第1話

文字数 1,969文字

 久しぶりに実家を訪れた時、その手紙を見つけた。



 何年も使っていない自室に足を踏み入れる。帰ってくる前に母が掃除をしたと言っていたので、部屋の中は綺麗だった。

 自室は学生の頃よりも殺風景な印象だ。使用者がいないので当然だが、子供の頃に使っていた机やベッドは、今ではただの大きな置き物と化している。

 本棚には古い雑誌が数冊入っていて、空いているスペースにぽつんと1つ、ピンク色の缶が置いてあった。

 あの中には何を入れていただろうか。思い立って明里は缶に手を伸ばす。

 蓋を開けてみると、学生時代に友人と撮った写真や年賀状が入っていた。中高生の頃に撮ったプリクラも中にはあり、プリントシールに写る明里の姿は今よりも幼い。制服姿の、縮毛矯正もカラーもしていない黒髪の頃がとても懐かしい。

 さらに缶の中身を確認していくと、カラフルな封筒を見つけた。

「懐かしい……!」

 それは中学時代の友人からの手紙だった。差出人の欄には『清水楓』と書かれている。

 彼女とは文通をしていた。10年以上前、中学3年生の頃に部の友人から「他校の友達が明里と文通したいって言ってるんだけど……」と言われたことがきっかけだった。

 当時明里は吹奏楽部に所属しており、楓も別の中学の吹奏楽部員だった。

 各地方や地域によって異なるだろうが、この土地では毎年5月に楽器別講習会というものがある。それが現在も行われていると教えてくれたのは現役の吹奏楽部員である従妹で、もちろん明里が中学生の頃にも行われていた。講師によって受講内容に違いはあるが、この集まりは市内中高の吹奏楽部に所属する、それぞれ同じ楽器を担当する学生らが顔を合わせる場であった。

 パートによっては他校の生徒と親しくなることもあるようで、友人はそこから楓と話をするようになったと言っていた。

 楓が明里の存在を知ったのは、恐らく定期演奏会のパンフレットだろう。大抵その小冊子にはパート紹介に部員の写真と名前が載っていて、明里の母校の定期演奏会のパンフレットも例外ではなかった。実際に明里は文通の話をされた日、他校のパンフレットの山を掘り返して楓の姿を探した記憶がある。

 彼女とは一度も会ったことがない。記憶の限りでは大会ですれ違ったこともない。楓の中学最後の定期演奏会は当日に明里が発熱してしまい、直接姿を目にすることは叶わなかった。

 思えばなんとも不思議な関係だった。なぜ彼女が明里に興味を持ったのかも、結局は不明なままだ。

 便箋を出して開いてみると、オレンジ色のペンで書かれた文字がびっしりと並んでいた。内容に目を通すと楓の軽い自己紹介と、おもに部活での様子が綴られている。

 そして、ある一文が目についた。

『私とお友達になってください!』

 他校に友達などいなかったので、この一文で舞い上がった当時を思い出す。

「確か、お友達になれて嬉しいですって返したっけ。プリクラも入ってたなぁ」

 明里は微笑んだ。

 返事の手紙は楓と同じく自己紹介と、部活に関することを書いた気がするがあまり記憶にはない。ただ、相手を待たせるのも悪いと思い早めに返事を書き上げ、こちらもプリクラを入れたことはしっかりと憶えている。

 彼女からの手紙はもう1通あった。綴られているのはやはり部活のことだったが、最初の手紙と比べるとあっさりとした内容だった。

「そういえばこれ以降、手紙こなかったな」

 楓からの手紙はもう入っていない。当時は受験生だったこともあり、忙しさから手紙を書く余裕などなかったのかもしれない。それは明里も同じで、その後も手紙がきていたら、しっかり返事を書けていたかと問われれば答えは“いいえ”だっただろう。

 結局、文通は自然消滅という形で幕を下ろした。今日(こんにち)に至るまで、楓から手紙はきていない。

 お互いに顔は知っている。ただし会ったことは一度もない。今はどこにいるのか、何をしているのかもわからない。それでも確かに、あの頃は文通をする友達だった。

 明里は手紙をそっと缶に戻して蓋を閉じる。

 捨てたっていいものかもしれない。持っているだけ無意味なものかもしれない。そうだとわかっていても、明里は持っていることを選んだ。たった2通の手紙だが、これは楓とやりとりをした証なのだ。

 交流期間は短かったが、あの頃手紙を書くのは楽しかった。レターセットを買いに行き、何色のペンで何を書くか悩んだのは良い思い出だ。そんな経験をさせてくれた彼女に、明里は感謝している。

「縁があれば、いつか会えるよね」

 缶を元の位置に戻す。青春の思い出を詰めた入れ物は、再びインテリアとなる。

 部屋を出る前に缶を一瞥した。偶然にも窓から射し込んだ陽射しを浴びて、缶は輝きを放っている。

 この缶を開くたび、明里は楓のことを思い出すだろう。

 2通の手紙は、また眠りに就いた。
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