第1話

文字数 5,532文字

 昔からマスコミに対し、「国民の知りたいことが報道されない」とか、「政府への追及が足りない、だらしない」、「もっと突っ込んだ取材を」などといった意見をよく聞く。
 原因は、マスコミ側に本当に取材力が無いのかもしれないし、政府に対する忖度や慣例などの大人の事情もあるのかもしれないが、
 その辺りはマスコミ関係者でない私にはわからないので、それは一旦置いておくとして、では、国民が知りたいことって一体何だろうか?ということについて、考えてみたいと思う。
 当然のことながら、国民と一括りにしていても、全員が同じことを知りたがっているわけではない。
 例えば、コロナの問題が発生して、様々なニュース番組で、「あなたの聞きたいことをお寄せください」というコーナーがあり、最近なら、「妊娠中ですが、ワクチンを打って大丈夫ですか?」とか、「コロナに罹ったことがありますが、ワクチンは打つべきですか?」などといった質問が寄せられ、専門家が回答しているという光景をよく目にする。
 私は妊婦でもないしコロナ経験者でもないが、妊娠さんもコロナ経験者も少なからずいらっしゃって、これらの質問に対する回答が多くの人たちの関心事である事は、容易に理解できる。
 コロナの件は自分に直接関わることなので、政治などに対する関心と同じとは言えないかもしれないが、それでも私の関心事に対して、「私も!」と思ってくださる方も多くいるのではないかと思うので、最近あったニュースの中で、私が知りたいと思ったが報道に接しなかった事柄について、記してみたいと思う。

 少し前のことになるが、まずは「森喜朗さんのオリンピックパラリンピック大会組織委員会会長辞任」のニュースについて。
 このニュースは、本当に突っ込み所が満載だった。
 最初に私が疑問に思ったのは、「なぜ森さんが就任したのか?」である。
 退任した理由は散々報道されていたが、就任した理由については報道されていなかったように思う。
 森さんが就任した当時は、橋本聖子さんの時のように、就任する方に対する条件が明確化されていたわけではないので、私は森さんが就任したというニュースを聞いた時は、「なぜ森さんが就任したのだろう?」とまでは考えず、多分、森さんが「俺にやらせろ!やらせろ!」としゃしゃり出て来たんだろうな~とか、まあ、組織委員会としても、『元首相』で箔を付けるというか、そういうバーターみたいなものだろうから、森さんの会長は『お飾り』なんだろうな~と勝手に思っていた。
 ところが、実際に森さんが会長職を退任しようとしたところ、周囲から「辞めないでくれ!」と言って引き留めにあったというニュースが流れたので、私はえらくびっくりしてしまった。
 特に自民党の世耕さんによれば、森さんの会長は、「余人を以ては代えがたい」のだそうだ。
 つまり森さんは、お飾りではなく、実際に何らかの意味のある仕事をされていたのである。
 話は少し横道に逸れるが、世耕さんのこの発言はダメである。
 森喜朗さんという個人は「余人を以ては代えがたい」が、大会組織委員会会長と言う役職は『機能』であるので、「余人を以ては代えがた」くしては、リスク管理的にNGである。
 特に今回、なぜオリンピックパラリンピックが延期になったのか、考えてみてほしい。
 毎日ニュースで「コロナは誰が罹ってもおかしくありませんよ」と、注意喚起しているではないか。
 大会組織委員会会長がコロナに罹らないという保障はない。つまり、「会長が急に交代する事態」は、当然想定しておくべき事項と言える。
「余人を以ては代えがたい」という言葉は、森さんを格好よく見せようとするかもしれないが、少なくとも、こう言ったリスク管理の甘さが露呈する発言を政府関係者の方が臆面もなくしてしまう事自体がリスクだと思うが、この点もマスコミにはもっと追及してほしかった。
 話を元に戻すと、森さんが引き留めにあったということは、大会運営に関し、森さんの何らかの力が必要であったということである。
 つまりは、森さんが会長になられたのはその能力を買われてということになるのだが、われわれ国民に、森さんの有能さは知られていない。
 残念ながら首相経験者が必ずしも尊敬に値する人物ではないということは周知の事実であるし、森さんも、失礼ながらお世辞にも国民に人気があるとは言えず、また、首相在任中も、それほどの実績を残されたという記憶は無い。
 特に大多数の国民は森さんを、一言で言うと『失言の多い人』と思っている。であるから、国民からすればこの件は、『起こるべくして起こった』事件である。
 しかし、こうして会長になられ、「辞めないくれ」と懇願までされるのには、組織委員会の、森さんの何らかの能力への期待があるからにほかならないのだが、そこがわれわれには伝わってこない。
 私も他の国民同様、森さんに対して特に良い感情があるわけではない。
 しかし、森さんが会長を退任される理由があれほど報道されるならば、選ばれるに至った功績や期待される能力も、報道されるべきだったのではないか。われわれにわかるよう、伝えていただくべきではなかったか。
 対比として考えられるのは、『川淵三郎さん』だ。サッカーやバスケットボールなど、スポーツ界に大きな貢献をされた人であることを、われわれは報道で知っている。川淵さんであれば、「なぜこの人が就任したのだろう?」と考えることはなかったと思う。むしろ、コロナで開催が危ぶまれても、「川淵さんなら安全にやってくれるのではないか」という期待感が生まれた気がする。
 しかし、スポーツが好きな私ですら、森さんとオリンピックパラリンピックは結び付かず、森さんによってオリンピックパラリンピックをより身近に感じるなどということは全く無く、今更ながら、「なんで会長になったのか?」と思ってしまった。
 ついでながら森さんは「女性は会議で長く話しすぎる」という発言の謝罪会見の際、「私もおしゃべりだ」と発言されていたが、この発言からも、なぜこんなわけのわからない回答をする人が組織委員会の会長になられたのかという思いは強くなるばかりだし、「では、なぜ特に『女性は』と言ったのか?」と追及しなかったマスコミに対しても、残念な気持ちが強く残ってしまう結果となった。

 次は、このコロナ禍で、日本医師会の中川会長が政治資金パーティを開いたというニュースについて。
 その前にも厚生労働省職員が大勢で送別会を行なったなど、同じような『当事者がなぜ?』というニュースが頻発している。
 その際報道される内容は、「感染対策は行なっていた」ということばかり。そんな当たり前のことは、別に報道されなくてもいいくらいである。
(厚生労働省の送別会の場合はクラスターが発生したので、感染対策をしていたかどうかは、報道されるべき内容であったが…)
 このニュースで知りたいことは、『世の中がこのような状況の中で、当事者である方々がなぜ開催することにしたのか?、なぜ誰も止めなかったのか?』や、『感染対策を行なっていれば、一般国民もこぞってパーティを開いたらどうするつもりなのか?』など、本質的には1つ、つまり「中川さんに(あるいは厚生労働省職員に)当事者意識はあるのか?」という、当たり前の疑問である。
 このニュースに対し、あるワイドショーのコメンテーターが、「自分達を特権階級とでも思っているんですかね」と言っていたが、これは頓珍漢なコメントである。
 森さんの件の時にも書いた通り、コロナは誰が感染してもおかしくないと、毎日ニュースで言っている。
 コロナウィルスに対して、特権階級など無い。少なくともわれわれ国民は、そう認識している。
 なのでこのコメントは的外れであるが、もし中川さんが自分を特権階級なのでコロナ禍でもパーティして良いと思っているとしたら、それこそ問題である。
 それに、日本医師会の会長ともあろう方が、これほどの非難の嵐が事前に想定できないとも考えられない。
 それでも行なったのはなぜなのか? どういう事情で行なうと判断したのか? あれだけの人数が関わっていてなぜ誰も止めないのか? そこに、非難の嵐にあっても余りあるメリットがあるのではないか? 最終的には政治資金は手に入ったので、「後で謝ればよい」、「やり得」ということなのか?
 その辺りを報道していただきたかった。
「感染対策は行なっていた」という報道だけでは、われわれはまた同じ疑問を抱くか、「当事者もやってるし」という気の緩みを助長して終わってしまう。
 このサイクルが続いてよいのだろうか?

 次のお題は、「高齢者の大規模会場におけるワクチン接種」について。
 この件は、惜しいところまで行ったのだ。
 この話が具体的になった頃、河野大臣が各局のニュース番組に出演し、「自衛隊の医療隊員によって、1日1万人の高齢者の接種が可能」であると伝えていた。
 その中である局のアナウンサーが、「1日1万人もの高齢者が大規模接種会場に行くという姿が、どうしても想像できないのですが」と質問した。
 私もそこが聞きたかったので、河野大臣の回答に注目していた。
 ところが河野大臣は、「1日1万人もの『人』に接種できるほど、自衛隊の隊員が確保できているのか?」という風に、質問の意図を勘違いしたため、「そこは防衛省がしっかりと準備して…」という内容の回答をしてしまった。
 河野さんはそれまでの時間も「自衛隊隊員によるコロナ任務の遂行」について力説していたので、人間、勘違いはあるものだし、河野さんもよほど自衛隊のことで頭がいっぱいだったのだろうと思って、アナウンサーの方が質問し直すのを待っていたが、なんと、質問はし直されず、そのまま話が終わってしまったのだ。
 国民としては、自衛隊の方々はしっかりやってくださるのはもう言わずもがなで、高齢者と言えば、脚が悪かったり遠くまで行くことが難儀だったりするので、遠くの接種会場まで足を運んでくださる高齢者が毎日1万人もいるのか?との疑問は、当然のことと思う。
 であるから、例としては、「いやいや、高齢者と言っても元気な方はたくさんいらっしゃいますので、シミュレーションした結果、『遠くても会場に行って、早めに打っていただきたいわ』と考えていただける高齢者は、1日1万人くらいはいらっしゃると判断しました。脚の悪い方や不安のある方は、無理せず自治体の近くの接種会場で接種いただいて…」などといった話を聞きたかったのだ。
 惜しい。なぜ質問し直さなかったのか。国民の疑問に答える絶好のチャンスだったのに。

 コロナ関連で言えば、昨年12月に決定された「Go To トラベル」の補正予算は、どこに行ってしまったのだろう?
「こんなにコロナが蔓延している段階で、しかも3月までの予算に、なぜGo Toトラベルの予算が組み込まれるのか?」と、当時はニュースでも散々報じており、同じように感じた国民も多かったのではないかと思う。
 そして案の定、Go To トラベル事業は停止中である。
 そんなこと、やる前からわかっていたのに。
 で…? あの予算はどうなってしまったのだろう? 3月までだったよね?
 マスコミは、国民の意見を代表して政府に意見するといった任を帯びているわけではないかもしれないが、国民には、なかなかこのようなムダを追及する術が無いので、せめてその後を伝えていただけたらと思っている。

 国民の知識の底上げも、マスコミの任ではいないかもしれないが、諸外国がロックダウンをしている時期、日本はなぜロックダウンをしないのか?を疑問に思った国民も多かったと思う。
 もちろん、自分で勉強しなさいと言われればそれまでだが、コロナのニュースと合わせて伝えてくれたら、より具体的な知識になるのにと感じていた。
 これは、安易にロックダウンを考えてはいけないという警鐘の意味と、ロックダウンができないのならばどうすべきか?を個々人が自分の生活と結び付けて考える、良い機会であったのではないかと考える。

 ニュースの時間に、全ての疑問が解消するような内容を発信していただくことは無理かと思うし、マスコミ側の事情もあるかと思うが、もしかしたらマスコミ側だけで改善できることも、本当はいろいろとあるのではないかと思う。
 マスコミと国民は、多くの場合、一方通行である。
 マスコミという閉ざされた世界が確立し、そこに長くいることによる弊害が起きているとしたら、われわれ国民は、『報道の自由』の国に住んでいるようで、実は限定された方向での報道にしか接していないことになる。
 そうすることで、国やマスコミ関係者内での辻褄は合うかもしれないが、国民の期待感は薄れ、人心は離れていくかもしれない。
 それでよいのだろうか?
 SNSなど国民も自分の意見が自由に言える、双方向のツールが増えてきた。
 それらを使えば、マスコミも『国民の知りたいこと』を容易に拾うことができるし、既に利用されてはいるとは思う。
 しかし、ツールの利用だけを目的とするのではなく、一つ一つのニュースに対し、多くの国民が当然疑問に思うことってなんだろう?と常に問いて、回答を発信していただきたいと思う。
 私という一国民の疑問を見ていただいた通り、そんなに難しいことを要求しているわけではない。
 多くの国民がコロナ禍で家にいる事が多くなり、ニュースをよく見るようになったとか、深く考えることが多くなったこの時期、マスコミも、もう一度その姿勢を考えていただけると、幸いに思う。
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