第1話

文字数 1,997文字

 技術の進歩とともに天気予報は的中率99%以上となった。
 人類はすぐに次なる予報対象を探求するようになり、白羽の矢が立てられたのが人間の『気分』だ。誰だって機嫌のいいときと悪い時がある。そんな虫の居所があらかじめわかっていれば、お互いにとってストレス低減になることは間違いない。『気分予報』にはコンピューターの技術のすべてが注ぎ込まれ、それが形になり、一般に広く使われるようになるまで長くはかからなかった。
 そして現在。私にとって『気分予報』は、日々上司の顔色をうかがうために、無くてはならないツールとなったのだ。


「【対象者1:課長】の午後からの予報は、『平常』のち『ややイライラ』。15時以降の時間は『不機嫌』になり、16時過ぎには『かんしゃく状態』で荒れ模様でしょう。一見、穏やかに見えますが、内心は疲れからイライラがつのっており、コンタクトを取るのであれば、早い時間がオススメです。どうしても夕方にするのであれば、細心の注意と覚悟を持参ください」

 「ピロンッ」という軽快な通知音とともに、今日もそんな通知がスマホにやってきた。なるほど、午後は避けた方がいいのか。どうしても課長の判断をあおがなければならない案件がある。午前中に片付けてしまった方がいいみたいだな。
 私が対象者として登録しているのは、主に会社の上司たち。課長に、部長に、役員に社長……それに同僚や妻もそうだ。最初は『気分予報』なんてどうせ当てずっぽうなのだろうと、まったく信用していなかったが、対象者ひとりであれば無料だったため、軽い気持ちで使いはじめた。
 最初に試してみたのが、この直属の上司にあたる課長だ。基本的には温厚ながら、仕事に熱心なこともあってか不意にご機嫌を損ねることが多々あった。なんとかならないものか……。そんな思いに、この『気分予報』は十二分に答えてくれたのだ。単に機嫌の悪いときに対象者に近づかないだけでなく、さりげなく差しいれをしてご機嫌を取ったり、仕事の根回しをしたり……、うまく立ち回ることで、課長からの評価を勝ちとることもできた。『気分予報』様様だ。
 今では私は課金ユーザーとなったため、無制限に対象者を登録することができる。月に3,000円は安くはないが、これだけのメリットがあれば決して無駄ではない。

 今日は午後から会議がある。社長をはじめ、重役から中堅までがそろった大事な会議だが……さて雲行きはどうだろう。そう思って『気分予報』を開く。
 社長は……まあまあ。役員たちは……イライラしている人もいるけれど、おおむね良好。総合すれば「晴れときどき曇り」といったところか。よほど何かなければ無事過ごせそうだ。
 会議は予報の通り順調だった。発案者のプレゼンもつつがなく、社長の感触もよさそうだ。今日はこの会議が終われば、あとはたまった仕事を少し片づけるだけだ。部下をさそって、どこかに飲みにでも行こう。しかしその音が鳴りひびいたのは、まさにそうやって油断していた矢先だった。

ピロンッ!

 役員のケータイの通知音のようだ。「ああ、すみません」と言い、ちらっとだけケータイを確認する。だが、それが引き金になった。

「おい、なんだ君は。会議中にケータイを切っていないどころか、そんなにそのケータイが大事なのか。今日はわが社の未来を作る大事な会議なんだぞ!」

 非難を口にしたのは社長だ。まずい。雲行きが怪しいぞ。ここまで穏当に乗り切ってきたのになんてことだ。この分では大きな雷の一つくらい落ちるかもしれない。会議も伸びそうだな……なんとか乗り切ってくれよ。しかしそんな思惑を真っ向から裏切るかのように、会議室にふたたび「ピロンッ!」とケータイ通知音がひびく。鳴ったのは――私のケータイだ。

「……おい。今、ケータイが鳴ったのは誰だ?」

「すみません。私です……」

「お前……今の状況をわかって――」

 そこまで言いかけた社長の言葉は、図らずも封じられることになる。社長を除く、その場にいた全員のケータイが「ピロンッ!」「ピロンッ!」と次々に鳴りだしたからだ。部屋は通知音であふれかえった。社長は唖然として、空いた口が閉じられていない。ひと通り通知音がやむと会議室は水を打ったように静まりかえったが、もはや会議という雰囲気ではなくなっていた。

 ケータイを見なくても内容はわかる。もちろん『気分予報』だ。「社長の機嫌が急速に崩れる模様です。お気を付けください」。ご丁寧に『緊急速報』で伝えてくれたのだろう。残念ながらその予報は火に油を注いでしまったようだ。そしてこの場にいる全員が、各々に『気分予報』を使っており、社長を対象者として設定していることにも、また察しがついてしまった。

 ひとり、何の事情も分かっていない社長は、その場にいる全員に罵声浴びせる。各々に神妙な顔で聞きながら、会議室には謎の連帯感が生まれていた。
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