第1話

文字数 1,990文字

「あーもぅ、頼むよタク! あんただけが頼りなのに!」
 一華はそう言って両手を頭にやり、髪を掻きむしった。
『だからゴメン、て』
 俺は反射的に謝罪の言葉を口にしていた。けれども、出したくても声は出ない。一華は焦ってベッドから飛ぶようにおり、急いでカーテンを全開にする。大急ぎで部屋の入り口を目指し、バタンと音を立ててドアを閉めたと同時に階段を駆け下りて行った。一華が出て行くのを見計らったように、右上から重厚で艶のあるバリトンボイスが届く。
「理不尽だよなぁ? お前は誰よりもよくやっていると思うぞ」
 慰めるようにしてそう声をかけるのはディック。ここ、楠木家では俺の次に古株だ。
『全くだ。毎日毎日、一華の為に尽くしてるというのに』
 俺は盛大な溜息をついた。
「あーお腹空いた。いつもならもうご飯食べ終わってるのに」
 続いて窓側から甘ったるい砂糖菓子みたいな声が響く。モカだ。こいつはつい二年ほど前に来た新参者の癖に、一華や彼女の夫である誠司、更に二人の愛娘の瑠香の寵愛を一心に受けているせいか、やたらと偉そうな態度を取る。
「今回はちょっと早過ぎたんじゃない? タクが寝坊したら楠木家の一日が狂っちゃうじゃない、迷惑だわ」
 モカはそう言って、自慢のフサフサとした長い亜麻色の髪を右手で掻き上げる。何だよ? 別に俺のせいじゃねーよ! お前が言いたいのは、自分の朝飯が遅くなるじゃないか! て文句が言いたいだけだろうが。
「まぁまぁ、そう言うな。そういう時もあるだろう。元々が満タン状態じゃなかったんだろうし、そういう時もあるさ。仕方無い、一華たちも予測出来ないだろうしな」
 宥めるようにディックは口を開いた。長年の付き合いだが、こいつは本当に思いやりに溢れて気配り上手な良いヤツだ。
「まぁ、そうね。可哀想ったらそうかもね。八つ当たりされ易いし。ついでに一華の用事が終わるまでそのまま放置だもんね」
『まぁな。だけどお前らとの会話はテレパシーで通じるから』
 ……て、何だ? 珍しくモカが理解を示しているぞ? 大嵐の前触れか?
「でもずっと使ってくれてるんだからマシかもよ。昨日、ついにピーちゃんがお歳を召し過ぎたから引退させるって聞いたわ」
「そうかぁ、ついになぁ。もう七年目だったもんな、ピーちゃん」
『ついにか……でもよく耐えたよ』
 ピーちゃんとは楠木家の初代のヤカンの事だ。
「とうとう、沸騰の音が鳴らなくなったんだって。来週の燃えないゴミの日に出す、て聞いたわ」
「半年前は、恋次君が壊れて二代目恋次になったんだったな」
 恋次とは、そう、電子レンジの事だ。
『去年は鎌田さんが引退して三代目になったな』
 鎌田さんは炊飯器だ。
「つい昨日は、誠司の使っていた茶椀君を一華が割ったとか言ってたわ」
「皆働き者だったのにな」
『一家に必要不可欠なモノなのにな』
「あたしだって同じよ。この前、瑠香が『耳が長い兎が欲しいな』とか言ってたし。結局、新しいものが好きなのよ」

 ……人間とは何と

な……

 この場に居る俺達全員、満場一致の想いだ。何となくしんみりとした空気に包まれる。

 こうして楠木家の家電製品は、黙々と与えられた仕事をこなし、その役目をひっそりと終えていくのだ。殆ど感謝をされる事なく、彼らの機嫌が悪いと「何でこのタイミングで壊れるのだ」と罵倒され、挙句「もう古くなり過ぎたから仕方無い」と迄言われる事もある。全くもって理不尽極まりない。楠木家の家族の一員で、生活必需品であるのにも関わらずだ。けれどもごく稀に、「悪い事が起こるのを防ぐ為、身代わりになってくれたのかも。今迄有難う」と感謝される奴もいてちょっと羨ましい。実際に身代わりになったかどうかは別にして、感謝されるのは素直に嬉しい。例え、ゴミ山に出されるのだとしても。

 一華が階段を上って来る気配を察知し、俺とディックは口をつぐみ、モカはケージの入り口に身を乗り出して朝飯のプーイプイと催促をする。

「お父さんが夜勤だったのと、瑠香がバスケの朝練がない日だったからラッキーだったわ。また明日から宜しくね」

 一華はそう言って、俺の腰に単三電池を四つ入れた。おう、任せてくれ! 楠木家の一日は俺にかかってるからな。

 おっと失礼、自己紹介が未だだったな。俺は目覚まし時計のタク。ディックはここ夫婦の寝室の柱時計、モカは長毛種(シェルティ)・モルモットの女の子だ。

 一華はとはもう長い付き合いだ、出会いは彼女が社会人になって一人暮らしを始めた時だったな。リリリとけたたましくなるレトロな音を気に入ってくれたんだ。ディックはお昼になると、白い鳩と青い小鳥がスーッと時計の中心から飛びだしてピヨピヨと鳴くのが気に入ったようだ。

 俺達は、楠木家が必要としてくれる内は精一杯己の役目を果たして行く。いつか、無に返るその時まで。

 ……あぁ、この世は

だ。人も動植物も家電も皆……

 
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