月島さんは流れ星

文字数 4,047文字

 
 
 
 僕の上司の月島さんはとても変わった人です。まず、とても頭がいい。月島さんは東京のすごい大学を首席で卒業しているらしくて、難しい理論に柔らかい発想を加えて問題を解決して行きます。僕はあまり頭が良くないので、月島さんの仕事ぶりには本当に尊敬をしています。
 
 次に、彼女はとても無邪気です。僕たちの会社は民間で宇宙事業を行うベンチャー企業で、月島さんは技術開発室の室長、つまり一番偉い人をやっています。そんな彼女が率先して「人工的に流れ星を作ろう!」というプロジェクトを指揮しています。世界中のどこでも、誰でも流れ星を見ることができるようにするのが彼女の夢です。彼女は夢について語るとき、誰よりも子供らしく、誰よりも素直なので、僕たちはみんな彼女を応援したくなるのです。
 
 そして、彼女は話をするのがとても好きです。おしゃべりというより、自分の考えをたくさん話すのが好きです。自分の考えをまとめようとする時なんかは特に、僕に色々な話をしてくれます。
 
 

「空川、君は織姫と彦星についてどう思う?」

 
 彼女の話はいつも突然に始まります。
 

「私は彼らを少し傲慢だと思うのだ。考えてみてほしい。彼らは一年に一度、七月七日にしか会うことはできない。愛する人と一年に一度しか会えないのはさぞ寂しいものだろう。では彼氏と遠距離恋愛をしている私の友人はどうか。彼女も一年に一度くらいしか恋人に会えないではないか。海外に駐留する米軍兵士の娘は?単身赴任を強いられて家族と離れて一人地方で働く男性は?刑務所に入った旦那の出所を待つ妻は?」
 
 
 月島さんは真剣になると早口になります。
 
 
「年に一度しか会えないことを引き合いに特別視されるというのは今の時代にそぐわないのではないか。もし仮に、同じ架空の人物としてサンタクロースを同列に考えてみたらどうだ?彼だって一年に一度しか現れないぞ。それどころか唯一子供たちに会えるクリスマスの夜ですら彼は子供たちに会わず健気にプレゼントを配っているんだ。そもそも年に一度しかないものなんてこの世に無数にある。正月だってお盆だってお雛様だってそうだ。私の誕生日だって一年に一回しかこないぞ。私の誕生日と同じ頻度でイチャイチャしている織姫と彦星になぜ人間は願いを込めて短冊なんか掲げるのだ!一体彼らに何の力があって人間たちの夢を集めているというのだ!もし仮に彼らが人の願いを叶える力があるというのなら私の願いも叶えてみろ!私は誕生日にでっかいクマさんのぬいぐるみがほしいぞ!」
 
「月島さん誕生日七月七日でしたっけ?」
 
「その通りだ!」
 
 
 彼女の誕生日は来週で、それは織姫と彦星がイチャイチャする日と同じで、僕たちの人工流れ星プロジェクトの本番の日です。
 
 
 
***
 
 
 
 僕たちが去年の冬に打ち上げた小型の人工衛星は上手く軌道上に乗り、問題なく動作すれば七月七日の夜には人工流れ星が東京の空に降ることになります。簡単に仕組みを説明すると、人工衛星から流れ星の素になる粒を発射して、大気圏を通過させることで自然の流れ星と同じ現象を作るというものです。粒は実際の流れ星と同じような物質なので環境に悪影響はなく、大気圏内で燃え尽きるので宇宙にごみが発生したり飛行機とぶつかる危険性もありません。天の川を横切るような流れ星が、七月七日の夜には見られることと思います。
 
 
「しかしもしもだ、もしも流れ星が何かの手違いで地上に落下してきたら、空川、君はどうする」
 
 
 七月三日、隅田川の近くで月島さんは話しかけてきました。上手くいけばここから流れ星が見えると月島さんが嬉しそうに僕を引っ張って、二人で缶ビールを飲みながら流れ星が降る東京を想像していた時の事でした。
 
 
「逃げる以外にですか?」
 
「逃げる以外にだ。逃げる間もないほどの速さで流れ星が私を目がけて降ってきたとして、それでも私は流れ星に願い事を唱え続けることができるのだろうか」
 
 
 お酒を飲むと月島さんは少し弱気になります。少し寂しそうな顔をします。
 
 
「人はいつか必ず死ぬわけで、その日がいつ来るかは誰にも分かるまい。私が自分の作った流れ星に殺される可能性もゼロとは言い切れない訳だ。では私は自分の死を悟ってなお、叶えたい願いを持っていられるだろうか。もし仮にその瞬間まで願いを唱え続けているとしたら、私は何を唱えているのだろう」
 
「月島さんがその時何を考えているかなんて僕には分かりませんよ」
 
「では空川、君だったら何を考えていると思う?」
 
 
 僕は腕を組んで少しの間考えました。
 
 
「いや分かんないです。案外、洗濯物をしまい忘れてたなとか、今日ジャイアンツは勝ったかなとか、そういうことを考えてるかもしれません」
 
「なるほど。日常の延長として死を受け入れるという事は、ある意味理想なのかもしれないな」
 
 
 月島さんはビールをぐっと飲みほして、小さい手で缶を潰しました。
 
 
「あとは、親のこととか考えるかもしれないです。分かんないですけど」
 
「それは素敵だな。私も死ぬ間際には誰かのことを想っていたいものだ!」
 
 
 月島さんはぱあっと笑って、右手に握った缶を思い切り隅田川に向かって投げました。缶は綺麗な孤を描いて、ざぽん、という音を立てて水面にぶつかりました。
 
 
「ちょっと、月島さん!」
 
「君は今、何を考えていた?」
 
 
 波打った水面がきらきら光っていて、それはまるで、流れ星が川に落ちたようでした。
 
 
「私は今、君のことを考えていたよ」
 
 
 月島さんはとても変わっていて、僕は彼女のことが好きです。
 
 
 
***
 
 
 
 七月七日の夜、人工衛星は日本の上空遥か高いところを通過したタイミングで、地上から人工衛星に送られた信号の通り、流れ星を発生させる粒の発射を試みました。隅田川の見える僕たちのオフィスで僕と月島さんはそれを見守っていました。人工衛星は計算通りの速度で衛星軌道を動きながら、粒を打ち出す装置を計算通りの方向に向け、だけどその日、僕たちの人工衛星は、流れ星を作ることはできませんでした。
 
 
「地上で想定していた以上の真空状態が、粒を格納装置から射出装置まで送り出す部品に動作不良を生じさせたんだ」
 
 
 月島さんと僕は会社のあるビルの屋上から隅田川を眺めていました。彼女は思ったよりも落ち込んだ様子はなく、独り言のようにそう言いました。
 
 
「次回は宇宙空間の真空状態まで綿密に計算に入れる必要があるな」
 
「残念でしたね」
 
「うむ、今回は残念だ」
 
 
 月島さんはとても冷静で、いつまでも悔しいと思っている僕は自分が子供っぽく思えてきて、屋上のベンチに座ったまま動けずにいました。
 
 
「私はなぜ流れ星を作ろうとしているのだろう」
 
 
 彼女は隅田川の方を向いたまま言いました。
 
 
「流れ星を見て誰かが願い事をしてくれたら良いと思っていたのかもしれない。そうしてその人の夢が叶ったらとても嬉しいし、流れ星をみて元気になる人がいるならそれも嬉しい。では私は自分で作った流れ星を見ながら何を願うのだろうか?流れ星を作ることが私の夢なのだろうか?それとも私は自分の作った流れ星に、何か別のことを祈るのだろうか?流れ星をみた織姫と彦星は何を願うと思う?いや、彼らはお互いの元へ会いに行きたいと願っているのか。私と違って。そうしたら彼らと私は違う。私は一体、何を手に入れたいんだろうか」
 
 
 月島さんは右手を夜空の方に伸ばしながらそう言いました。東京の明るさに負けじと天の川が少しだけ顔を出していて、織姫と彦星が月島さんを見つめているようでした。
 
 
「私も短冊に成功を願えば良かったかな」
 
 
 月島さんは笑いながらそう言いました。
 
 
「難しい話ですね。月島さんがなぜ流れ星を作っているのか僕には全然分からないですけど、欲しいものはあれですよね」
 
「なに?」
 
「でっかいクマさんのぬいぐるみ」
 
 
 月島さんはきょとんとした顔で僕の方を見ました。
 
 
「お誕生日おめでとうございます」
 
「ありがとう」
 
 
 月島さんはまたぱあっと笑って、それがとてもかわいかったので、僕も嬉しくなったのです。
 
 
「私は流れ星が好きだ。星が降るなんて考えるだけで神秘的だし、星に向かって願い事を唱えるというのもロマンチックだと思う。人工的に流れ星を作って、それを見た人が元気や希望を感じたり、友達とか家族とかが今日はいい夜だねーなんて話したり、恋人たちが流れ星を見ながら愛してるなんて言いあったりして、暗いニュースばっかりやっているテレビや新聞の一面を子供心の塊のような流れ星の映像や写真で埋め尽くして、そうした私の子供心が世界中の国や地域や人種の垣根を越えて波のように広がっていって、私と同じように流れ星に感動する奴や願い事をする奴や環境破壊がどうとか文句をいう奴も出てきたりして、私は君みたいなやつとそれを見ながら、一緒にお酒を飲んだりしたいのだ。そうか、私は誰かと一緒にいたいんだ」
 
 
 月島さんはもう一度天の川に目を凝らしながら言った。
 
 空に浮かぶ星はまばらで、けれども、とても明るくて、僕に勇気をくれました。
 
 
「僕は月島さんのことが好きです」
 
「残念ながら、今日は流れ星は見えないぞ」
 
「自分の願いくらい、自分で叶えます」
 
 
 僕も立ち上がって、月島さんの隣で一緒に空を見上げました。
 
 月島さんは楽しそうに笑いながら、流れ星の無い夜空を見つめていて、けれどもとても幸せそうでした。
 
 
 
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