第2話 はじめましての生存法

文字数 2,499文字

僕は高校生になった。
中学生のままのあいつのノートを持って。
あいつが何を思って自殺をしたのかなんて分からない。僕はあいつと小学校からずっと一緒だったし、他のどんな奴よりもあいつのことを知っているつもりだった。あいつだって僕のことをそう思ってたはずだ。そうじゃなければ、こんなノート渡してくるわけがない。自殺を考えてるなんて、普通ならこんなふうに回りくどいやり方しないはずだ。親とか先生とか、友達とか誰かしらに相談するか、誰にも相談しないで逝ってしまうかだ。もしかしたらあいつは僕にこのノートを盗み見てほしかったのかもしれない。自殺を考えてることを知って止めてほしかったのかもしれない。もしそうだったのなら、いやきっとそうなんだろうな。僕が律儀にあいつの言葉を守ったせいで、あいつは死んでしまったのだ。だってあいつを救えるのは、僕だけだったんだから。
僕があいつを殺した。その証拠がこのノートだ。あいつが僕に渡したメッセージなのかは定かじゃないが、これはあいつと僕の秘密であることに違いはない。正直なところ、このノートをどうしたらいいのかよく分からないでいた。何があっても、親に見られるのだけは避けたかった。いや親以外でも、このノートは他の誰にも見られるわけにはいかないのだ。安楽死ノート、――僕はひっそりあいつのノートをそう呼ぶことにした―、を家に置いておくのが心配だったから、ノートをカバンに入れて持ち歩いた。今日は入学式だ。

とりあえず周囲から浮かないように、なるべく普通に馴染めるように頑張らなくてはと、おそるおそる廊下を進みながら一人意気込む。"1-3"と書かれたプレートを遠くから視認して深呼吸を繰り返した。さほど乱れてもいない制服と髪の毛を弄って、ひと呼吸、教室のドアのレールを踏み越えた。自分の教室に入るのですらこの様だ。あらかじめアタリをつけておいたから、自分の席を見つけるのは容易かった。僕の苗字なら大体この辺りに落ち着くのだから。
自分の席に着いてからも、身体が宙に浮いてるみたいに、どこか落ち着かないままでいた。ちらちらと周りを窺う癖は未だに抜けなかった。あまり周りの人を見過ぎるのも変な奴だと思われかねないから、机に注意を向けることにした。綺麗そうな手入れの届いた机には、過去の歴戦の印だろう小さな傷があちこちについているのが見える。そして寄る辺もなくなった僕は、机上に配布されていたプリントの文字を何度もなぞっていた。


チャイムが鳴り始めた時に、先生は現れた。ぴしっとした紺色のスーツを着て、革靴もぴかぴかで、見るからに入学式らしいきちんとした服装だった。僕が先生の顔を見るかどうかを悩んでいるうちに、チャイムは止んでいた。
担任の先生が現れたことで、クラスに少しのざわめきが広がった。かっこいいだの、どんな人なんだろうだの、吟味をしているのが分かる。僕は視線を机の上へと落としたままに、それを聞いていた。

「おはようございます、このクラスの担任の政巳です。1年間よろしくお願いします。」
落ち着いた声が教室全体に響いた。池に一つ小石を落としたみたいに、静けさが波紋となって広がっているようだった。思わず顔を上げた、動きが早急だったかもしれない。先生と目が合った気がした。まずい、どうしよう。
僕の好きなタイプの先生だ、きっと。本能的にそう感じた。明らかに体育会系ではなくて、陽キャっぽくもない。でも担当科目は数学とか化学とかだろうな。見た目的にそんな感じがする。
それからまた、今度はゆるく視線を落としていく。大丈夫、先生だってそんな見てるはずがない。何も問題ないさ、なんて言い聞かせながら。


春、新年度、始まり、草木が芽吹く頃、そんな先生のありきたりな話を聞き流しながしながら、緊張の中に時折くすくすと声を上げたり、きらきらと目を輝かせているクラスメイトを他人事のように眺めた。周囲はあまりにも生命力に溢れているのに、僕の側には重苦しい死が、安楽死ノートが備わっている。あいつも高校生になっていたら、こんな風に笑っていたのだろうか。あいつの笑う顔は想像に難くなかった。いつだってけらけら笑っていた気がする。少なくとも中学生のあいつはよく笑う奴だったはずだ。

一番初めのHRらしく、ガイダンスが終わった後は、自己紹介が始まった。正直、得意ではない。人前で話すことも、人に見られることも好きじゃない。そもそも話すのが得意じゃないんだから、どうしようもない。とりあえず、穏やかな話をして無難に行くことを考えなくては。
「それでは私から。担当科目は、主に世界史と、倫理です。大学時代は哲学をしていました。好きなことは、旅行に行くことと映画を見ることです。よろしくお願いします。」
あの落ち着いた少し低めの声がするりと耳に入った。意外だった、社会科かぁ。歴史は好きだから、僕にとっては好都合だった。しかし、倫理ってあれだよな、哲学ってやつだよな。どう違うんだ、学ぶって言っても何するんだろう。分からないことが増えたが、先生と近づけるチャンスも見つけられた。
そんでもって旅行に映画鑑賞、すごいとしか言いようがない。The 趣味って感じのラインナップ。僕にそんな大層な趣味ないんだけどなぁ…どうしようか。
「では、次。」
「…はっ、はい!」
僕の番だ。とりあえずやり過ごさなくては。
あまりにも無難だった。出身を言い、中学時代の部活を言い、趣味は読書と絵を描くこと。あまりにも誰の印象にも残らないであろう自己紹介であった。それでいい、僕はそれでいい。
その後は自分の発言に誤りがなかったかを必死に探した。どもって詰まって声が小さかった以外には、問題はなかったと思う。つまりは大問題を抱えているのだけど。まぁ、話すのが下手くそなのは今に始まったことじゃないから、半分くらい諦めているのが本当のところ。

解散した後は、周りから浮かないように素早く教室を出て帰宅した。誰かに声を掛けられる前に。初めのうちは変なことはしない方がいいのだ。そうやって僕は殻に籠る日々を送ってきた。
それが身を護るのに一番良いのだ。
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