第11話 廊下

文字数 2,302文字

「なあ、早瀬さんの飼い猫も室内飼いなんだよな。まったく外に出さなくても大丈夫なのか」

 ナルと暮らして一ヵ月余り。なんとか、かんとかナルとうまく生活できている。前に動物病院でもらったノミ退治の薬も効いて、今では全くノミの心配もない。でも今のまま、外に一歩も出さずにずっと室内で飼っていてもいいのか少し疑問に思う。

「最初から室内飼いと決めて育てている猫なら、それで大丈夫ですよ。逆に外に出してしまう方がストレスになりますね」

 室内飼いの猫は外を怖がるそうだ。元から外に出して育てた猫でも、犬のように散歩と言うのはあまりしないそうだ。

「うちのご近所さんの猫は自由に外に出して、ご飯や寝る時だけ家に帰って来れるようにしてましたよ」

 猫でも、ちゃんと自分の居場所は分かるようで、外に出して遠くに行っても家には帰って来るらしい。飼い主にも懐き野良猫のようにはならないと言う。

「ナルが最近ベランダに出るようになってな」
「うちの猫も、出窓の所から外を見ている時はありますけど、眺めているだけで外に出たそうにはしてませんけどね」

 早瀬さんの猫は、窓の外で動く虫や動物に反応したり日光浴をしたりしているそうだ。でも外に出たいという素振りは見せないらしい。
 まあ、俺のマンションのベランダからは、隣のマンションの壁しか見えなくて陽も入らず外の景色は見えない。部屋とは違うという単なる好奇心だけかもしれんな。

 俺の家のベランダには洗濯機と乾燥機を置いている。外から見られる事はないので便利に使っているが、狭い隙間や水が流れる溝もあり、鉄の手摺の柵からは風も吹き込む。好奇心をくすぐる物が多いのだろう。

 ナルはベランダに出たい時、出入り用のガラス戸をカリカリと引っ掻いて俺に開けさせるようになった。確かに少しの間ウロウロして気が済んだら部屋に戻ってくる。その様子が少し気になって早瀬さんに聞いてみたのだが、それほど気にする事でもないようだな。
 ナルも俺が時々洗濯でベランダに出るのが気になっただけだろう。部屋にずっと居てもストレスなど感じていないと言うならそれでいいさ。

 それと最近は俺が家に帰ると、いつもナルがお出迎えしてくれる。俺が部屋に近づくのが分かるのか、ドアを開けると玄関前で待っていてくれる。そういや、ドアを開けても外に出ようとはしないな。元々室内飼いに慣れているのだろう。

 そうだ、一度この玄関ドアの外の廊下を歩かせてみるのはどうだろうか。他の住民に見つかるのはまずいが、俺が側について誰かが階段を登ってくれば、ナルを抱いて部屋に戻ればいい。これは面白い事を思いついたぞ。明日は休みだし、一度試してみるか。

 翌日の夜。夜も更けたこの時間なら人も通らないだろう。早速ナルの首輪に紐を付けてお出かけの準備をしよう。

「ナル。ここから外に出てみないか。お前外に興味は無いか?」

 ナルと一緒に玄関前まで来て俺は靴を履く。ナルの紐をしっかりと持って少しドアを開ける。ナルはなんの事か分からずキョトンとしていたが、俺が手招きするとドアの外に出てきた。
 この廊下の壁の下半分はコンクリートで、ナルの位置からでは外の景色は見えない。まあ景色と言っても隣には別のマンションが建っていて、俺の部屋の前はその駐車場で東側の一部が見えるだけの景色だ。
 廊下と階段に人がいないことを確認して、階段の方に向かってゆっくりと歩いて行くと、ナルも警戒しながら俺に足元に付いてくる。何だかコソコソと泥棒でもしているような気分だ。

 南側の端には、マンションの表玄関から上る階段があって、ここは壁に囲まれていて外は見えない。俺の部屋のある二階からは、外の車の音や人の声などが反響して聞こえてくる。
 ナルは耳を階段の下の方に向けたり臭いを嗅いだりしているが、下に降りて行こうとはしない。やはり外は怖いのだろう。

「よし、よし、ナル。部屋に戻ろうか」

 ナルを抱き上げて部屋の前まで来て、ナルを廊下に降ろす。

「いいか、ここが俺たちの部屋だ」

 さっきの階段の反対側、北側には非常階段があり、そこから二つ目の七号室が俺の部屋だ。その場所をナルに教える。ドアを開けて中を見せておいてもう一度廊下を見せる。同じようなドアが並んでいるが、俺たちの部屋の位置を覚えてもらいたい。

 するとナルが非常階段の方に興味があるのか、そちらの方を見ている。非常階段は鉄の柵で囲まれているだけなので外の様子が良く見える。高い建物も少なくこちら側は遠くまで景色が見通せる。

「よし、今度はこっちの階段に行ってみるか」

 俺が横にいれば、ナルは安心していられるようだ。一緒に階段の端まで行くと、そこからは遠くのビルの光や家々の明かりが見える。下は狭い一方通行の道なので車もあまり通らず静かだ。

 ナルは鉄柵の端からその夜の景色を真っ直ぐに見つめている。俺も手すりにもたれ掛かりながら一緒に眺める。
 いつもは何とも思わない景色だが、ナルとこうして眺めていると宝石をちりばめたような素晴らしい夜景に思えてくる。

 猫はキラキラした物が好きだと言うが、この景色にそのキラキラを感じているのかもしれんな。
 この夜景を見ながらナルは何を思うのだろうな。遠くにある触れることのできない世界の事を思っているのか、それとも前の飼い主に対する慕情か。

 するとナルが「ミャ~」と鳴いて俺を見つめてきた。そうだな、今は俺が飼い主だ。いつまでもお前が安心して暮らせるように努力しよう。さあ、俺たちの部屋に戻ろうか。
 その俺の足元にはナルが離れないように付いて来てくれる。安心していてくれ、俺はいつまでもお前と一緒にいるからな。
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