第1話

文字数 1,996文字

「僕にはちっぽけな夢がある」
 そう言うと、決まって藁井(わらい)さんにこう返されるのだ。
「そろそろ叶いそう?」
 僕は好きな女の子に嘘なんてつきたくないから、いつも正直に答えている。
「まだだよ。道のりは長いね」
「諦めない気持ちって大切だと思うよ」
「それじゃあ、今日も試してみようかな」
 僕は周りに人がいないことを確認し、藁井さんに向き直って……大きく息を吸い込む。

「こんにちは! あなたの心を〜照らしましょ〜! どうも、2年3組の寺島(てらしま)ショウで〜す!」
 つとめて明るくふるまいながら、チラリと藁井さんの顔を確認する。
 な、なんて美しい無表情なんだろうか! 僕が画家だったなら、今すぐスケッチブックにその清らかさを納めてしまえるのに(ちなみにタイトルは「静謐(せいひつ)」だ)。
 つい舞い上がってしまったが、いかんせん僕の目指すところは画家ではない。話を続ける。
「僕、最近好きな子ができたんですよ〜」
「だーれーっ?」
 藁井さんは相変わらずの無表情で合いの手を入れてくれる。
 ノリが良いのか悪いのか分からないミステリアスさも素敵だ……と、また思考がそれてしまった。閑話休題。
「同じクラスの、わ、藁井恵美(えみ)さんで〜す」
 告白は、何度やっても慣れなくて、声が震えてしまう。
 当の藁井さんはといえば、少しも表情を変えないままだ。しかも視線がいまいち合わない。一体どこを見ているのだろうか。
 心を侵食するむなしさに抵抗しながら、僕は用意していた言葉を紡ぎ続ける。
「――でね、彼女のどこが好きかって、美人で、授業中も背筋が真っすぐで、すっごくきれいな人なのに……」
「寺島くん、もういいよ」
 僕ははっとして口を動かすのを止めた。
 彼女は、やはりと言うべきか、全然笑っていない。
「私のことを褒めて、照れ笑いを誘うつもりだったのかな」
「まあ、それもあるけど……」
「掴みの自己紹介だって、スベってたし。あれならやらない方がいいよ」
「僕は気に入ってるんだけどな。朗らかで素敵じゃない?」
「もういいから」
 そう告げる彼女の声は固くて、突き放されている気分になる。
 待って藁井さん、まだ見捨てないで、もう一度チャンスを――。
 そうすがろうとしたとき、感情のない顔から発せられたのは、意外な言葉だった。
「私がお手本を見せてあげるね」

「どうも! 2年3組の藁井恵美で~す。私には今、気になってる子がいま〜す!」
 ……そうか、藁井さん、好きな子いたんだ。
 それじゃ、結局僕にはもう、チャンスなんて。
 胸に重りをのせられたような苦しさの中、僕は声を振り絞った。
「……だーれーっ?」
「同じクラスの、寺島ショウくんで〜す」
 え?
 藁井さん君は何を考えているの、と僕は目を見開いた。
 彼女はいつもと同じ無表情で、やっぱりいまいち視線が合わない。
「――でね、彼のどこに惹かれるかって、ほとんど話したことないのにいきなり告白してくるし、『私おもしろい人が好きなの』って言ったら急に漫談始めちゃうし、しかもしっかりスベってて」
 うわ、悪いところばっかりだ。藁井さん、頼む、僕の奇行をこれ以上思い出させないで!
 祈るような気持ちで彼女を見つめていると、不意に藁井さんは僕と目を合わせた。
「……寺島くんはね、変な人なんだよね」
 ほんの少し影のある表情に、君も変わっているよね、とは言えなかった。今、藁井さんの邪魔をしたらいけない気がしたのだ。
「私、いっつも無愛想だから、私に恋しても、すぐ冷めちゃったっておかしくないのに。彼ね、『僕が君を笑わせたらお付き合いを検討してください』とか言って、それから毎日笑わせようとしてくるの」
 おとぎ話みたいだよね、と藁井さんが言う。
 改めて考えると、僕って……しつこいな。こんなに毎日チャレンジしたって全然成果があがらないのに、まだ諦めないなんて。
「寺島くん、今日は惜しかったよ」
「えっ、どこが?」
 尋ねると藁井さんは僕の右耳あたりを指さした。
 僕がそこに手をやると、ふわりと小さな花が落ちる。
「……ずっと、髪についてて……なんか、可愛かったし、寺島くんちっとも気づいてないし、本当、おかしくて……」
 藁井さんの肩は小刻みに震えていて――僕はほっぺが熱くなるのを感じた。

 僕にはちっぽけな夢がある。
 好きな子を笑わせることだ。
 その子は高嶺の花という言葉がぴったりで、おもしろい人が好きで、そのくせ普段はにこりともしないけど。

「とうとう笑わされちゃった」
 美しい顔をくしゃりとほころばせて、初めて藁井さんは笑った。
 まだくつくつと笑い続けたまま、彼女は僕の髪に先ほどの花を飾る。
 今度こそ耐えきれないといった風に声をあげて笑う彼女を見ても、僕には達成感みたいなものは感じられなかった。
 でも、彼女があんまり幸せそうに笑っているから、僕もつられて笑えてきてしまう。
 僕は、この先もきっと、藁井さんには敵わないのだろうな、という気がした。
 
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