群青

文字数 712文字

 君はあの空を見たことがあるだろうか。冬の夕暮れ。日が沈みきった頃、夜の濃紺が覆い尽くすまでのごく僅かな時間にだけ見ることの出来る空。私はいつまでたってもその光景を前に足を止めて立ち尽くす事を辞めない。冷たい空気が鼻腔から肺へ流れ込み、あの美しい青で自身の身体を染め上げるように満たされる。曖昧で鮮やかな群青に、私は染まる。こんな気分になるのはどうしてだろう。私がいるこの場所はひどく湿った空気で淀んでいるというのに。コンクリートを踏み鳴らす靴底の音、電光掲示板に映し出されたコカコーラのプロモーションビデオ、道路を行き交う車、呼び込みの店員、改札、耳障りな車輪の音。遠退いたと思われたそれら全てがヴォリュームを上げて僕の耳に響いてくる。いつまでも止む事のない喧騒がこの街には沈殿している。私はこの街が嫌いだ。掃き溜めのような路地を生みながら開発を繰り返し、ただただ膨張して行くこの街が嫌いだ。けれど私の生活はここにあって、私自身もその一部だった。
人波の無数に生えた足元を見ながら帰路につく。都内でも駅から少し歩けば波はいくらか凪いでくる。路地に入ってしまえば寧ろ閑散としていて仄暗い。多くの人にとってここは存在すら知られていない場所だ。皆見易いもの、顕著なものをこの場所の全てだと認識している。いや、その他を見ようとしていないのだ。たとえ塗装の剥がれたアパートや家屋がひしめくこの路地を通り過ぎたとしても不要な記憶として消去してしまうに違いない。私はそんな事を想像してやり切れない気持ちになった。
私は足を止め、眼を瞑る。彼らと同じように。この街と同じように。そっと眼を開けて空を仰いだ。空はまだあの美しさを留めていた。
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