文字数 771文字

物書きは、たった一言をそのまま伝えればいいのにその一言に対して様々なお題目を並べる生き物である。

 確か、どこか有名な小説家が書いていた言葉だったと思う。
確かに私自身そう思う。
そう思うがこそ、言葉は短い方がいいと思う。
ただ一言でその言葉の意味と本質まで伝わるのであれば尚更だ。
だが、一言で伝わらないからこそ私達はその一言をこねくり回すのではないだろうか。

 私はある時、意中の人に思いを伝えようと言葉を考えていた。
 「愛しています」
その一言がとても重いものだと感じてしまう。
言い放ったら最後、もう後にも引けないのだ。
これは、とても怖い事だしおいそれと言えない。
いや、私自身が言えなくしてしまっている。
なら、なんと言おうか。
そう考えるうちに妙な焦燥感と罪悪感に否まれる。

 さて、言葉とは妙なものである。
自分を殺すことも生かすこともできる。
そして、相手を殺すことも、生かすこともできる。
まさしく呪いだ。
憎い相手には、一言罵声を言えばいいし、愛おしい相手には優しく甘い言葉を言えばいい。
その結果、憎い相手は落ち込み、愛おしい相手は少なからずいい心持ちをするだろう。
これが、呪いと言わずなんと言おうか。

 私達は普段、呪いを振り撒きながら生活をしている。
私は現代の言葉遣いが嫌いだ。
事があれば、罵声を一言振りかける。
さしてや、それは、本心なのか?
言葉とは生かすことも殺すこともできると理解していながらの言動なのか。
呪い。と、いうことを心にもない人が冒頭のようなことを言うのではないか。
私は、物書きこそ言葉の重み。その正体を熟知していると思う。
だからこそ、たった一言をこねくりまわして言うのではないか。
だからこそ、たった一言、「愛しています」が言えないのではないか。
それは、臆病などではない。
その一言を躊躇う人こそ、言葉の正体を、本質を見抜いているのである。
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