第1話

文字数 1,178文字

 幾千もの人々を惹きつけた、中世のアイドル。「そうするべきと信じているから」という理由だけで一切の迷いを断ち切れる、恐ろしいほどに純粋な信者。高校の世界史の教科書にたった数行だけ登場したジャンヌダルクの第一印象は、大体こんな感じでした。そのわずか数行の急展開は、あまりの荒唐無稽さに、そこだけファンタジー小説を読んでいる気分でした。

 受験が一段落した後、彼女のことをもっと知りたくて、百年戦争と題された文庫本を買ってみました。歴史の舞台に颯爽と現れた英雄少女は、おそらく文字が読めず、貴族でも聖職者でもなく、天才でも特別でもなく、神の声さえ聞こえなければ一生を農村で過ごしたであろう普通の村娘だったと知った時には、彼女の信仰心の強さと、一人の人間の運命を変える「宗教」の力に、私は恐怖を感じました。

 ラテン語もヘブライ語も読めず、おそらく聖書に触れたことすらない彼女が、なぜ「私は神を信じている」と言い切れたのでしょう。宗教において最も重要な、「信仰」を持ち続けられたのは、一体何故なのでしょう。

 私には彼女のような信仰心など全くありませんが、彼女のような精神、つまり、何か一つのことを完全に信じる固い精神に興味があって、宗教を学んでいます。なぜ、何かを完全に信じられるのか。世界は不確かなこと、わからないことばかりで、私は常に半信半疑だというのに。神も、正義も悪も、自由も権利も、お金も社会も、自己も他人も、どれも確かに存在するとは、どうしても私は言い切れないのです。

 多くの人が信じる宗教を学べば、少しは信じることがわかるのではないかと思い、何度も聖書を理解しようと挑戦して、何度も挫折しました。今でも、聖書の内容はほとんど理解できていません。聖書を読むたび、私は聖書のことを全く知らないのだと思い知らされます。いつ、誰が、どんな思いで書いたのか、どうして世界中の人がこの本に惹きつけられたのか、何も知らないし、それどころか、読めば読むほどわからなくなるのです。

 はっきりした根拠はないけれど、不思議と安心できる、無条件の心の拠り所であり、信仰の具現化であり、常に共にあるもの。おそらくキリスト者にとっての聖書とは、そういう存在なのだろうと思います。ジャンヌダルクは聖書を読んだこともなければ、複雑な教義の理解もしていなかったでしょうけど、彼女には常に信仰心がありました。考えず、感じず、ただ信じる。飾って言えば、心の中に聖書を持っていた、ということだと思います。
 
 私にとっての聖書は、心の拠り所ではなく、世の中に数多ある不可思議のうちの一つ、興味の対象です。何度読んでも、相変わらずわからないことだらけで興味が尽きません。キリスト者の言う聖書が好きとは趣が違いますが、それでも私は、読むたびに新しい発見やアイデアをくれる聖書が好きなのだと思います。
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