第1話

文字数 3,165文字

母親が死んだ。癌だった。
若かったせいで進行が早く、発症からたった一ヶ月で死んでしまった。お気楽な人で、最後まで「大丈夫大丈夫、そんなはやく死にゃしないわよ」と能天気に言っていたくせに。病院食がまずい、栗が食べたい松茸が食べたいなどと言っていたのにまだ夏の暑いうちに死んでしまった。母さんがサボってないで学校に行け、って病室から追い出すから俺は呑気に部活に出ていたら、顧問の小山田に怖い顔で呼ばれて、自転車ぶっとばして病院に行ったら、もう顔の上に白い布がかかっていた。あっけなかった。あっけなさすぎて実感がなくて、フワフワ通夜で頭を下げて葬式で挨拶して学校に行って帰ってくるのを繰り返した。そしたら、母さんが死んで七日目の午後、学校から帰ってきたらポストに手紙が届いていたのだ。広告のハガキに交じったドピンクの、ひときわ派手な封筒。誰だよと怪しんでひっくりかえして、ぶったまげた。差し出し人は、死んだ母だった。

「大樹へ

元気にしてる?お母さんだよ。一週間前に死んだアンタの母親の愛美です。いま天国からこの手紙書いてます。」

は?
僕はいったん手紙を閉じた。意味わかんねえ。母さんからの手紙だって?天国から?
冗談に決まってる。誰かふざけた友達のイタズラにちがいない。タチの悪いイタズラしやがって、ちくしょう。そう思って破って捨ててやろうと思ったけど、できなかった。だって、書いてあったのは、どうみても母さんの字だったからだ。はらいが長くて、“る”がデカくて、全体的に右上がり。そんで、レターセットがピンクのマイメロディ。母さんがいい歳してマイメロディが好きだなんて、俺の友達が知ってるわけない。

「びっくりしてるだろうね〜。けど本当なのよ、これが。いま天国にいるの。よかったー、地獄じゃなくて。いやね、実はちょこちょこ心当たりあったんだけど、プラマイしたらプラス0.5くらいだったっぽいの。ギリギリだわ。ラッキー!」

そしてこのふざけたノリ。まさしく俺の母親なのだ。

「そんで、何で天国からあんたに手紙を書けているかというと、実は母さん特別なの。特別賞もらっちゃったの。あのさ、アンタが小学校3年生のときに、母さん猫拾ってきたじゃない?マモルちゃんよ。去年死んじゃったけどさ。実はマモルちゃん、仏様のペットだったんだってさ!人間界に出張に来たときはぐれちゃったんだって。それでね、あ〜あのときのマモルちゃんですかー!って仏様と盛り上がっちゃって。世話してくれたから特別になんでもひとつ叶えてあげましょう、って言われて。超優しくない?あら、嬉しい、芥川龍之介の本で見たやつだわ!って言ったら仏様、『あれはフィクションですけれど、よく書けていますね』と笑ってたわ。やっぱり芥川龍之介はすごいわ。まあ、そんなことはいいんだけれど、それで私、じゃあ息子に手紙を書かせてくださいってお願いしたの。

それで、仏様におねだりしてマイメロちゃんのレターセットを取り寄せてもらったんだけど、さてさてアンタに手紙を書くぞったって、そんなに書くこともないわねえと気づいちゃったわけ。だって母さんいなくてもパパが料理上手だし稼ぎはいいし、じいちゃんばあちゃんだってまだいるんだから大して困ることないじゃない。ひとつだけ言っときたいことがあるとすれば、そうねえ、パパが大変になるだろうから、家事を手伝ってやんなさいね。以上。」

それだけ?
ガッカリしてなんだよ、と呟く。そうしたら二枚目があった。

「と、終わりにしたいところなんだけど、それじゃもったいないから、アンタにちょっと色々教えてあげようと思って。だって、母さん天国来る前は幽霊だったじゃない?だから、ね……。実は、色々見ちゃったのよ。幽霊って透明人間だもの。人の部屋入り放題。

大樹アンタ信じてないね?じゃあ今から証明します。アンタ、同じクラスのアキちゃんて子が好きなんでしょ。アキちゃんオカズにしてオナニーしてるでしょう。『アキ…ッ』ていいながらオナニーしてんの見たわよ。」

俺は天を仰いだ。マジか。背筋がヒヤッとして思わず振り返ってみた。だけどしん、として誰もいない。

「今頃慌てたって遅いわよ。もう母さんはそこにはいません。人間が死んでから幽霊でいられる期間は五日くらいなんだから。そんで、母さんはその間にいろんな人のところに行ってきたの。

結論から言います。大樹、アキちゃんはアンタのこと好きだよ。駅前のスターバックスでね、友達にそう言ってるの見ました。アキちゃんテニス部でしょう。テニスラケットのバッグが立てかけてあったもの。かわいい子ね〜。よかったじゃないの。告白するしかないわよ。最近母さんが死んだとかチラつかせて同情を誘うといいわよ。女ってそういうのに弱いから。

それから今度の期末テスト、数学は確率がでるよ。二次関数はあんまりでないよ。職員室で数学担当の山内先生が話してるの聞いちゃった。だからたまには数学もがんばって勉強してみなさいよ。

最後に部活のことだけど。小山田先生の机の上に次の大会のオーダーが置いてありました。なんと!あんたベンチに入ってたよ。よかったじゃん。お祝いに、新しいバッシュ買っていいよ。欲しがってたやつ。この封筒に三万円いれといたからさ、お母さんのへそくり。それ使いなさいね。ドローン買おうと思って貯めてたんだけど、死んじゃったからもう使えないしアンタにあげるわ。

こんなところかな。せっかくパパじゃなくてアンタに特別賞つかったんだから、この情報は有意義に使いなさいよね。パパが知ったら拗ねるから言わないでよ。

ちなみに近況だけど、母さんは天国でまったり暮らしてます。家事しなくていいから楽よ。ま、アンタはしばらく現世で頑張んなさい。じゃあね。

母さんより」


なんてこった!母さん!
俺は叫びたい気持ちを抑えて、同封されていた三万円を握りしめた。バッシュを買い、数学の教科書を引っ張り出し、それからアキちゃんで抜いた。

そして夏休み明け、俺はアキちゃんに告白した。なんと、フられた。

「ごめん、気持ちは嬉しいけど……、私、サッカー部の早川先輩と付き合ってるんだ」

母さんがあんなこというから百パーセント付き合えると思って校舎裏なんかに呼び出してノリノリで告白した俺は口をあんぐりと開けた。
うちのキャプテンじゃないか!三年生で一番人気の早川先輩に勝てるわけなかった。そもそもアキちゃんは学年一の美少女なのだから当たり前だ。美男美女のお似合いカップルだったというわけだ。玉砕した。

期末テストは、別に確率はたくさん出なかった。どっちかといえば二次関数のが出たほうだ。数学の山内には確率だけほぼ満点だったぞどうしたんだ佐々木!二次関数は壊滅だったがハッハッハッ、と大声でクラスの前で言われた。もちろんアキちゃんの前でだ。

サッカーも別にベンチ入りしてなかった。小山田には「最近動きいいぞ佐々木!」って言われたけど。なんなんだよ。

結局、母さんの手紙は嘘ばっかりだった。腹が立った俺は母さんを裏切って、父さんにチクってやった。手紙を読むと、父さんは面白そうに目を輝かせて言った。

「すごいなあ。愛美は何でも知ってるんだなあ」

感心している父さんを見て、俺はやっと気づいた。母さんは、別に幽霊でも透明人間でもなかった。マモルは仏様のペットなんかじゃなかったんだ。

母さんは、ごく普通の母さんだった。ちょっとだけ息子に詳しくて、ちょっとだけ心配性で、ちょっとだけおせっかいな。

部屋に戻ってもう一度手紙を広げてみると、二枚目の端が、すこしだけ丸くふっくらしていた。俺は指先で、その母さんの跡をなぞった。
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