sweet bitter 16

文字数 1,946文字

 俺は本棚に封印されていた無数の本達を目一杯山ほど抱えて歩いていた。同居人に溜まりに溜まった本の整理を命じられたからだ。
 曰く「あなたのものが場所を取り過ぎている」
 全くその通りだ。
 そろりそろりと歩いているとゆらゆらと揺れながらなんとかバランスを保っていた一番上に積まれた文庫本が滑り落ちた。俺は小さなため息をついた。

 足を止め、手を止め、抱えていたものたちをその場に下ろして俺は今しがた地上に落ちたその落下物を拾い上げる。それは無残にもページが開かれた状態で大股開きに地面に横たわっていた。

 俺はそれを拾い上げる。そしてその開いていた奥付のページを閉じようとしたとき、マジックで何かが書かれていることに気付いた。

―2007.9.23―

 そこにはそんな数字の羅列が記されていた。それは紛れもない俺の字だった。一体なんの日付だろう?何かの記念日だっただろうか?
 そして俺は唐突に思い出した。この数字が書かれた頃の俺は暇さえあれば本を、小説というものを読みあさっていたことを。そして読んで「面白い」とか「ヤバい」とかとにかく心に刻まれたものにはこの本のように奥付に読了した日付を書き込んでいたことを。それは「この本は生涯手放さないぞ!」という俺なりの宣言のようなものだった。当時の俺は…バカだった。

 そう、16歳の頃の俺は

―広い世界を見るのだー

 白と黒の2色しか使われていないシンプルでそれでいて見る者に鮮やかなインパクトを与える装丁のその本の中で、進路に迷う主人公に対して口数の少ない父親はポツリと一言、そう言っていた。

 ブックオフで買ったこの本(バーコードのラベルの上に¥100のシールが貼られたままだ)に当時の俺は強い感銘を受けたのだった。

 当時の俺は毎日のように片道30分を超える時間を自転車通学して授業を受けてたまに居眠りで先生に怒られ、毎日学校の外周を5週走らされて何百球と襲いかかる先輩達の打撃練習の球拾いに明け暮れていた。

 その時の俺が考えていたことと言えば自宅から学校まで1秒でも速く着くための最短ルートとか3日後に迫った古文の課題のプリントを今回は誰に写させてもらおうかとかいかに持ち球であるスライダーとカーブを大きく曲げるかとかそんなことだった。

 そんな俺の楽しみと言えば自宅を出発する瞬間にスタートさせたタイマーの時間を学校の駐輪場に着いた瞬間に見ることだったり生物と美術の時間に小説を読むことだったり月に1回ある球速測定の数字を見ることだったりクラスメイトで野球部のマネージャーだった野波(のなみ)さんを眺めることだった。会えばいつも微笑んでくれる彼女に俺はメロメロだったのだ。


 あの頃の俺は世界は無限に広く自分は何者にでもなれると思っていた。毎晩布団に入って見る夢はいくつもの彩りに溢れていた。それが16歳の頃の俺のお話だ。そしてそんな頃に今まさに手にしてるこの本に出会い日付が書かれたのだ。


 しかしそれからの16年で俺は少しづつ、そして確実に「現実」というものに向きあわされて世界は少しずつ狭くなっていった。

 学校までの時間は「27分30秒」を境に伸びなくなったし、2年から赴任してきた生物の木元(きもと)先生は俺の読書を妨害し部活の顧問には「お前はストレートと変化球を投げる時のフォームが違い過ぎる」と言われそれを矯正しようとしたら肘を痛め、憧れの野波さんはやがてソフトテニス部の部長と付き合いだして退部した。

 世の中は自分の思い通りにはならない。そんなことを時間をかけてたっぷり学ばされた。

 
 そしていくつかの月日が流れ今では俺は毎日文字通りギュウギュウの満員電車に詰め込まれ、職場では地に足が着かないと思っている内にどんどん後輩も増えその指導を任されたり(一体何を指導しろっていうんだ?)していた。見る数字と言えば前年比の売り上げの数字ばかりだ。今ではもう布団に入っても夢は見ずに疲れを取るための無色の眠りにつくだけだ。

 あの頃の俺が今の32歳の俺を見たらどう思うだろうか?

 今の俺にあるのはいくつかの諦めた夢と妥協を積み重ねた現実だ。

 天気が悪くなり低気圧な日が続くと気まぐれに訪れる右肘のかすかな痛みが当時と今を繋ぐ唯一の架け橋だ。今の俺はもうカーブもスライダーも投げない。同じ毎日をストレートに生きているだけだ。

-でも-

「あ、またサボってる!」

 その声に俺は肩を震わせてその本を閉じた
「さ、サボってないよ」

 それは広い世界を垣間見た末に辿り着いた小さな小さな現実なのかもしれない

「もう!私も手伝ってあげるから速く手を動かす!」

 俺は積み上がった山からその本をこっそり抜いて隠した。コイツは手放せない。16歳の俺と約束したからだ。
 そして思った。
 こんな暮らしも悪くない。
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