第1話

文字数 14,535文字

私は鈴木弓36歳、バツなし独身。町工場の事務員だ。私は会社で外国人、主にフィリピン人のお世話係もしている。

工場の現場にはフィリピン、カンボジアから来た技能実習生がいる。



2017年8月。蝉が恐ろしい程鳴いている中、3人のフィリピン人が入社した。彼らは母国と日本入国後に日本語の集中研修を受けている為、生活に困らない程度の日本語ができる。会社と海外のエージェントの間には監理団体が存在し、橋渡しをする。監理団体は現地面接から日本での実習修了まで管理をする。



監理団体の営業三浦さんは40歳くらいだろうか、非常に癖がある女性。やたら声が大きく『はぃはぃはぃはぃ』が口癖、社長達にはボディタッチを巧みにつかい、ペコペコと頭を下げ、私達平社員にはとても横柄な態度だ。そして技能実習生には見下した態度で接する。私は正直苦手だ。



『社長、今回の子達は社長が面接で選んだだけありますね、まぁーいい子です。はぃはぃ』

『三浦さん、毎度ありがとね、今回も3年間お世話頼むわ』



フィリピン人3名はニコニコしている、でも緊張しているのが伝わる。

『鈴木さん、彼らにアパートの説明と入社の手続きお願いね』

『はい、社長』

立っているだけなのに汗が滴り落ちる。

お調子者の三浦さんと社長は早々にエアコンがきいた社長室へ入って行った。



『こんにちは、私の名前は鈴木です。よろしくお願いします。』

『よろしくおねがいします』

坊主頭の3人が大きな声で答えた。なぜかみんな5分刈りの状態で日本にくる。



今回の3人は

ルイス…22歳、セブ島出身、独身で婚約者がフィリピンで待っている。小柄ですきっ歯が印象的。日本語が堪能だ。ギターを弾くのが趣味。



ブライアン…26歳、身長183cm、大卒、セブ島出身、フィリピン人には珍しく長身。既婚で娘が2人いる。バスケットボールが趣味。



マーク…24歳、お腹がポコっと出ていて童顔、マニラ出身、パートナーがいるが結婚はしていない。息子が1人いる。日本のアニメが大好き。



フィリピンは宗教の関係なのか離婚ができない国なので、結婚せずにパートナーと暮らし、子供がいる人が多く存在する。

そのため自己紹介も『独身ですが子供がいます』と日本では聞きなれない自己紹介をする。



私は彼らをアパートへ案内し、日本での生活ルールを説明した。そして近所のスーパーとコンビニ、100円shop、交番などを案内した。

スーパーに行くとほとんどのフィリピン人実習生は牛乳を買う。フィリピンでは牛乳はとても高価なのだ。今回もそうだった。3人とも2本ずつ購入した。

スーパーを出るとクラクラするほど暑い、とにかく暑いので途中公園で休憩をした。

日陰を探し、藤棚の下の木がささくれている古びたベンチに3人を座らせた。

日本語堪能なルイスが

『すずきさんは フィリピンにきたことがありますか?』と私に話しかけてきた。

『ありますよ、でもボラカイ島とマニラに行っただけでセブ島には行った事がありません』

『そーですか』

ニコニコと3人が私に微笑む。

『すずきさん、にほんはフィリピンよりあついね』

『えっ、そう?』

湿度が高いせいか暑く感じるようだ。

私の中では当然フィリピンの方が暑いと思っていた。

『お肉や魚も買ったし、明日から仕事だからそろそろ戻りましょう』

汗だくの3人を連れ、早々にアパートへ戻った。

『明日7:45に会社に来てくださいね。また明日。困ったら私のメッセンジャーへ連絡してください。さよなら』



私は会社へ戻り、彼らの様子を社長へ報告し帰った。



夜8時頃、ルイスからメッセンジャーに、連絡があった。

『どうしました?』

『すずきさん、きょうありがとございました。わたしたち、すずきさんへおみやげあげるわすれました』

『アハハ、そうなんですね、わざわざありがとう。また明日。おやすみなさい。』

『おやすみなさーい、すずきさん』

何があったかとドキっとしたがなにもなく安心した。





翌日私はいつもより少し早めの7:30に出勤した。

会社の駐輪場に先輩フィリピン人に連れられ3人がいた。

『おはよございます、すずきさん』

『おはようございます。みなさん早いですね。よく眠れましたか?あ、レイさん後輩をよろしくね』

今月末に帰国する3人の先輩フィリピン人が彼らに色々教え自分たちがいた現場の引き継ぎをする。

3人は糊のきいた制服を着て出社初日で緊張している。

8:00からみんなでラジオ体操をする。3人のラジオ体操がめちゃくちゃで私は笑えて仕方なかった。糊がきいた制服は少し硬く動きにくいせいもあるのだろう。

今日も暑さが厳しくてラジオ体操をするだけで汗がすごい。

3人はラジオ体操が終わると安全衛生の講習を受け、早速現場へ入って行った。



お昼休みは食堂で食事をする。彼らに声をかけてみた。

『あれーみんなカップラーメンなの?』

『はーい、ラーメンとごはんだけ』

『残ったスープはあそこに捨ててね』

『スープ捨てないよぉ。よるごはんにかけまーす』

冗談かと思ったが本当にそのようだ。彼らの節約は私には真似できない。頭が下がる。

『みんな野菜も食べてね。先輩が食べている給食もあるからどお?』

『いくらですか』

『ごはんとおかずで320円』

『わーぉたかいね、いらない。わたしたちおかねないから』

『そうだね、まだお給料もらってないもんね、みんな体に気をつけて。じゃあね』



階段を降りていると3人が駆け寄ってきた。

『すずきさん、これどうぞ』

彼らはお土産だとドライマンゴーとバナナチップをくれた。

『ありがとう』

私は遠慮なくいただいた。



翌日彼らに私はアイスクリームを差し入れた。とても喜んでくれたが、マークが元気がない。

『マークさんどうした?』

『すずきさん、わたしリーダーなにいうわからない』

確かにマークは日本語力が乏しい。そしてマークの部署のリーダーは勤続35年のベテランで職人肌、口が悪い山本さんだった。



1週間後の勤務後、駐輪場に3人がいた。よく見るとマークが泣いていた。

『マークさんどうした?』

日本語堪能なルイスが私に説明をしてくれた。

どうやら山本さんがイライラしてマークに嫌がらせをしたそうだ。

マークの制服に草を投げつけ

『フィリピンで食べてただろ!食べろ!』と言ったり、

『暑いだろ!冷やしてやるわ』とホースでマークに水をかけたり。私は聞いていて呆れてしまった。これは完全なパワハラだ。

なぜかうちの会社の人はフィリピン人を自分たちより下にみているような人がちらほらいる。それが私には理解できなかった。彼らは異国に来て言葉や文化の違う中頑張っているどうしてそんな事をするんだろ?同じ日本人として悲しかった。



山本さんがもしフィリピンへ行き、言葉が通じない中、同じような目に遭っても何も感じないだろうか?

いや、きっと暴れるかしっぽを巻いて即帰国するだろう。



彼らと話していると隣の部署のリーダー原さんが近寄ってきた。原さんは山本さんの同期、海外赴任の経験もあり外国人に理解があるリーダーだ。

『なんかあったか』

『山本さんがマークさんに嫌がらせするみたいで…』と私は原さんに説明した。

『鈴木さん、土曜日彼ら暇かな』

『大丈夫だと思いますよ。聞いてみます?』

すると原さんが

『マークさん、ルイスさん、ブライアンさん 土曜日に一緒に出かけしませんか』と彼らを誘った。

3人は

『どこですか』

『それはシークレットです』

3人は喜んで

『はい、おねがいします』と

即答した。

『鈴木さんも土曜日良かったらおいでよ』

『土曜日か、あー残念。午前中に予定ありです。せっかくのお誘いごめんなさい』

その週に限って私は予定がはいっていた。

『そりゃ残念だ。またの機会だな。マークさん、土曜日はenjoyだ。だから仕事がんばれ』

マークも気が楽になったのか

笑顔を見せた。



律儀な3人は、原さんと出かけて良いかと監理団体へ連絡したようだ。

金曜日、三浦さんが会社へ来た。そして私も応接室へ呼ばれた。



『まーまーまー会社の方がお休みに誘ってくれたと彼らから大喜びで連絡してきましてね、ありがとうございますぅ社長!』

『あっ、そうなの鈴木さん?』

『はい、社長、マークが日本語がよく分からず悩んでいて、山本さんも言葉が通じず指導が厳しいようなんです。原さんがリフレッシュが必要かもと彼らを誘ってくれまして』

私は社長へ報告した。するとお調子者の三浦さんが

『社長!マークにもっと勉強させますからこの三浦におまかせあれ!』

三浦さんは、いつも言うだけで実際面倒を見てくれている職員は青野さんだと私は知っている。そして実習生から慕われている青野さんに嫉妬して、ある事ないこと社長へ言いふらしている事も。現にマークも青野さんへ連絡したらしい。そして青野さんがオンラインでお休みに日本語を教えてくれるそうだ。困った事があると実習生は青野さんへ連絡する。これは先輩実習生もみんなそうだった。



社長もベテラン社員の山本さんは外国人への指導に問題があると認識している。そして原さんが陰で外国人を支えてくれていることも。



土曜日の夕方ブライアンからメッセンジャーに連絡があった。

『すずきさん、いまなにしてますか。いえはかいしゃからちかい?』

『会社からだと車で20分くらいかな』

『ちかくになにがありますか?』

『スーパーサニーがあるよ』

『わたしいまからサニーいきます、すずきさんあえますか』

『どうした?サニーなら晩ご飯買いに行こうと思っていたからOKだけど…』

私は支度をしてサニーへ向かった。



キョロキョロしながら自転車で走っているブライアンが見えた。

『ブライアンさーん』

ブライアンが気がついて走ってきた。

『どうしました?』と聞くと

ジーンズのポケットからくしゃくしゃの小さな紙袋を出して私に差し出した。

汗のせいか少し湿っていた。

『これプレゼント』

『え?何?』

『みていいです』

くしゃくしゃの小さな紙袋の中には黄色のフクロウのキーホルダーが入っていた。

『どうしたの?』

『はらさんと マークさんとルイスさんと はながいっぱい、いろいろなとりいるこうえんにいったから、プレゼントです』

『ありがとう。そういえば、ブライアンさんと話すの初めてだね』

ブライアンは恥ずかしそうに

『はい、でもすずきさんとわたし、たんじょうびおなじよ』

『え!7月4日?』

『はい、そうです。でもあなたおねえさんです』

『どうして私の誕生日知っているの?』

『かいしゃのボードみましたから』

話を聞くとちょうど私より10歳下だった。

『あれ?ルイスさんとマークさんは?』

『あ、わたし とちゅうでバスケットボールへいった。らいしゅうしあいにでるからね』

彼は身長183cm。母国の町内ではそこそこ有名なバスケットボール選手だったそうだ。そして日本入国後すぐ地元地域のバスケットボールチームに呼ばれ、今日は片道15キロ先の体育館で練習をして、体育館からサニーへ直行してくれたのだ。

『たくさんじてんしゃではしりました。プレゼントきたないね、ごめんなさい』

『いえいえ、こちらこそありがとうございます』

お礼を兼ねてサニーのフードコートでお茶をした。



なぜだろう、ブライアンと話して私は心が浄化された気持ちになった。

彼はスマホの中のフィリピンの写真をたくさん見せてくれ、楽しそうに色々教えてくれた。

彼の自宅の写真を見て驚いた。

私は説明を聞くまで古びた小屋だと思っていたからだ。

錆錆で穴が数カ所空いているトタン屋根にブロックを重ねただけで水分が染み込んだようなどす黒い色の壁、木の箱の上にベニヤ板がひいてある。窓はなく真っ暗。

そこがリビングだった。

昭和を思わせる舗装されていない道。水溜まりの水を飲んでいる野良犬。

大雨で洪水になった写真では屋根がかろうじて見えるだけ。川になってしまった道で子供も大人も浮き輪で浮いている。しかも笑顔だ。

『どうしてみんな笑っているの?』

『しょうがない、あめたくさんだから。でもね、でんきだけきをつけます。あぶないね』写真を指さし笑っている。

『すずきさん、セブはタイフーンあまりこないのしってますか?タイフーンはセブのきたでたまごができるです』

台風の卵か、かわいい表現だなあ。



どんな環境でも笑顔を忘れないでいられる精神力が私に突き刺さった。

私は気がつけば文句や愚痴ばかり、何様だ!と自分が恥ずかしかった。

そしてフィリピン人の実習生は皆、何をするにもレディーファーストで、とにかく気遣いができる。過酷な環境で生活していただろうにどうしてこんなにピュアなのか。



気がつけば3時間が経っていた。

『今日はありがとう。また月曜日ね』

『すずきさんごちそさまでした。きをつけてください。またらいしゅう』

彼は大きく手を振り何度も振り返って帰って行った。



家に着いても私はうわの空。

私は今までたくさんの実習生のお世話をしてきたが、

1人の実習生とこんなに長い時間話した事は初めてだった。

何とも言えない感覚だった。



それから私はメッセンジャーで毎日のようにブライアンと会話をした。





ある秋の日、近所の方から柿をたくさんいただいたので

実習生へお裾分けした。

『うわーほんとー?いいですか?』

『はい、もちろん』

『でもとてもたかいね、もったいないですから』

『たくさんあるからどうぞ。ここは柿が有名なんですよ。是非食べてみて』



いつもより遠慮している彼らに事情を聞くと柿は日本でマンゴーが

高いのと同じでフィリピンでは輸入品なのでとても高く

食べた事がない人がほとんどだと言うことだった。

こんなに喜んでくれるなら、次の社内会議で花壇に柿の木を植えても

いいか聞いてみようと思った。

ルイスとマークは笑顔だが、ブライアンの顔つきがいつもと違う。

その晩ブライアンから連絡はなかった。



翌日 柿がよっぽどおいしかったのか、彼らが私の似顔絵付きの

お礼の手紙をくれた。似顔絵はアニメ好きのマークが書いてくれたそうだ。手紙にはSkypeでフィリピンの家族へ柿を見せて、初めて食べた柿の味や感想を伝えたと書いてあった。私はとても嬉しかった。

彼等と同じくらいの年齢の日本人男性がこんな風に似顔絵付きのお礼の手紙をくれるだろうか?いや、まずないだろう。



ブライアンは話しかけてもいつもと明らかに違う。

『どうしたの?』

『すずきさん、あおのさんからでんわありましたか?』

『ないよ。どうして』

彼は何も言わない。気になって私は青野さんのFacebookに連絡をした。

青野さんからすぐ電話があった。



『実はブライアンさん、会社の人に隣の会社の駐車場にとまっている車からホイルを盗んでこいと脅されたようで…嫌だと何度断っても背中を押されて、困って走って逃げたらしいんです。その人がブライアンさんの会社の人の車をわざとパンクさせてブライアンさんがやったと嘘をついて…。うちの三浦が今日伺いませんでしたか?』



『え?三浦さんですか?来ていませんよ』



『鈴木さん、申し訳ないんですが、ブライアンさんが心配なので社長に報告していただけませんか』



『もちろんです。誰か名前は聞いてますか?』



『名前は分かりませんが、金髪で手の指にタトゥーがある日本人だそうです』

私はすぐに誰かわかった。

『青野さん、また報告します』



翌日私は社長に話した。

ブライアンも呼ばれ、三浦さんも登場。細かなニュアンスは言葉が出ないためフィリピンのエージェントがWebで参加して通訳をしてくれた。

社長は申し訳ないと何度もブライアンやフィリピンのエージェントに頭を下げた。

該当の日本人は東北工場へ転勤を命じられ、応じる事ができないと辞めていった。

青野さんにも報告し、青野さんも安心した様子ではあったが、逆恨みが怖いと警戒していた。

その点は何かあってはいけないからと社長が一筆書かせたようで私もホッとした。



その日の夜ブライアンから連絡があった。

『すずきさん、ごめんね。わたしにほんじんだいすきだった。でもショックだったよ…。だからすこしげんきなかったね』

『ごめんね、悪い日本人ばかりじゃないから、許してね』

なぜか私は涙が溢れた。どうしてこんな事をするんだろう。許せなかった。

あんな奴辞めて当然だ!私は自分の事のように怒りが込み上げていた。



ブライアンに嫌がらせをした日本人が辞めてから、その同僚の安田がブライアンに対して当たりが強くなった。マーク、ルイス、ブライアンは出勤も退勤も一緒だ。

ある朝、休憩室から大声が聞こえた。私は走って休憩室へ向かった。時刻は7:40だった。

『おめー達来るのが遅いんだよ!』

そう言うとは安田はブライアン達目がけて火のついたタバコを投げつけた。

私は思いっきり安田を睨み、安田に注意しようとしたその時、安田が休憩室の机を蹴り上げて私に暴言をはいてきた。私が無視すると今度は壁を蹴った。

ルイスが今にでも手を出しそうなくらい怒っているのが私にはわかった。

でもルイスは自分を押し殺して、落ちたタバコを片付けてくれた。

気が収まらない安田はその後も大声をだしながらあらゆるものを蹴っていた。

私は3人を連れ休憩室から外へ出た。



事務所へ行きすぐ上司へ報告をした。

8:00始業なのに7:40で遅いと文句は言うのは筋違いだ。しかも喫煙場所でない所で喫煙し、火のついたタバコを人に投げるなんてあまりにもひどい。

でも上司は安田を注意しなかった。



安田は背中一面にに龍の刺青があり、それを、やたらと自慢するような人間だ。そして薬物依存症だった過去がある。なぜか歯もない。

つい先日も付き合っている年上の彼女を骨折させた事を昼休みにみんなに話していた。しかも骨折した理由は夜の営みが激しかったからだと自慢げに話していたのだ。

だが私は安田の彼女から安田が夜の営みがとにかく雑でお粗末、一度も満足した事がない!と不満をもらしているのを何度も聞いていた。

安田の彼女は私と同じ事務員で、私より4年先輩の40歳。バツイチで息子が2人いるシングルマザー。

安田には内緒で飲み屋で知り合った男性数人と関係を持ち対価としてバッグや洋服を買ってもらっている。

男性と会う時はお財布を持っていかないのが彼女のポリシーで「心開かず、股開く」が彼女のモットーだ。

『私はモテモテのお姫様だから』と長い髪をかき上げながらしょっちゅう私に言ってくる。

『いいえ、顔はシミだらけ、髪は傷んでゴワゴワまるで藁みたい、お姫様でなくほっぺがたれてブルドッグみたいですよ…』私は彼女がお姫様だと言ってくると心の中でそう答えている。ささやかな抵抗だ。

私から見ればくだらない似た者同士のカップルだ。



そんなこんなで安田には誰も注意ができないのが現実だった。

安田は裸の王様のようだった。



安田の怒りはおさまらず、事務所へ来て私の机を勝手に開けるようになり、差し入れでいただいたお菓子や同僚からいただいたお土産が入っていれば勝手に持っていくようになった。周りの人も関わりたくないから…と何も言ってくれない。安田の彼女すら何も言ってくれない。そりゃそうか、安田と付き合っている事は私しか知らない。だからこそ、助けて欲しかったが、私はいつのまにか孤立していった。



毎晩会話するブライアンが私に言った。

『すずきさーん、おてんとさまみてます』

『すずきさーん、スマイルよ』

お天道様が見ているから大丈夫、笑って!と言いたかったのだろう。

『ブライアン、お天道様知っているの?日本語どんどん覚えていてすごいね!』

正直言うと私は毎日会社へ行くのが嫌になっていた。

ブライアンは私が元気がないと感じたのか?

でもこんな風に私を励ましてくれる人がいるから頑張ろう!と前向きに考えようと思えた。



クリスマスが一大イベントのフィリピン人、そんな彼らのクリスマスパーティーに招待された。近くの公民館の一室を1日借りたようだ。



日本の肉じゃがのような『アドボ』やナスやオクラが入っていて少し酸味のあるスープ『シニガン』ナスやいんげんと牛肉をピーナッツソースで煮込んだシチューのような『カレカレ』、細かく刻んだ豚肉をしょう油やビネガー、にんにく、唐辛子で炒めた鉄板料理『シシグ』などたくさんのフィリピン料理と絵の具で塗ったかのようなビビットカラーの派手なケーキが並ぶ。



カラオケが始まり、ダンス大会、プレゼント交換やビンゴ、この感覚は幼い頃、子供会のイベントで味わったような懐かしい感じのパーティーだった。

みんな陽気でとにかく明るい。とても楽しかった。

こんなにたくさんのフィリピン人が近くに住んでいるんだなぁと驚いた。



フィリピン人の若い女性がモジモジしながらブライアンに声をかけている。小柄で可愛らしい娘さんだ。どうやら彼女はブライアンに恋しているらしい。

告白しているのを周りのみんなが盛り上げている。

その時なぜか私が呼ばれた。

え?なんで私?意味がわからなかった。

ブライアンに手をひかれ1段高い舞台上にあげられた。

私に向かいブライアンが



『ギヒググマ・コ・イカウ』と言った。



なんだ?このおまじないみたいな言葉は?と呆気に取られていると

ヒューっと指笛があちらこちらから鳴る。クラッカーがなる。

え?何?これ?

どうやらブライアンはフィリピン人の女性からの告白を断り、『あなたを愛しています』と母国語のビサヤ語で私に言ったのだ。



今までフィリピンからの実習生はマニラがあるルソン島の人ばかりだったので、タガログ語を話す人ばかりで、セブ島で使われるビサヤ語の言葉を私は全然知らなかった。

ルソン島の実習生は『愛してる』は『マハルキタ』と言っていた。

『ギヒグンコイカウ?』なんじゃそりゃ状態だった。

私はどうして良いのかわからなかった。

彼の人柄は申し分ない。誠実だし仕事も真面目。

でも彼は奥さんも娘さんもいる。

私は恋愛感情を持つことは許されない。

言っている意味が分からないとひたすら濁してその場は切り抜けた。



年が明け、またひと騒動あった。



カンボジア人のソポさんが眉毛を剃り落とし、頭をまるめ出勤したのだ。しかも何も話さない。いつもニコニコ愛想の良い彼が今日は笑顔もない。眉が無いせいか人相が悪くなってしまい、いつものソポさんとまるで違いみんなが怖がっていた。



今日に限ってカンボジア人のお世話をしているマリエさんがいない。

現場の酒井さんが私の所へ来た。

『すずきさーん!ごめん!今日はマリエさんが有休でいないんだ。悪いけど、ソポさんの件頼める?』

『わかりました』

私も何がなんだかよくわからないので、私は監理団体の青野さんに連絡した。

青野さんから『カンボジア人は身内に不幸があるとあらゆる体毛を剃り落とす地域があるので、ソポさんはその地域出身者なのかもしれない』と教えてもらい、ソポさんと話をした。青野さんの話通りだった、ソポさんのお母さんが今朝亡くなったそうだ。ソポさんは亡くなった母の葬儀のためその日の便で急遽カンボジアへ向かった。



私は青野さんから思いがけない報告を受けた。

『鈴木さん、実は私退職するんです。今までありがとうございました。改めてご挨拶に伺います』

実習生思いの青野さんが退職するなんて信じられなかった。



彼女は実習生の為に旅行やスポーツ大会、文化教室などのイベントを催行してくれたり、お盆や年末年始のような長期の休みには実習生のために日本語教室をひらいてくれた。問題があれば休日だろうがすぐ駆け付けてくれて、口だけの三浦さんとは比べものにならない人だ。



実習生が日曜日教会へ行くため乗ったバスでスマホを忘れた時もバス会社へ連絡し、日曜日なのにバスの車庫まで取りに行ってくれたこともあった。

歯が痛いと夜連絡してきたと夜間も診療している歯医者へ同行してくれたり、いつも実習生を家族のように見守ってくれていた女性だ。

この仕事が大好きだから定年まで頑張ると言っていたのに何かあったに違いない。

それを目の当たりにする出来事に遭遇した。



青野さんが後任者を連れて挨拶に来た。実習生への差し入れだろうか手土産を用意してくれている。

でもおかしな事に既に社長室には三浦さんがいる。

社長室を案内すると、社長が



『あんた一体何しに来たの?アポなしで!お引き取りください!』

門前払い状態だ。

青野さんは中にいる三浦さんに明らかに驚いている。



『社長、色々お世話になりました。この度退職することになりして。こちらは後任の松本です。今後ともよろしくお願いいたします。これは実習生へお渡しください』と実習生への手土産を差し出すと



『こんなものいらないから持って帰ってくれ!』と社長が勢いよく振り払った。

手土産が廊下の床に無惨に落ちている。そして扉を閉め施錠する音がした。

そして部屋の中から

『鈴木さん、実習生に会わせないで!帰ってもらって』

社長の声がした。私は社長に失望した。



青野さんに対しての社長の振る舞いが私にはどうしても納得できなかった。



私の中の社長への不満がふつふつと湧いてきた。

今日は大雨が降っている。社長は会社の玄関に自分の高級車を横付けし、お客さんには遠くの駐車場に停めさせて平気でいる。雨に濡れてまで挨拶に来てくれた人へなんだその態度は!実習生も最後青野さんに会いたいだろうになんて人だ!

そうだ!この怒りはあの時と同じ。

社長の口から放たれた有るまじき言葉がフラッシュバックした。



『あいつら俺が要らない物を捨てようとコンテナに運んでいたらさぁ、欲しいって言い出してさー、ハイエナみたいだよな(笑)捨てるもんだぜ(笑)笑えてブログにupしちゃったよ』



実習生をハイエナ呼ばわり?それをブログ?耳を疑いたくなる話しだった。

『社長』と言う肩書きに胡座をかいてそんな言い方をしている。

醜い。こんな人の下で私はこのまま働いているべきか悩んだ事を思い出した。



青野さんの頬を涙が滴り落ちる。

『鈴木さん、今までありがとうございました。最後こんな姿で恥ずかしいわ。実習生に挨拶できず申し訳ないです。身体に気をつけてがんばるようにお伝えくださいね』



私はなんと言葉をかけていいか分からなかった。



後任の松本さんも『これはあんまりですよ。三浦さんも何を考えてるんだ!』と興奮している。

涙が止まらない青野さん。

『鈴木さん、人材って漢字、材は宝の方の「財」って書くべきよね…フィリピンから来て頑張っている彼らはまさに人財だわ。くれぐれもよろしくお伝え下さい。お忙しいところお邪魔しました…』

社長に振り払われてぐしゃぐしゃになった実習生への差し入れを

悲しそうに拾うと、青野さんと松本さんは帰っていった。



今まで、どれだけ青野さんが実習生に問題ある度に駆けつけてくれたかを社長は知らないのだろうか。

三浦さんはいつも言うだけで青野さんが実習生の盾となり支えてくれたのに。

どうして同僚の三浦さんは青野さんがこんな目にあっていても何もいわないのだろうか?

私は三浦さんにますます不信感を抱いた。



後日松本さんに青野さんが三浦さんたちにハメられて濡れ衣をきせられ辞めた事を聞いた。

社長へ挨拶に出向く日のアポも三浦さんが『私が連絡しておきますから…』と社長へ連絡しようとする青野さんを阻止したらしい。

青野さんが解決してくれた問題は全部三浦さんが自分でやった事にしていたそうだ。

監理団体の組合長は青野さんの人柄を良く知っているので、三浦を辞めさせるから残って欲しいと引き止めたが、彼女は断り去っていった。残る事はできたのに、大好きだと言っていた仕事を辞めるにはそれなりの理由があっての事だろう。

青野さんは監理団体で関わった全ての人と縁を切るために電話番号も変え、FacebookやInstagramのアカウントも削除したらしい。帰国した実習生数人から私の所へ『青野さんと連絡がとれない』とメールが届いた。青野さんは帰国した実習生のフォローアップもしてくれていたのだ。

三浦さんは恐ろしい人だ。

彼女は最近離婚してシングルマザーになり、一軒家を購入したらしい。生活のためなのか組合の備品を持って帰ったり青野さんのポジション欲しさで営業へ行く度社長たちに青野さんの事を悪く言っていたようだ。でも幸いにも青野さんを昔から知る人達が三浦さんを青野さんのポジションへ置くことは阻止したと聞いた。

青野さんは国籍関係なく全ての人に平等だった。私は青野さんに色々教えてもらった。尊敬していた。実習生も私もみんな青野さんが大好きだった。



青野さんという大きな存在を失ったある日問題が発生してしまった。

マークが隣町のフィリピン人実習生の女子寮に忍び込んだのだ。女子寮で実習生の同僚に見つかりそのまま御用。

社長が謝罪に出向き、喧嘩両成敗の如く事なきを得た。

教会で知り合い、お互い結婚していませんが、子供はいますの状態だった。交際して3ヶ月が経っていた。



私は相変わらずブライアンと毎晩連絡を取り合って色々な話をした。



ある晩、私は何度行っても途中で挫折して頂上まで行けない神社がある話をブライアンへした。ブライアンは

『あしたやすみだからそこいきましょー、どうですか?』と言ってくれた。

『じゃあ10:00に迎えにいくね。歩きやすい服装でね。また明日』



翌日申し分ないお出かけ日和だった。私は久しぶりにウォーキングシューズを引っぱり出し、ブライアンを迎えに行った。

車中もたどたどしい日本語でくだらない話をして笑いが絶えない。

信号待ちで窓の外を見ると、鉄塔からのびる電線にたくさんのスズメが点々にとまっていて、五線譜の音符のように見える。ブライアンにそれを伝えたいが、言葉が出ない。私は英語が話せない。共有できないことがもどかしかった。



車がすれ違うのが難しいほど細い道を進むと急に拓けて神社が見えた。

神社の駐車場は車が1、2台あるだけだった。

晴天なのに、竹林が続く道は少し薄暗い。小川が流れ、丸太の橋を渡り、山を登って行くと頂上の三重塔と観音様が見える。毎回山の途中でギブアップしてしまうが、今回はブライアンが手をひいてくれる。

段の間隔が広かったり、狭かったり、高さがまばらで上がりにくい階段があり、息が上がった。そんな時もブライアンは止まって私を見下ろし『だいじょうぶですかー』とにこやかに声を掛けてくれた。

枯葉の中から変な虫が出てきて私は悲鳴をあげた。急いでブライアンが降りて来た

『すずきさん、フィリピンいけないな。フィリピンは むしもヘビもたくさんだから』

そうか、彼のふるさとの景色はきっと全然違う世界なんだ。

チョボチョボと水の音がする。水量の少ない小さな滝の横に屋根のある休憩所があった。年季の入った千社札がたくさん貼られていて

天井には龍の絵が書いてあった。

龍を見ると安田を思い出すので龍は苦手だ。



2人同時に

『やすみましょう』と言った。

会話する事なく座って水分をとり、休憩をした。

老夫婦が歩いてくる。

『お父さん、ここ座れるわよ』

奥様がご主人を招く。

私たちは腰を上げ再び頂上を目ざした。

40分ほど歩きやっと頂上に着いた。

誰もいない。貸切状態だ。

初めて見る三重塔や観音像に興奮するブライアン、普段は冷静なタイプの彼が無邪気にスマホで写真をところ構わず撮っている。

そんな姿を見て私は嬉しかった。もちろん初めて頂上に辿り着けた事も嬉しかった。

頂上で不意をついてブライアンが私とのツーショット写真を撮った。

2人で写真を撮った事はない。私はフィリピンにいる奥さんや子供達に申し訳なく感じるから思い出に残る写真は撮らないようにしようと決めていた。もちろん深い関係になる事も。

私はキョトンとした顔で写っていた。

ブライアンが写真を見せてくれた時に私は急いで削除した。

『どうしてけしましたかー!』

仏頂面のブライアンがかわいかった。

頂上から降りる時も心地よい風が吹いていて最高に癒された。



山を降りている時、こんな人が彼氏だったら今日のように、できないと諦めてしまうことも乗り越えられるのだろうなあ…ふとそんな事を思った。



私は彼らのイベントにも呼ばれる事が多くなった。

フィリピン式の誕生会は日本とは違い、誕生日を迎える人が色々準備をしてもてなす。

日本では誕生日おめでとう!と誕生日の人をもてなし、お祝いしてプレゼントを渡すので少し戸惑った。

私とブライアンが仲が良いので、周りからは深い仲だと勘違いされ、そう言った質問をよくされるようになったが、至ってプラトニックな関係だ。こんなに親しくなってもプラトニックなのは彼が既婚だからお互いブレーキをかけている。

お互いそれは絶対に守ろうと誓っていた。

こんなにも仲よくしていても、プラトニック。身体を重ね合わすよりも深い繋がりかもしれない。



そんなブライアンと私は毎晩話す時最後に

『ギヒググマ・コ・イカウ』と必ず言う。





時は過ぎ、いよいよ帰国する年になった。

誕生日が同じなので最後の年の誕生日はブライアンの行きたい場所へ行くことにした。

彼が選んだのはUSJだった。

旅の計画はワクワクが止まらず、こんな年になってもときめく事があるんだと自分が不思議だった。

あっという間に当日を迎えた。

さすがにUSJは混雑していた。

はぐれないようにずっと手を繋いだ。

本当なら手を繋ぐ事もすべきではないとは分かっている。でも最後だからと手を繋ぐことは許してしまった。

お互い手汗がすごくて笑ってしまった。

私はブライアンのカメラマンかのように彼の写真をたくさん撮ってあげた。



夜のパレードに目を奪われている中

『すずきさん、わたしりこんしたい。でもフィリピンはりこんむずかしい。いえをたてるよりもおかねがかかります。まっていてくれますか?』そう言って彼は指輪を出した。

複雑な気持ちになった。そんな時でも夜のパレードは眩しくキレイだった。

冷静に冷静にと自分に言い聞かせ絞り出した言葉…

『フィリピンに帰ってから考えてみて』と私は答えた。

『わかりました。でもきもちかわらないよ』

『本当にフィリピンで考えても気持ちが変わらず、離婚できた時にその指輪もらうね』

楽しい時間はあっという間に過ぎた。



帰国する前の最後の週末3人のお別れ会が開かれた。

ブライアンは私の大好きなミスチルの歌を日本語で歌った。

必死で練習したそうだ。

正直音痴すぎて複雑だったが、その気持ちがうれしかった。



そして帰国する日。

早朝から会社のみんながアパートへ見送りに行った。

あの厳しい山本さんが泣いていた。マークとは最初色々あったが、マークは技術が高く、帰る頃には山本さんの右腕状態だったのだ。

ルイスは最後まで日本語も技術も優れた優等生だった。

ブライアンは仕事が早く、丁寧なので周りからの信頼も厚かった。

ブライアンが私にビニール袋を渡した。

『かならずかえってきますから、もっていてください』

中をみるとバスケットボールのユニフォームだった。

『おあずかりしますね』

泣くのを我慢して私は笑顔でそう答えた。

『さぁさぁさぁみんな行きますよ!』

早朝なのに三浦さんが手を叩きながら大きな声で叫ぶと3人が車に乗った。

3人は車の中から何度もみんなに手を振り、頭を下げている。

このシーンは何度体験しても慣れない。寂しさがあふれる。



私は飛行機がたつ時間に事務所を出て、ふと空を見上げた。

雲ひとつない青い空だった。



その日の夜、ブライアンから連絡はなかった。

私はふと彼のFacebookを覗いてみた。

家族との再会の写真がたくさんupされていた。奥さんとKissしている写真も。

奥さんと子供達と手を繋いでいる写真には

gihigugma ko ikaw

と書かれていた。

彼はフィリピンで本当に幸せそうだ。私がUSJで彼に伝えた言葉は間違っていなかった。

フィリピンで考えた時、彼が出した答え。それは家族との幸せそうな写真とgihigugma ko ikawの言葉で明確だった。



ブライアンからの連絡は帰国後一度もない。私からも連絡はしていない。

預かっているユニフォームと黄色いフクロウのキーホルダーはクローゼットの一番下にしまってある。

彼が日本にいた期間、私は彼に支えられていた。感謝しかない。彼が幸せならそれでいい。



今回の事を含めて私はたくさんの事を外国人から学んでいる。

井の中の蛙大海を知らず

ホントその通りだ。
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