零、この世界
文字数 1,664文字
それは、夏の終わりを告げるお祭りの夜のことでした。
「なんだって!子供が川に流された!?」
天音 は弾かれたばねのように立ち上がって、眼を丸くしました。
「ああ、そうなんだよ。祭りの終わりに、船から木の実を川に流すだろう?そこから身を乗り出して落ちちまったらしいんだ、天音、助けに来てくれよ!」
「わかった、すぐにいくよ」
天音が駆けだそうとした途端、ぐい、とその左腕をひっぱられて立ち止まってしまいました。ふりかえると、なんだかこわい顔をした波流 が、じっと見つめてきたのでした。天音は突然のことにすっかり困ってしまって、波流の腕を振りほどこうとしました。
「どうしたんだよ。早く行かないと子供の命に関わるだろ、急がなきゃ」
「きみはいつもそうだ」
天音は地を這うような波流の声に驚きました。
「きみはいつもそうだ!誰かのためにって、すぐに自分を犠牲にするだろ!川に飛び込んで、本当にきみは無事で済むと思うのかい!?」
「そりゃあ……わからないけど」
「『天音、助けて!』なんて、ヒーローごっこのつもりかい?馬鹿馬鹿しい。放っておきなよ。今日は僕と祭りを楽しむ約束だったろ」
「でも、やっぱりほっとけねぇよ!」
天音は波流を振りほどいて走り出そうとします。けれどもそれは叶いませんでした。その刹那、天音は自分の首に波流の両手が絡みついているのを感じました。
「がっ……!は……る……!?」
ぎりぎりと波流の両手には力が籠められ、天音の喉からはひゅうひゅうという音が漏れました。でもそれも、ふたりきりの森のしずけさの中にかき消されてしまいます。
「は……る……!」
止めてくれ、という願いを込めてその名前を呼ぶと、恐ろしい目つきだった波流の口が、まるで三日月のようにくっと歪みました。
「そうだよ天音。天音は僕だけ見ていればいい。昔も今もずっと、ずっと、この先もずっと!――天音は、僕だけのものだ!!」
しばらくして、天音はほんとうに息をしなくなりました。
波流はぞくぞくわいてくる嬉しい気持ちでいっぱいでしたが、突然ぞわっ、という感覚が背筋を凍らせました。
「天音……?」
冷たく横たわる天音に波流は縋りつきます。しかし不思議なことに、さっきまでの出来事が、ほんとうに自分がしでかしたことなのか、まるで記憶がありません。
「天音、嘘だ……僕は、なんてことを……?」
波流は冷たくなった天音の身体に縋り付いてわぁわぁと声をあげて泣きました。けれども二度と天音は戻ってきません。波流はこの世界で、永遠にひとりで絶望し続けることになるのでした。
「違う!」
神子 はその拳を何度も地面に叩きつけました。
「――いい加減にその口調を止めろ。反吐が出るんだよ」
やれやれ、牢獄の看守程度が、何時から私にそんな口を利けるほどに偉くなったのかね?
「恨むなら、このアタシを看守っつー立場にに縛り付けた己を恨むんだな、『神サマ』よ。こっちはあんたとこうやって直接喧嘩が出来る立場を得て、小躍りしちまいそうなほど喜んでるんだからさ」
強がるのはよくないな、お嬢さん。そんなことを言って、
「あの2人は必ず助ける。あの2人にあんな終わり方はさせない。『お前が決めた運命』なんか辿らせない」
仕方がないさ。あの2人は罪人なのだから。前世で罪を犯した『魂の罪人』。
ひとつの魂は『神』であるこの私を裏切り悪魔と化し、もうひとつの魂は多くの人間の心を弄び、世界を混乱に陥れた。この世界は2人を閉じ込める”牢獄”。1人には死を、もう1人には絶望を。それが私が彼らに与える罰だ。
「何が罰さ。そう言ってあんたはあの2人を弄んでいるだけだ。お前の思い通りになんかさせないぞ、『神』――いや、そんな名前ですら呼びたくないねぇ。アンタはただ、『大きな力を持っただけのなにか』に過ぎない!」
私はただ見守るだけだ。この”世界”の顛末を。せいぜいあがくといい、牢獄の看守よ。
「なんだって!子供が川に流された!?」
「ああ、そうなんだよ。祭りの終わりに、船から木の実を川に流すだろう?そこから身を乗り出して落ちちまったらしいんだ、天音、助けに来てくれよ!」
「わかった、すぐにいくよ」
天音が駆けだそうとした途端、ぐい、とその左腕をひっぱられて立ち止まってしまいました。ふりかえると、なんだかこわい顔をした
「どうしたんだよ。早く行かないと子供の命に関わるだろ、急がなきゃ」
「きみはいつもそうだ」
天音は地を這うような波流の声に驚きました。
「きみはいつもそうだ!誰かのためにって、すぐに自分を犠牲にするだろ!川に飛び込んで、本当にきみは無事で済むと思うのかい!?」
「そりゃあ……わからないけど」
「『天音、助けて!』なんて、ヒーローごっこのつもりかい?馬鹿馬鹿しい。放っておきなよ。今日は僕と祭りを楽しむ約束だったろ」
「でも、やっぱりほっとけねぇよ!」
天音は波流を振りほどいて走り出そうとします。けれどもそれは叶いませんでした。その刹那、天音は自分の首に波流の両手が絡みついているのを感じました。
「がっ……!は……る……!?」
ぎりぎりと波流の両手には力が籠められ、天音の喉からはひゅうひゅうという音が漏れました。でもそれも、ふたりきりの森のしずけさの中にかき消されてしまいます。
「は……る……!」
止めてくれ、という願いを込めてその名前を呼ぶと、恐ろしい目つきだった波流の口が、まるで三日月のようにくっと歪みました。
「そうだよ天音。天音は僕だけ見ていればいい。昔も今もずっと、ずっと、この先もずっと!――天音は、僕だけのものだ!!」
しばらくして、天音はほんとうに息をしなくなりました。
波流はぞくぞくわいてくる嬉しい気持ちでいっぱいでしたが、突然ぞわっ、という感覚が背筋を凍らせました。
「天音……?」
冷たく横たわる天音に波流は縋りつきます。しかし不思議なことに、さっきまでの出来事が、ほんとうに自分がしでかしたことなのか、まるで記憶がありません。
「天音、嘘だ……僕は、なんてことを……?」
波流は冷たくなった天音の身体に縋り付いてわぁわぁと声をあげて泣きました。けれども二度と天音は戻ってきません。波流はこの世界で、永遠にひとりで絶望し続けることになるのでした。
「違う!」
今回も
なにも出来なかった自分を悔しく思っているのです。「――いい加減にその口調を止めろ。反吐が出るんだよ」
やれやれ、牢獄の看守程度が、何時から私にそんな口を利けるほどに偉くなったのかね?
「恨むなら、このアタシを看守っつー立場にに縛り付けた己を恨むんだな、『神サマ』よ。こっちはあんたとこうやって直接喧嘩が出来る立場を得て、小躍りしちまいそうなほど喜んでるんだからさ」
強がるのはよくないな、お嬢さん。そんなことを言って、
また
2人を止められなかったことに傷心しているくせに。どうせまた『戻す』のだろう。「あの2人は必ず助ける。あの2人にあんな終わり方はさせない。『お前が決めた運命』なんか辿らせない」
仕方がないさ。あの2人は罪人なのだから。前世で罪を犯した『魂の罪人』。
ひとつの魂は『神』であるこの私を裏切り悪魔と化し、もうひとつの魂は多くの人間の心を弄び、世界を混乱に陥れた。この世界は2人を閉じ込める”牢獄”。1人には死を、もう1人には絶望を。それが私が彼らに与える罰だ。
「何が罰さ。そう言ってあんたはあの2人を弄んでいるだけだ。お前の思い通りになんかさせないぞ、『神』――いや、そんな名前ですら呼びたくないねぇ。アンタはただ、『大きな力を持っただけのなにか』に過ぎない!」
私はただ見守るだけだ。この”世界”の顛末を。せいぜいあがくといい、牢獄の看守よ。