを握り締めて、歯を食いしばって、俺はいらだちを抑えようとふーっふーっと肩で息をする。
「……もう、ほっといてくれ」
 それだけ低い声で絞り出して、俺は家のドアを乱暴に閉めた。

 部屋に入った俺は、電気もつけずにバッグをどさっと置いて、壁にもたれてずるずるとしゃがみこんだ。
 高校生になって、二度目の夏。
 俺はこの夏を、グラウンドで迎えた。
 俺の通う明電高校は県内で一、二位を争う強豪校。県予選を順調に勝ち進み、今日、決勝戦が行われた。
 点の取り合いが激しく、本当に緊迫した試合だった。
 七対七で迎えた九回の表、ツーアウト二・三塁、フルカウント。
 打たれた打球は、まっすぐに俺の少し右へと飛んできた。
 捕れる、と思って出したグローブは空を切った――だけならまだよかった。
 グローブの端に当たった打球は変に軌道を変え、外野の間を抜けていった。
 二点、勝ち越されたんだ。俺のせいで。
 その二点の差を詰められず、明電高校は予選敗退となった。
 あの時もう少し右にいれば、あと少し腕を伸ばしていれば、もっと早く反応していれば、勝てたかもしれない。
 自分の実力不足に、腹が立つ。
「くっそ……!」
 俺は膝に顔をうずめて、ぎりぎりと歯を食いしばった。

 どれくらいの間、そうしていただろうか。
 いつの間にか部屋は真っ暗になっていて、月明かりを頼りに俺は部屋の電気をつけた。
「……あ」
 目に入ったのは、夏帆の作ったカップケーキ。
 きれいにされていた包装は、少し崩れてしまっている。
 食べ物を見たからか、さっきまで感じなかった空腹が急に襲ってきた。
「……食うか」
 野球ボールの飾りを外し、リボンをほどいて、カップケーキを取り出す。
「……っ!」
 俺がカップケーキを見て、驚きに目を見開いたその時。
 コンコンと窓をノックする音が聞こえて、俺ははっと我に返った。
 窓を開けると、申し訳なさそうな顔をした夏帆が。
「久しぶりだな、こうやって窓から話すの」
「そうだね。……あの、ごめんね、塁。試合から帰ってきたばっかで、あの言葉は無神経だった」
「いや。俺の方こそ、突然大声出してごめん。……腹が立ってたんだ、俺の無力さに。それであんな、八つ当たり……」
 うなだれる俺の耳に、夏帆の静かな声が入ってくる。
「大丈夫。塁は、二度と同じミスをしない。ダメなところは、努力して徹底的に直していく。それが塁のスタイル。でしょ? 今までそうやって頑張ってきた塁を、私は知ってるよ」
 その言葉で感情が決壊しそうになった俺は、それをごまかすように、手に持っていたカップケーキにかぶりついた。
「……しょっぺえよ」
「えー、嘘だぁ。私さすがに砂糖と塩は間違え――。そうだね、間違えたかも」
 うつむく俺の上から、夏帆の優しい声が降ってくる。
「あーあー、こんなに汗かいて。タオルあげるから、ちゃんと拭きなよ」
 そう言って夏帆は、俺の頭にバサッとタオルをかけた。
 自分の力不足が悔しい。自分が先輩たちの夏を終わらせてしまったことが悔しい。甲子園に行けなかったことが、悔しい。
 ぐすっぐすっと鼻をすする音だけが、夜の住宅街に響く。
「……悪い。タオル、洗って返す」
 ふーっと息を吐いて、俺は気持ちを落ち着けた。
「大丈夫?」
「ああ」
「よかった」
 ほっとした表情の夏帆に、俺は小さく笑顔を返す。
「なあ、夏帆。カップケーキに書いてあった文字って――」
「あーっ、ごめんね! わたし、勝つとしか思ってなくて!」
 そう。カップケーキにはチョコペンで、『おめでとう』と書かれていたんだ。
「来年は、『お疲れさま』とかにします……」
「いや、そのままでいい」
「え?」
「来年こそは、ちゃんと勝つから」
 俺の言葉に、夏帆がうれしそうに顔をほころばせる。
「もうあまじょっぱいカップケーキはごめんだし、な」
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