第1話

文字数 1,992文字

 ――五十年に一度、約束の日に十六歳になる男は山の古い神社に住む守り神に生け贄として身を捧げなければならない――

 そんな古いしきたりを守るため、今日十六歳の誕生日を迎えた俺はひたすら山を登っていた。

 生まれた時から自分が生け贄になることはわかっていた。

 だから覚悟はできているしなんてことはない。

 村に災いがなければそれでいい。

 俺ひとりが犠牲になることでみんなが幸せならばそれでいい。

 不思議と恐怖心もなかった。

 守り神がどういう姿をしているのか、そんなことも今さら考えたってどうしようもない。

 とにかく頂上を目指してひたすら歩き続けた。

 陽が傾きかけた頃、やっと神社への階段が現れた。

 俺は階段を上り、奥のお社の扉を開けた。

「ごめんください」

 中は見た目よりもずいぶんと広く綺麗だった。

 畳が敷き詰められた部屋の真ん中に大きな白い犬が寝そべっていた。

「犬?」

 俺が思わずそう口にするとその犬はひょこっと顔を上げた。

 人間よりも遥かに大きい犬の毛は真っ白で、俺を見つめる目は赤い色をしていた。

「なんだ、もう五十年経ったのか」

 白い犬はそう言いながら立ち上がると、犬らしく体をぶるぶると振ってから俺の方へ近付いてきた。

「はじめまして。マコトと言います」

「マコトか。疲れただろう。とりあえず座れ」

「はい、お邪魔します」

 俺は言われた通りにお社の中に入って畳の上に座った。

 その間、犬はおすわりをしてしっぽをブンブン振りながらこっちを見ていた。

「あの……」

「ふむ、マコトは珍しい人間だな。ここに来る者は皆恐怖で怯えている様子だったがお前は違う」

「あぁ、はい。不思議と恐いとは思いませんでした」

「ふん、変わった奴だ」

「あの……あなたが守り神ですよね?」

「ふはっ。そう呼ばれているらしいな。だがマコトよ、残念だが守り神だとか村を守るだとか、オレにそんな力はない」

「はい?」

 大きな犬の守り神は立ち上がるとくるりと回って見せた。

「見てみろ。オレはこの通り犬だぞ。そりゃあこれだけ長く生きてりゃ少しは妖力は使えるが、村を守るほどの力なんてないわ」

「そんな……だったら、村はどうなるのですか?」

「どうもこうも、今までこれと言って厄災も何もなかっただろう? それはオレの力ではない。この辺りは気候もいいし作物もよく実る」

「じゃあ、村のしきたりは」

「何がどうしてそうなったのか。オレが子どもの頃はご主人様もいたし参拝に来る者もいた。よく覚えていないが気がつくと人は誰もいなくなりオレはずっとひとりで生き続けてきた。ただそれだけだ」

「……今までの生け贄たちは?」

 俺はお社の中を見回したが、人の気配は全く感じられなかった。

「こうやって事情を話しても今さら村には帰れないと言うから自由にしろと言った」

「それで、どこへ?」

「皆十六歳の若い青年たちだ。町にでも出てみたかったのだろう。マコト、お前もご苦労だった。村に帰るもよし町に行くのもよし。好きにしろ」

 そう言われた俺は守り神を見つめながらしばらく考えた。

「……だったら……だったら俺はここに住みます」

「何? ここに住む?」

「はい。確かにこのまま帰っても村の人たちは信じないだろうし不安にさせたくもありません。それに町にも興味はないです」

「だからと言ってここに住むとはまたどうして」

「だってあなたはずっとひとりだったのでしょう? こんな山の中にたったひとりだなんて寂しすぎます」

「寂しい? オレが?」

「はい。話し相手もいないし夜もひとりぼっちだ。きっと寂しかったはずです。だから今日から俺がずっとあなたのそばにいます」

「フッ……はっはっはっ、本当にマコトは変わった人間だ」

「好きにしろって言いましたよね」

「わかったよ。お前の好きにしろ」

「ありがとうございます! あ、あの……ひとつ……お願いが」

「なんだ」

「ちょっとだけ触ってもいいですか?」

「はあ!?」

「お願いします! 俺、犬が大好きなんです」

「なっ、そんなこと言われても」

「お願いします!」

「……うむ……少しだけだぞ」

「はい! ありがとうございます!」

 俺はすぐさま守り神の大きな体に抱きついた。

「わぁ……ふわふわだぁ」

 真っ白でふわふわの身体を撫で回した。

「……ほう、人間と触れあうのは久しぶりだ」

 守り神はおとなしくおすわりしていた。

 俺はそのまま首の辺りを両手で掻いた。

「言っただろう? 遠い遠い昔のことだ。オレも人間と一緒に暮らしていたことがあった。マコトに撫でられてあの頃のことを思い出したよ」

 守り神は気持ち良さそうな顔をしていた。

「お前の手はあのご主人様の手と似ている。とても優しくて、とても暖かい手……そうだ……確か……あのご主人様は十六歳で……」

 どこか寂しそうな目をした守り神。

 俺はそんな守り神が愛おしくなって、陽が落ちてしまうまでずっと、守り神に寄り添いながら体を撫で続けていた。





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