序 語り部

文字数 3,127文字

「ここは異界――遠野郷です」
 遠野市立図書館内のホールに講師の声が響きわたる。
「ですから、近隣の街とは異なる世界がここには広がっています。私も幼い頃はここら辺に住んでいましたが、ずっと住んでいると気づかないものです。でも、出たり入ったりしているうちに気づくんです。ここにはほかとは違うルール、常識が存在している、と」
 講師は台の上に一冊の本を取り出した。
「この土地特有の常識――それが書き残されたものが『遠野物語』です。あらためて説明するまでもありませんが、佐々木喜善が見聞きした話を、柳田國男が聞いた上で物語集としてまとめたものです。これには続編のような『遠野物語拾遺』がありますが、こちらは喜善によって集められた物語がそのまま掲載されています。柳田國男が忙しかったせいですね。
 これらの物語集は、昔話ではありません。
 〝むかしむかしあるところに〟というように、いつの時代かわからないのが昔話の特徴ですが、『遠野物語』は違います。去年の出来事だったり、何代前の何々家というように時代や登場人物までもが特定されているんですね。
 ですからここに書かれているのは現実と地続きの歴史でもあるんです。
 政府や役所が認めない歴史です。なぜ認めないかというと、この物語にはふつうの暮らしには存在しない、人間ではないものたちがたくさん登場してくるからですね。とてもじゃないがこれは現実の物事ではない、それがお上の判断です。
 さて、たとえば河童」
 スーツを着こなした老講師は数度頷くとあたりを見回した。
「河童は遠野に限らず、日本の各地にいます。(かわ)()(ぞう)(かわ)()(ろう)(ひょう)()()……呼び名は違いますが、基本的に同じような存在です。頭には皿、手足には水掻き、背中には甲羅。キュウリを好み、相撲が好きで、悪戯も好き。それから、馬を川に引きずり込もうとしてよく失敗しています……たまには成功しているみたいですけどね。あるいは河童の子を産んでしまい、道ばたや川などに捨ててしまった女性の話もあります」
 彼はそこで言葉を止め、白い頭を数度撫でた。
 総白髪なので、それなりの年齢にも見えるが、立ち姿も語り口も若々しい。手元のパンフレットにも生年は書いてなかったし、実際は何歳なのか、わたしは少し気になった。
「ただしそれらは、全国的な河童の、似ている要素をただ並べただけに過ぎません。
 第一、遠野の河童は赤い。それが語られてきた事実です。
 『遠野物語』の中では〝身内真っ赤にして口大きく〟とか〝真っ赤な顔したる〟とか〝外の地には河童の顔は青しといふやうなれど、遠野の河童は面の色(あか)きなり〟とあるんです。
 駅前にある河童像が赤かったり、おみやげのキーホルダーにピンクの河童がいるのは、そういう伝承が元になっているんです」
 それくらいのことは『遠野物語』を読んだわたしも知っている。問題はその先なのだ。そのあたりについて書かれた本は高校の図書室はもちろん、地元の市立図書館にもなかった。どうしてそうなったのか、わたしの興味はそこにあった。
「ですから、ここでひとつ大きな疑問が出てくるわけです。
 ――どうして遠野の河童は赤いのか。
 理由を知っている方はいますか……あ、そこのあなた」
 指名されたひとは「お酒の飲み過ぎ」と答えた。会場からは柔らかい笑いがあがる。
「そうですね、それも仮説のひとつです。『岩手の民俗散歩』という本でも紹介されています。遠野の冬は厳しいことから、河童もお酒を飲み、暖をとっている、と……基本彼らは裸ですからね。でも雪深い遠野の冬でも裸だったのか、それはちょっと疑問です。服くらい着ますよね。
 また、天狗信仰と絡めて河童と天狗を同一のものと見なす説もあります。
 ほかには……ちょっと残酷な話ですが、ほかの地方では河童を川赤子と呼ぶこともあることから、水辺に暮らす童……貧しく、街に住むことのできない子供であるという説もあります。遠野には口減らしの風習――デンデラ野があることから、育てられない子供を殴り殺し、顔や体が赤く血で染まった、と説明するひともいます。
 この場合、頭の皿は撲殺されてへこんだ頭蓋骨を意味している、ということでしょう。
 私自身はこれらの説、どれもありうることだと思っています。たったひとつの正解などどこにもないのではないか、とね。
 というよりもむしろ、河童の正体はたくさんあるのではないか、そう考えています。それぞれの土地で生まれた水辺の怪異が遠野という土地の中で醸造され語り直されているうちに、赤い河童というものが生み出された、そう思うのです」
 そこで講師は一度話を止めた。
 演台の上に置いてある水筒を開け、フタにお茶らしきものを注ぎ、飲み干した。そのあいだも会場は静かなままだ。
「失礼しました。
 あくまで河童は空想の物語である、と切り捨てる方もいることでしょう。
 河童なんて生物が、この世にいるわけがない……少なくとも現在、誰の目にも触れず、何の証拠も残さず生活していることになる。科学が発達し、人間の生活範囲が広がった現代において、河童がこっそり暮らすことは不可能でしょうからね。
 ですがそれなら、日本全国で似たようなあやかしの姿を思い浮かべるものでしょうか。遠野の河童が赤いのはここだけの特徴としても、現実的な何らかの共通した理由があったため、各地で似たような河童物語が生まれたのではないか、私はそう思います。
 〝何らかの理由〟の解釈はおもにふたつ。ひとつ目は、不可思議な現象が起きたとき、それを頭で理解するために、河童という生物を生み出すというものです。誰もいないのに川で大きな水音がする、何でもない川で馬が水に落ちた――不安になったひとは、何らかの生物のせいだと責任を押しつける。心理学用語ではたしか、合理化と言ったでしょうか。
 そしてふたつ目――実際に河童がいた場合です。
 河童という生物はいない、それは確かですが、河童の異名のひとつに(さる)(こう)と書いて(えん)(こう)というものがあることから、猿の見間違いでは、そう主張するひともいます。猿でなくとも、何らかの生物の見間違いだった、そういう解釈の仕方ですね。
 『遠野物語』全体に謎が多いのですが、河童は特に多く、全国的な知名度もあるため、河童の目撃があった川辺は河童淵として観光地になっています。そのため、遠野には河童淵と呼ばれる場所が数多く……だいたい二十弱あるのですが、これから私たちが向かう河童淵は常堅寺というお寺のすぐ近くにあります。田んぼや民家に囲まれた林の中――非常に静かで綺麗な場所です。河童に会えるかどうかはわかりませんが、これからバスで移動しましょう。
 それでは、ご静聴ありがとうございます。(てん)()(けん)()でした」
 そう言うと、講師は頭を下げた。
 ゆっくりと壇から降りる彼に、聴衆のほとんどが拍手を送る。壇から降りた彼は再び水筒を
開け、中の液体を飲んでいた。
 その一方、講師である彼に拍手を送る〝ほとんど〟に含まれない希少な存在――わたしは隣の席に目を向ける。
 グレイのパーカーを着たひとりの男子高校生。
 彼は目を閉じ、ゆっくりと頭を前後に揺らしている。
 寝息が聞こえないのは不幸中の幸いか。一時間弱の講演中、ずっと眠っていられる図太い神経は見習いたいなと感じつつ、親の顔を見てみたいとも思う。いや、彼の親は有名すぎて、何度も見かけたことはあるんだけど。
 しかし、講演が終わった今、遠慮する必要はないだろう。
(こう)()、終わったわ。起きなさい」
 相手が反応する前に、わたしは彼の脇腹へと手刀を叩き込む。
「げぼらっ」
「起きたわね」
「もう少し優しい起こし方が……いてて」
「さあ、これから河童淵へ向かうわよ」
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