【エッセイ賞】人間力と犯罪率の関係性

文字数 2,648文字

 犯罪はなぜ起きるのか。
 この疑問について、私は考えてみようと思う。
 誰もが一度は抱いたことのある疑問なのではないだろうか。
 犯罪のない平和な世の中になればいいと思う一方で、犯罪をなくすことは難しいだろうとも思っているのではないだろうか。
 犯罪の撲滅が難しいのならば、少しでも犯罪の数を減らすにはどうすればいいだろうか。
 人の犯す犯罪は様々だ。
 窃盗。
傷害。
横領。
虐待。
性犯罪。
放火。
殺人。
 育った環境、経験、得た知識も様々であり、それらが犯罪の動機の多様性のきっかけになっている。
 犯罪を減らすことを考えるならば、罪を犯してしまった人物がそれまで歩んできた生い立ちに焦点を当て、社会の在り方を考えてみることが疑問を解決する為の価値ある行動ではないだろうか。
 犯してしまった犯罪のみに焦点を当てるのではなく、犯罪を犯すに至った背後にも視野を広げる事が罪を犯した者への救いになるのではないだろうか。
 犯罪を犯した原因・理由に焦点を当て、それらの解決に力を注ぐ。
 犯した罪に対して罰を与えるだけでなく、再犯防止に努める。
 例えば、窃盗や横領ならば、金銭問題が可能性として考えられる。
 仮に犯罪を犯した原因として、安定した職に就くことができないが故に収入が安定せず、生活が不安定で、お金が必要だった、とする。
 ここで、なぜ安定した職に就けないのかを考える。
 就職するためのスキルが足りないのか。
 心身に何かしらの障害があるのか。
 本人や親族に犯罪歴があり、それが障害となっているのか。
 犯罪を犯した背景を探り原因を取り除くことができれば、同じ犯罪を犯す理由がなくなるのではと考えることは当たり前の事ではないだろうか。
 再犯を防ぐことができれば、犯罪件数を減らすことも可能なのではないかと思う。
 罪を裁くだけでは社会的役割としての報いを受けても、本質的な解決にはならない。
 生まれ育った環境や社会の様々な要因が絡み合って、人生は形成される。
 人生は生まれた時からの積み重ねでできている。
 ならば、子供の時から防犯対策ができないだろうか。
 教育がとても大きな役割を果たすのではないだろうか。
 今現在、義務教育で教えられている内容以外に、もっと人間性を育てるもの、それも子供たちが自ら考え、自らを成長させられるカリキュラムがあればいいと思う。
 例えば、人には得手不得手がある。
 それらは個性とひとくくりにすることもできるが、現実は劣等感やコンプレックスに結びつくことが多い。
 子供時代に形成されたこれらの感情・思考は大人になってからも影響を及ぼす。
 個人で感じ方は様々だが、多かれ少なかれ人生の足枷となる。
 些細な動機で犯罪に結びつく可能性は消すことができず、何かのきっかけで犯罪に発展することがある。
 それならば、家庭教育・義務教育を受けられる間に、大人が子供の育成に積極的に関われる年齢の時期に、苦手を減らすことはできないだろうか。
 苦手を知るには、まず自分を知る必要がある。
 自分を知るには経験が大切であり、それらの機会は学生時代にできるだけ得ることが有益であることは誰もが経験上知っているのではないだろうか。
様々な事柄を経験し、自らの得手不得手を知る。
そして苦手を克服、もしくは補う努力をする。
学生時代は社会人に比べ、時間、体力共に充実している。
自分を知り磨くにはエネルギーが必要で、それには学生時代が最も適しているように思われる。
自分の長所短所、得手不得手を知り、短所の改善、苦手の軽減を図る。
柔軟性のある年齢の時に、積極的に取り組むべきことだと思う。
そして人生において最も大切なのは、健康の維持である。
若いころは誰でも体力・気力共に充実している。
体も健康であり、病気の心配もほとんどなく日常を過ごすことができる。
健康であるからこそ、生活を営むことができるのだ。
しかし、人は誰でも年を取り、肉体は衰えていく。
肉体の若さと体力・気力の充実は、肉体的・精神的に余裕のある生活を送るのに必要不可欠なものだ。
肉体の健康は生命に直結する故に、セルフケアは非常に大切である。
健康に不安を感じない学生に健康の維持について教育することは、些か無意味に捉えられるかもしれない。
しかし、不健康のもたらす不利益や実害、その延長線上にある生命の危機を教えることは、決して無駄なことではなく、将来的に社会の健全性を維持するうえで必要なことであると思う。
人間性の向上、社会の健全性に貢献するだろう前述したこの二項は、重要性が高いにも拘らず、基本的に教えてもらう機会の少ない事柄でもある。
故に、必要となった時に、必要な知識・経験を持っていない人がほとんどである。
多くの人が大人になってから必要性を実感するのならば、そのことに気づいたのならば、気づいたその瞬間から社会を変えるための行動を起こしても決して遅くはないと思う。
自分たちにはその教育が施されなかったから、変化させるのは大変だからと二の足を踏んではいけない。
気づいたのならば、次の世代に同じことを繰り返さないようにするのが大人の責任である。
次世代のために社会をよりよく改善していくのが大人の義務である。
誰もが幸せな人生を望んでいる。
誰もが犯罪者になりたくないと望んでいるはずだ。
人は育った環境で形成される。
だが、大人になってからは自分自身の責任だ。
けれど、大人になるまでの生長期間、あらゆるものを吸収し、人生の基礎を形成する子供時代は、親の庇護下にあり、親が子供の成長に責任を持たねばならない。
子供は親の背中を見て育つというように、子供世代は大人世代の背中を見て育つのだ。
大人が考えずにいる問題、見て見ぬふりをしている問題、取り組まずにいる問題は、やがて子供世代に回っていく。
社会も人生と同じ、積み重ねである。
良いことも悪いことも、すべてが取り込まれ、形となっていく。
個人の努力で人生は変えられる。
しかし、社会の一部である以上、個人の力ではどうしようもないこともある。
助け合える社会であって欲しいと思う。
手を差し伸べられる社会であって欲しいと思う。
愛情が人を救わなくても構わない。
小さな思いやりが、人をすくい上げることもある。
幸せを一つでも増やすために、できることは何だろうか。
ただ純粋に、馬鹿正直に生きていけるほど、今の世界は優しくはない。
だからこそ、自助だけではなく公助の必要性を強く感じる。
                                  <完結>
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