未来を売った男

文字数 1,736文字

「あなたの未来を売ってくれませんか」
 青年がバーで飲んでいると、横に座っていた初老の紳士が出し抜けに言ってきた。
「え、いったい何でしょうか」
 青年は驚いたが、ちょうど一人で暇をもてあましていたので、聞き流すつもりで付き合ってみようと思った。
「いえ、急に申し訳ない。実は私、他人の未来を買うことを趣味としていまして……」
 なるほど、と青年は思った。この老人は、少し頭がおかしいのだろう。
「失礼ですが、あなたはあまり懐の余裕がないのでは?」
 老人は目を見据えて言ってきた。青年は少しムッとしたが、それが事実なのでなにも言い返せなかった。
「確かに、私は金持ちではありません。でも、そこまで困ってはいませんよ」
 これが精いっぱいの抗いだった。老人はそれを見透かすように続けた。
「あなたは最近、会社をクビになった。飲み代だってバカにならないが、飲まずにはいられない、と言ったところでしょうか」
「どうしてそれを……」
「……なに、バーテンダーとの会話が聞こえただけです。ところで、未来を売ってくれるのなら報酬はしっかりとお支払いしますよ」
 未来を売る、とはいったいどういうことだろう。心が少し揺れた。それは単に報酬のことだけではなく、この老人の話し方や佇まいがどこか普通の人間と違って見えたからだ。
「具体的になにをしたらいいのです。あとで魂が欲しいだなんて言わないでしょうね」
「まさか、ご安心ください。報酬は現金です。実は私はもう隠居の身でしてね。以前はある会社の役員でした。だが、仕事漬けの毎日だったので、趣味や楽しみなどが皆無でして」
「はあ」
「急に時間を与えられたところで、なにをしていいのか分からないのです。そこで思いついたのが、誰かの予定を聞いて、その一日を売ってもらおうと考えたのです」
「つまり、ぼくの予定を聞きたい、と」
「早い話そうです」
「……条件とかはありますか」
「はい。その日は私と入れ替わってもらいたいのです。私はあなたの予定通りに行動し、あなたは私の予定通りに過ごす。どうです? 簡単でしょう。ちなみに、報酬は少なくても百万は約束します」
 気がつくと、青年は首を縦に振っていた。そして近々の予定を老人に事細かに伝えていた。老人は頷きながら話を聞くと、なかなかいい趣味だ、とつぶやきバッグから現金の束を取り出した。
 青年は化かされたような気分だったが、しばらくしてその札束を家で眺めていると、なんとなく真実味が出てきたのだった。
 数日後、約束の日。青年は早朝、指定されていた住所に向かった。老人の家だ。外観から金持ちだと分かる大きな屋敷だった。
「……さて、果たして本当かどうか」
 家に入ると、執事が出迎えてくれた。青年は少し躊躇したが、部屋に案内されお酒を飲んでいるうちに大胆になってきた。
「なに、ビビることはない。金持ちの道楽なんだ。よし、こうなったらとことん満喫しようじゃないか」
 そして青年は豪勢な一日を屋敷で過ごした。高級な酒、贅沢な食事、なんでも言うことを聞く執事。ただ、老人の予定が屋敷でくつろぐ、だったので外には出られなかったが、それでも青年には夢のような時間だった。
 夜になって、老人が戻ってきた。
「どうでしたか。お金と時間だけがあっても、面白くもなんともないでしょう」
「いえ、そんな、こちらこそありがとうございました。報酬までもらってなんだが申し訳がない」
「そんなことは気になさらずに。私もずいぶん、楽しみましたから」
 そして青年は家に帰った。ああ、俺にもようやくツキが回ってきた、人生捨てたものじゃないな、と思いながらテレビをつけるとニュースが飛び込んできた。
「本日お昼過ぎ、××付近で殺人がありました。犯人は依然、逃走中……」
 ほう、物騒なこともあったものだな、と思ったその直後、部屋の呼び鈴がなった。青年はもしかして老人の関係者かな、と思いドアを開けた。
 すると、そこには警察官が立っていた。
「殺人の容疑で逮捕する」
 青年は訳の分からないまま、慌てて言った。
「え、いったい何のことでしょうか。ぼくは何も……」
 と言いかけたところで、青年の顔は真っ青になった。あ、あ、もしかして……。
 青年の未来は、確かに、老人に売り払ってしまっていたのだった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み