第1話

文字数 6,659文字

「うちが死ねって言ったら、あなたは死ぬん?」
「うん。死ぬ」
「じゃあ、うちと一緒に死んでって言ったら」
「死なへん。ノーです」

(1)

「これって、うちのこと好きってことかな」
「知らんわ……」
クラスメイトの京子(きょうこ)に相談してみた喜村香梨(きむら かり)である。昨日の放課後、文化祭の立看板を、中田太刀夫(なかた たちお)と二人で作っていたときのこと。
あまりに彼が自分の言うことを聞きすぎるので、香梨はからかい半分に言ってみたのだ。
「なんかうち、女王様みたいになってへん?」
「えーねん。それが」
「ドMなん……? 中田くんって」
「S。ほんまは」
木板に刷毛で塗料を塗りながら、こちらに背を向けたまま彼はそんなことを答えた。
「うちの前やとMなんや?」
何だか、自分の言葉もあやしく感じながら、香梨は二人きりの教室の空気を肌で感じ始めた。
彼が、刷毛を止めて、背筋を伸ばした。
ぼそっと答える。
「そうかも……」
それに、香梨は笑って過ごすしかなかった。
「何でも言うこと聞く。基本的には」
「誰の言うことでも聞くんやね」
「いや。喜村さんの言うことだけ」
ちょっと笑ってから聞こえたそれに、香梨は聞き返せなかった。
なんで。とは。
「みゃくありですかね」
香梨は、今にたち戻り、目の前の友人に聞く。
「その後のおまえらのやり取りがようわからん……」
「死ぬか死なないかの話?」
「それ。なんでいきなりそんなこと聞いたん」
「最上の愛やと、思うからです」
「変態やわ。おまえ」
「そうかな。うちのために死ねんかったら最上ちゃうやん」
「病んでるわ、おまえ……」
病んでる。
それは、逃げの言葉だと思う。
死ねないより、死ねた方が良いと思う。
「それが病んでんねん……」
「心の声見られた……」

(2)

気まずい空気は、今日も漂う。放課後、二人きり。香梨は椅子に座って足を組み、その目下で中田は刷毛を動かしていた。昨日は半分塗り終わったので、今日で仕上がりそうだった。
「喜村さん」
中田が振り向いて聞いた。
「喜村さんは、なんかせーへんの?」
「うちは中田くんがちゃんとやってるか見てる」
「見張り……?」
「うん……」
香梨は腕も組む。笑って返したが、もはや意識しまくっていた。好きかどうかも定まらぬまま、緊張だけが全身を支配していた。
「まあ、いーねんけど……」
中田も、笑っていた。
「ええんや……」
と、心の声が香梨からもれた。
しまったと思った直後に、中田が言う。
「なんか、悪くないというか。心地いいというか。変やねんけど」
「ドMや」
自分の口、閉じろ。香梨の平静さは形骸化している。
「なんか。がんばれる」
そう言って、中田は刷毛を進めた。
普通の男子だ。特別格好いいわけでもない。運動神経もたぶん中の下。クラスで目立つ人でもない。平凡な彼の背中を、香梨は見ていられなかった。
「良い人やねん。中田くんは」
次の日の、京子への報告であった。

(3)
良い人、中田から目を離せない毎日だった。授業中でもちらちらと気にしてしまう。声が聞こえようものなら耳を大にする。
昼食の時間は、中田がいつも食べるグループが良く見えるように机の向きを変えていた。
「なんでそんな分かりやすく恋できんの……?」
中田のグループとの仕切りのような存在で、香梨の目の前には京子がいた。
最初は面白がっていた京子だったが、したたかな香梨にもはやひいている。
「何がそんなに好きなんやろ……」
言い出したのは、弁当を広げたまま箸でつつくだけの香梨であった。
「もう怖すぎるわ……おまえ」
京子にしてみればもはやミステリーだった。言葉と行動が合ってない。越えて、ホラーだ。
「好きやから見てんちゃうんかい」
「好きなんやろうけど、なんで好きかって話」
中田は、別に香梨のタイプではない。顔もふつーだ。優しいは優しいが、家に帰ればお父さんだって優しい。
「お父さんを話に混ぜんな……」
「優しいから好きなんやないってことが言いたい」
心の声。京子には丸見えらしかった。
「死ねるから好きなんちゃうの? おまえの考え方でいくと」
京子が、例の話を持ち出す。
「最上なんやろ? おまえにとって、男ってのはそれが」
「そうですね」
否定しない。本当にそう思っているから香梨は否定しなかった。中田は自分のためなら死ぬ。そう言った。
唐揚げを、ようやく口に運び、ちらと中田を見た。控えめに、友人たちの輪に、彼はいた。
「おまえ」
京子が、釘を刺すように冗談を言ってきた。
「試してみようなんて思うなよ?」
「試す……?」
本当に、中田が自分のために死んでくれるかどうか?
それは、馬鹿馬鹿しい。
「死んでしもーたら、意味ないやん」



告白したつもりはなかったが、告白したような感じになってしまっている、気がした。
なんか、最近、喜村さんからの視線が多い気が……。
人は、そこまで分かりやすく恋するものか。
太刀夫は弁当を食べながら、ちらちらと気になる彼女からの視線に気づかない振りをした。
何でも言うこと聞く。は、まずかったか。
好きだと言ったようなものである。
口が滑ったとも言えるし、雰囲気に流されたとも言えるし、本音が出た、当たり前に口をついた、色々と思える。
本心だ。死ねと言われれば死ねる。そこに、確かな意味があるのなら。
自分が死ぬことで、彼女に何か利益があるのなら。
嘘じゃない。
信じてほしいけれど。これだけは、いくら言葉にしても、たぶん、伝わらない。
目の前に入る彼女に、伝えたかった。この心の中、全部。
そして、こちらが目線をやると、彼女はうつむいて何か食べた。見てませんよー。な感じで。

(4)

文化祭の賑わいを他所に、教室から必要な物資を運び出す。のは、ほぼ太刀夫がやった。
香梨は、「ありがとう」と言うでもない。ただ、それを見ていただけ。
そして、外で反響のクラス屋台。その追加の材料を、教室で、文化祭委員の二人、太刀夫と香梨で仕込む。
ラーメン屋台。ナルトの輪切りを黙々と。
「行ってきてもええよ」
太刀夫は、外の賑やかさを遠くに思いながら、机を合わせた目の前で包丁を進める彼女に言った。友達と、もっと文化祭を楽しみたい、はずであるから。
「大丈夫」
彼女は顔を上げずに答えた。
なら、いいけど。太刀夫は思う。気まずさには似ているが、緊張感もあるが、文化祭までの二人きりの時間と同じ、どこか、温かさ、安心感を覚えた。
「喜村さんてさ。卒業したらどうすんの?」
「ん?」
と、ようやく彼女が顔を上げた。
「大学行くよ」
「へぇ。俺は専門行くよ。広島のだけど」
「広島? なんで?」
彼女の手が、止まっていた。寂しいのかな、と思った。
「ばーちゃんちに住んで通うねん。ばーちゃん腰悪くて」
「そうなんや……」
落ち込む姿が、あからさまだった。そんなに、好きでいてくれているのだろうか。
「喜村さんは? どこの大学?」
ぽつりと彼女が答えたのは、地元の大学だった。
「じゃあ、夏休みとか、会えるね」
太刀夫は、言った。恥ずかしいことだとは思わなかった。また、口をついて出る。気持ちの前で、言葉は素直だった。
「どうやろな」
意外な言葉が、彼女から出た。
「大学生って、たぶん忙しいし」
彼女は、再びナルトを切り始めた。
しゃべりかけても、どこか、心が他所を向いて、太刀夫には思えた。

(5)

彼女の言うことなら、何でも聞く。そこに偽りはない。だが、言ってくれなければ、聞けないではないか。
太刀夫は、アホだと思った。
受ければ受かったはずの専門学校に行くのをやめ、香梨と同じ大学を受験した。
でも、落ちた。香梨は、合格した。
家族にも、先生にも、嘘ばかりついて、説得して、呆れられて、高い学費をあがなうために始めるバイト三昧の日々を覚悟して受けた受験に失敗。
そして、香梨とは、文化祭での教室の会話以降、話せていなかった。避けられている、ように感じ、いや、避けられていた。
きっと、自分が遠くに行ってしまうから、好きじゃなくなった、恋愛対象外になった。そう思った。
「来年、またがんばるわ」
母に言った台詞も、空しい。追いかけるようにして、また受験。合格したとしても、香梨が喜んでくれるのか。その時にはもう、誰かと付き合っているかもしれない。
言われなかったから、勝手に、捨てた。彼女の、望まなそうなものを。
正しかったのかも、今ではわからない。
勝手に捨てて、何も残ってない。
間違いだったようにしか、思えなくなっていた。
受験を終えて、張りつめた空気を抜けた香梨が、楽しげに友達と笑い声を上げているのを、太刀夫は、教室の自分の席で、聞いた。

(6)

卒業アルバムの写真構成。早くに受験を終えた香梨と、早くに受験を諦めた太刀夫がやることになった。文化祭の委員二人というのも選ばれた大きな理由だった。
教室で、また二人居残りで写真を選んだ。
話すのは、本当に数ヵ月ぶりだった。
何事もなかったかのように、会話する。
「去年の文化祭は外し難いね」
そう言ったのは、その写真を手にした香梨だった。
「うん……」
意外に思った。
太刀夫は、気分が少し明るくなった。悪い思い出じゃ、ないんだ。
「看板作りも大変やったよね、あのとき」
感慨深そうに、労力を今も感じているかのように言う彼女に、呆れた。
「あれ、ほぼ俺がやったんですけど……」
「んん? 覚えてない」
「んん……」
「うちもペンキ塗った。横棒のとこ」
「そうね……」
ラーメンの“ラ”の書き始めのところだけだった。思い返して、笑った。二人とも、共通のこととして覚えていた。
『うち、細かい作業苦手……』
『そこまで細かくないけどね……』
『じゃあ、中田くんやってや』
『“ラ”ぐらい、最後までやったら……?』
『無理。ここの棒で限界』
『横棒引いただけやん……』
嬉しかった。しっかりと、鮮明に。彼女は覚えている。
「じゃ、これ貼ってって」
「はい……」
あの頃を思い出して、太刀夫は従った。構成、レイアウトは任せる。私は、写真を選ぶ。という流れだった。
何でも、言うことを聞く。
それが、やっぱり嬉しかった。懐かしくもあり、感覚は、今も通ずる。
好きだった。喜村香梨の、ことが。
目の前で、机を合わせて向かう彼女。きっと、もう側にはいられない。ここから先は。
「喜村さん、受かったんやってね」
何気なく、でも言いたくて、太刀夫は言った。
「うん」
「おめでとう」
「中田くんは、落ちたんやろ?」
「知ってたんや?」
「うん、誰かから聞いた」
誰から聞いたのか、誰かに聞いてくれたのかよくわからないが、知ってくれていた。
「残念やったね……」
「うん、まあ……。俺、頭悪いから」
専門学校をやめた理由は、聞かないのだろうか。
「来年も受けんの?」
写真を手に取ったりしながら、彼女が聞いた。
「うん。受けるわ」
嘘だ。まだ、気持ちは何も定まっていないのに。彼女の前にいると、自分が変になる。素直なんじゃない。自分は、伝えたいだけなのだ。
好きだという、この胸の気持ちを。それが、自分でも狙っていない言葉として出る。
「そうなんや」
嬉しそうでも、嫌そうでもない。ただ、彼女は写真を選び続ける。興味が、全く無さそうでも、ない。
「どうやったら、受かるかな」
「さあ、うちは推薦やから……」
と、彼女は少し笑っていた。
「でも、一年ちゃんと勉強してたら普通に入れるよ。たぶんやけど」
「アホでもいけます?」
「中田くん、そんな成績悪くないやろ?」
「んん……悪い」
「そうなん?」
がんばって、一年ちゃんと勉強しろ。そう言って欲しかった。自分は、彼女の言葉を待っている。そう言ってくれれば、何だってできる気がした。
「喜村さんはさ。何でそこ受けたん?」
話が盛り下がってきたので、太刀夫は話した。
「うちは……福祉の勉強したかったから」
「ふうん……」
そして、聞いてこない。なぜ、こちらがそこを受けるのかを。
普通なら続くやり取りがなかった。
やっぱり伝わっていた。文化祭準備の時の告白めいたものは。
好きだと、彼女はわかっている。
そりゃ、そうだ。
それだけのことを、言ったのだから。
「俺も、福祉の仕事やりたいなと思って」
嘘だ。親や担任まで欺いた、使い古した嘘。
「大変やで。福祉って」
香梨にたしなめられる。簡単になど、言ってない。思い、深く、別なもので言っている。
「うん。でも、やる」
嘘だ。気に入られたい思い少々、でも本当は、彼女の側にいたいだけだ。
ふうん、と深くは聞いてこない。
がんばって、とも言わない。
会話は、流れた。
先生の話題や、クラスメイトの受験状況。
話せているだけでも。幸せか。
「聞いたけど。中田くんって、ドMなん?」
「んん……?」
会話の最中に突如、現れた言葉だった。しかもおかしい。誰かに聞いたはずはなかった。言ったのは、あの時の、香梨だけだった。
何でも言うこと聞きます。あなたの為なら。
すっとぼけて、忘れたふりで聞いてくれてるなら、助かる。
「何でも言うこと聞くよ」
また、こんなことを言うとは思わなかった。
「喜村さんの言うことなら」
「ふうん……じゃあ」
前回と、返しが違う。乗せられていることに気づいたのは、もう少し後のことだった。
「うちと一緒に死んでってお願いしたら?」
「死ぬよ」
前回と違う回答をしたような気がした。気持ちが変わったわけではない。何と問われようと、気持ちは一緒だ。
「喜村さんが、俺と死んで得することがあるんなら」
「うちが得するなら死ねるん?」
彼女は、手にした写真片手に、こちらを見つめていた。目が、鹿みたいに潤んでいた。
「中田くんにとって、損でも?」
「損ちゃうて。喜村さんが得なら俺も得やし」
これは言い過ぎた。君が良いなら全部いい、なんてことはたぶんない。気持ちが、高ぶり過ぎた。
「前」
香梨が、ついに過去を引っ張り出した。
「ちゃうこと言うてへんかった?」
痛いところを突かれた気はしたが、自分が彼女に嘘をつくはずはなかった。今も、あの時も。
返答に困り、思い返した。
すると、今は有って、あの時無かったものがあったと気づく。
言葉で説明できるかなと、頭で整理した。
つまりは、
「喜村さんが俺のこと何とも思ってへんのやったら一緒に死ぬより、喜村さんが生きられるように支えたいし、喜村さんが俺のこと少しは大事にしてくれてんのやったら俺の死も喜村さんが死ぬのに役立つかなって……」
伝わっている気がしなかった。
「ふうん……」
と、少し分かったような顔をする彼女だったが、絶対伝わっていない、と思った。
「要するに……」
いろんな言葉を並べ立てて、何だか恥ずかしくなっていた。
こう言った方が分かりやすい。
「喜村さんが俺のこと何とも思ってへんのやったら死なれへん時もあるし、俺のこと好きなんやったら、喜村さんのこと全部考えて、納得できたら俺は死ぬよって話」
「わかりづらい……」
顔をしかめる、香梨、であった。
「死ぬ場合と死なへん場合の違いがわからん」
真正面に言われて、太刀夫は苦笑いを浮かべた。
もう、逃げられない。言葉で、飛び回り、盾を彼女に向けていた、自分だった。
好きです、じゃない。彼女の欲している言葉は。いつもの、アレだ。
膝に両手を置いて、屈した。
「死にます」
彼女が、おかしそうに笑った。
今度は、間違いなく伝わった。

(完)
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