敗北者に捧げる鎮魂歌

文字数 3,799文字

 逢魔ヶ時とはよく言ったもんだ。
 昼と夜の境目。というよりもむしろ、夜に支配されかかった時間。何かがあるとすれば決まってこの時間だ。
 俺の目の前に、軽い鎧に小振りの剣を持った男が三人。そして、おそらく後ろには同様の出で立ちの男が二人。
 合わせて五人。
 俺は腰に下げていた三節棍に静かに手をやる。
「お前らも夢半ばに倒れたのか。」
 勿論、目の前で徐々にその距離を詰めつつある男達には俺の呟きなど聞こえてはいない。聞こえていたところで理解はできない。彼らにあるのは生ある者への憎しみのみ。或いは、自分が果たせなかった夢を追う者への妬みなのかも知れない。
 いずれにしても、俺の取るべき道は一つしかない。
 ぐしゃ。
 俺の棍が風を切って先頭の男の顔面を捕らえる。いやな手応え、いやな音と共に腐肉が飛び散って行く。
 いまや男の顔は人間の面影を残してはいなかった。頬の部分に白い骨を露出し、腐った肉が顔面だったところを這うように流れ落ちている。だがその物体が動きを止める様子はなかった。何事もなかったかのようにその歩みは一定を保っている。
 こいつもさぞ名のある冒険家だったに違いない。今でこそ光を失ってはいるが、かつては燦然と輝いていたであろう見事な鎧飾りが、その面影を残している。
 かといって俺には何の感傷もおきなかった。そう、冒険者にとって死した者は単なる敗北者に過ぎないからだ。
 生き残ったものだけが名声と富を手にし、そして、未知の世界に触れることができる。俺たちはそのために命を賭けている。
 バキ。
 骨の砕ける音と共にそいつは崩れ去った。あと四体。
 こいつらをなんとかしなければ、俺に明日はない。

 俺の親父は名のある冒険者だった。と言ってもおふくろはただの町娘だったから、俺が物心ついたときには、親父は既に宿屋のおやじをしていた。親父の人柄かどうかは知らないが「赤い角亭」に人が絶えることは無かった。常に冒険者のパーティが居座り、俺は、よくお客に冒険譚をせがんだものだ。宿屋の小僧をお客がどう想っていたのかは定かではないが、大抵の人は好意的に接してくれた。だから、友達の中には(特に役人の息子のイズアがそうだった)冒険者のことをよく言わない奴も少なくはなかったが、俺は冒険者になりたかった。
 日の光を受けて、輝くような鎧を身にまとい、何人も近寄ろうとしない神秘へと身を運ぶ。俺にとって冒険者とは誇りある職業なのだった。

 俺は遺跡のはずれにある屋敷の跡のようなところに暖を取った。のようなところ、と言ったのは建物が崩壊した後の瓦礫しかなかったからなのだが、木々の少ない平坦な場所で、周りから近寄ってくる奴を発見しやすく、良い場所に思える。
 ザックの中にはまだ食料は充分あった。俺は魚のくん製を火で焙り、辛うじて風化を逃れている壁を背もたれにする。
 妙に星空が奇麗だった。こうして落ち着いて星空を見上げたのは幾年振りだろう。常に危険と背中合わせである俺たちにとって、空に輝く星とは方角を確認するための道具にすきず、特別な感傷を抱くことなどは、己が寿命を縮めることにもつながる。それは誰が教えてくれたわけでもなく、俺が背中の傷と引き換えに得た知見であった。にも関わらず、俺は今確実に自らの首を絞めていた。常に未知の危険へと向けられてきた研ぎ澄まされた五感はその(ばく)を放たれ、かつてこの地上を治めていた偉大なる王達とて我が物とすることができなかった至高の輝きに魂を吸い取られているようだった。それはあの時と全く変わらぬ姿で、下界を見下ろしていた。

 俺は子どもの頃ずっと冒険者になりたいと思っていたから、経験豊富な冒険者が宿のテーブルで、エールを仰ぎながらまだ見ぬ世界を語るその姿は、少年の胸をいやがおうにも高鳴らせたものだった。
 だから、おやじが輝かんばかりの鎧に身を固め、身の丈の半分もあろうかという両刃の剣を背負ったとき、俺は天に昇るかと思うほどに舞い上がった。おやじは、俺がまだ小さいその目をいっぱいに輝かせてまとわりつくのを、どんな気持ちで眺めていたのだろうか。
 俺は、と言えば、おやじに旅のお土産をねだり、おやじは一振りの短剣をもって帰ることを約束してくれた。それもただの短剣ではなく、古代の遺跡に眠っているであろう奴を、だ。おやじはおふくろにも立派な宝石をもって帰ってくると約束し、おふくろは首を小さく横に振った。今にして思えぱおやじがどういう思いであんな約束をし、おふくろがどういう思いで首を振ったのかが良くわかる。が、当時の俺はおふくろが首が振ったのが不思議でならなかったような気がする。
 おやじはその夜、満天に輝く星空のもと、北極星を目印に旅立って行った。
「ぼうず、覚えておけ。北の極にある星は動くことがない。だから冒険者にとっては道を教えてくれる守り神なんだ。」
 それがおやじが俺に言った最期の言葉であった。

 がさっ。
 俺はとっさに脇においてあった棍を握りしめた。いつの間にか火は小さくなり、微かな音を立てて炭が崩れる。辺りに神経を張り巡らすと、間違いない、後ろに気配が一つ。立ち上がりざまに棍を一旋、相手に静対する。
「ご挨拶ね、いきなり棍なんて。」
 女戦士だった。おそらく軽金属でできているであろう胸当てを身に付け、手には小振りのアックスを握っている。鎧の下には薄い布を巻いているだけで、特に重装備をしているわけではない。戦士とは言えど女性は男性よりも非力なことが多いので重い鎧を付けないことは珍しくはない。むしろ、胸部と腰、そして臑ぐらいを軽装備で防護しているだけのことのほうが多い。そういう意味では一般的な女戦士だったが、女性として見たとき彼女は美しかった。無駄な肉のついてない滑らかな曲線美は、彼女がしなやかで鍛え抜かれた筋肉をもっていることを示している。
 強い。
 この女、顔にはほほえみを浮かべてはいてもその目は決して笑ってはいなかった。
「まあ、そんな怖い顔をしないで頂きたいわ。ほんの少し火に当たらせて欲しいだけ。」
 女戦士は表情をちらとも変えず、そう言うと、じっとこちらを見つめている。少し胡散臭いがその言葉が嘘だと断定できるだけの材料は、今のところはない。俺は手に持っていた棍を脇に置き、消えかけていた火に薪をくべる。女戦士は俺の正面に腰を下ろした。
 警戒は怠れないな。無関心を装いながら気を張り詰めていた。旅先でたまたま冒険者の女戦士と出会う、ありえない話ではない。ここが街道筋ならば、だ。だが、ここはすでに遺跡の中心にかなり近い位置で、間違っても安全とはいえない場所だ。なのに、女が一人でなんて。
「あなたは何でこんなところにいるの。」
 女戦士はふいに言った。俺はますます警戒を強めた。普通こんな事をいきなり言いはしない。相手に警戒心を抱かせるだけだからだ。本当に冒険者ならまず名乗る。
「何故だろうね。」
 俺は慎重にそれだけ言った。しまった、これは罠だ。どんな事がきっかけになってしまうか分かったもんじゃない。おそらくこいつは墓守の一族だ。数々の冒険者が墓守達にその行く手を阻まれてきたという。
「理由はないの?」
「特にはな。」
「ならば、引き返したほうがいいわよ。この先には人が触れてはいけないものがあるわ。」
 どうやら覚悟を決めねばならないようだ。
「そういう訳にもいかなくてね。たとえ、おっかないお化けがいたとしても、ね。」
 女戦士はあいも変わらず微笑みながら聞いていた。
「では、仕方はないわね。私はここより先に人を通してはいけないの。」
 女戦土はそう言うと、アックスをつかみとり、燃え盛る炎を飛び越えて上段から降り下ろした。アックスは転がった俺の耳元をかすめて地面に突き刺さっている。俺はとっさに三節棍をつかむと、転がりざまに立ち上がる。
 この女は強い。勝負は次の一撃で決まる。この一撃を早く決めたほうが生き残れる。
 俺は動いた。三節棍を大きく横になぎ払うと、女は三節棍を腕で受け止める。
 甘い、俺の三節棍を素手で受ければ骨ぐらいは折れてしまっているはず。どんな達人でも骨が折れたとなれぱ隙はできる。その隙をついて顔面に一撃をたたき込めば・・・。
 が、甘いのは俺のほうだった。棍を受けた女はその瞬間笑っていた。まるで俺の未熟さを哀れむように。そしてほぼ同時に彼女のアックスが唸りをあげて俺の胴をなぎ払っていた。

 年も押しせまったある日、一人の冒険者が「赤い角亭」を訪れた。その冒険者は一振りの短剣を俺にくれた。
 彼は、おやじの形見だ、と俺に言った。
 俺はちっとも嬉しくなかった。

 女は俺が身動きできなくなったのを見て、何処かへと立ち去った。そう俺が未熟だったのだ。墓守りの一族が自らの痛覚を一時的に遮断できる能力を持つことを思い出せなかったのだから。かつて聞いたことがある。彼らはダメージを受けただけで隙を作ることなどなかった。勝ちさえすれば、傷は後でゆっくりと治せばいいことがわかっているのだから。
 薄れゆく意識の中で、俺は自分に死が訪れようとしていることを悟っていた。しかし、死が目前に迫ってきても何の感慨も湧かなかった。満天の星空の元で死ねるからなのかも知れない。俺のおやじもこんな星空の元で死んでいったんだろうか。そう、俺も死んで行くのだ。

 そして、敗北者がまた一人。
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