第1話

文字数 1,996文字

決戦は金曜日と決まっている。
ただ、そう大したことはない。これは家族会議なのだ。
それでも晩御飯を食べている時、次女のレミは時折こちらを睨みつけてくる。完全にこちらを敵とみているようだ。戦闘体制である。
長女のマナは涼しい顔で魚と格闘している。猫背で前かがみになると、前髪が垂れるので、「髪しばって」とママに叱られる。そのためいつもご飯前に髪を縛るのが我が家の習いだ。髪がつくでしょ、汚いでしょ、ゴムで縛りなって、何回言ったらわかるのッ。習慣ができるまでに、誰かの本気の怒りが何度も必要なのだと40歳過ぎて知った。
妻は仕事の疲れが溜まっているのか、物憂げな顔で箸を運んでいる。少しでもつついたら100倍になって返ってきそうな雰囲気がある。要注意だ。
今夜の議題は、YouTubeを始めるかどうか、である。子供の姉妹がやっている人気チャンネルに娘二人ともハマっており、スマホの動画でごっこをしている間は良かったが、幼稚園の年長になった次女の同級生に自分のチャンネルを持っている子がいて、それにすっかり刺激されてしまった。
食後は珍しくそれぞれ食器を自主的に片付けると、子供部屋に2人でこもり作戦会議のようだ。恐らくレミが例の子に色々と聞いたのだろう。ただ、園児の情報などたかが知れている。私はのんびりと食後のコーヒーを楽しんでいた。
会議は20時半からだ。妻はいつものようにイスに座ってスマホを見ている。右手で前髪を一本一本引っ張っているのは憂鬱な証拠だ。こりゃ、孤軍奮闘だな。私は諦めて、テレビを消した。
「ようし、始めるか」
子供部屋に声をかけ、私は妻の正面の席に座った。私の右側がマナ、その向かいがレミで、レミは斜めに私を睨みながら乱暴にイスを引き、ドスンと座った。
「パパ、絶対にやりたいの。なんでダメなの」
いきなりふてくされてレミが切り出した。
「ダメとは言ってないでしょ。ただ」「パパ、大丈夫だよ」
マナが私を遮って、続ける。
「編集はスマホで簡単にできるアプリがあるんだって。だからそんなにお金かからないし」
マナは急にお姉さんになった。スマホを買ってくれたら私が編集やるよと先日も詰め寄られた。スマホはまだ与えたくない。それは理解してくれたようだが。
「パパが一番気にしているのは、お友達とかにからかわれないか心配なのよ」
「みんな仲良しだよ。誰もそんなことしないよ」レミが身を乗り出して反論する。
「いろんな人が見るからね。嫌なやつもいるし、嫉妬して嫌がらせしてくるかもしれない」
「シットってなに」レミの質問を無視してマナが口を開いた。
「パパはなんでそんなに嫌なことばかり考えるの。そんなこと言ってたら、なにもできないと思うけど」「可愛い娘に何かあったらどうしようって、親はいつも不安なんだよ。それにパパは気が小さいから、最悪のことを考えておかないとなかなか新しいチャレンジに踏み切れないんだ」「ねえ、だからシットってなによ」「レミだって、自分より足の速い子うらやましいと思うでしょ。ユキちゃんは自慢ばっかりするから嫌いだって言ってたじゃない。レミが有名になったら、それをイヤだと思う人もでてくるわけよ」「ユキちゃんはみんなに嫌われてるんだよ。レミはユキちゃんじゃないよ」
子供に説明するのは難しい。妻はスマホに夢中。仕事は五里霧中なのに。
「レミ、いまユキちゃんは関係ないの。パパは私たちが有名になるのが嫌なんだって。でも、有名になったらお金持ちになれるよ」「お金は関係ない。お金のためなんだったら、パパは絶対に反対」「もうやだぁ」
レミが机に突っ伏して泣き出した。「パパ嫌いッ」
「いや、あの」
子供に泣かれると困る。
「やればいいじゃない。やってみれば」
突然、妻が口を開いた。
「簡単にいうけど、じゃあママは編集する?」「そんなのパパに決まってるじゃない。好きでしょ、そういうの」
我が家の記録係はすべて私だ。ズボラな妻は一切しない。
「ママは呑気だなぁ」「何も毎日更新しろって言ってるんじゃないんだから」
その時、ぷぅとおならの音がした。
「あ、ごめんなさい」妻がおどけて頭をかいた。
私は苦笑して「気の抜けたおならだなぁ」と娘たちに笑いかけた。
「ママ、くさい」レミが笑って鼻をつまむ。
マナも笑って、「そうだよ、パパ。ママの言う通り。想い出づくりにやろうよ。パパが心配するほど誰も見ないよ」
レミが目を輝かせて、「どれくらい見てくれる? 3万人?」
「そんな。じいちゃんばあちゃんだけかもよ」「ええッ、それじゃつまんない」「それよりみんなにみてもらえるような面白いものやらないと」「そっか、なにする」
子供は勝手に盛り上がっている。楽しそうな2人の様子をみて、私は「想い出づくりか」と呟いた。少し心が動くのが自分でもわかった。最初はパンケーキでも作ってみるか。ダンスもいいか。
ふぅわぁあ〜。妻が大きなあくびをして、みんなで笑った。
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