夏色 

文字数 2,872文字

 山の緑と流れる川面がきらきら光るのを一人橋の上から見るのが好きだった。

 田舎への帰省は、旅費を節約する両親の方針により自動車で十二時間かけ高速道路と下道を利用して車酔いしながらの苦痛を伴う風物詩だった。
 祖母は猫をたくさん養っており、姉弟で農家の広い庭で猫と触れ合うことを楽しみにしていた。
 猫とモフモフすることは都会で疲れた心を癒してくれた。

 もう一つ楽しみなことがあった。気になる男の子がいたのだ。
 それはお祖母ちゃんの隣家のお孫さんで、私より三歳年下の中学二年の中性的で美しい少年だった。
花岡(はなおか)さん、こんにちは。今年も帰ってきたんですね」
 麦わら帽子をかぶった少年はにこやかに挨拶し、出迎えてくれた。
大窪(おおつぼ)君、元気だった。久しぶり。しばらく見ないうちに背が伸びたねぇ」
 私は彼の成長に驚いていた。
「十センチ以上伸びたんです。少しは花岡さんの身長に近づけたかな」
 可愛らしい発言に胸の中で小さくガッツポーズをした。
 近くで見ると大窪君は、睫毛が長く黒目の大きな瞳、整った鼻梁、形の良い薄い唇をしている。肌の透明感もあいまって瑞々しい果実を連想する。

「小さい頃、夏休みはたくさん遊んだね。今は部活動が忙しのかな? 祖母ちゃんに聞いたけど大窪君の描いた絵が美術展で賞を取ったんだってね」
 彼は照れたようすで、
「県主催の美術展です。マグレでも嬉しかったです」
 と答える。
「私は絵心がないし、賞を取ったことなんてないから余計に凄いと思う。おめでとう。何かほしいものとかあるかい?」
 自分まで嬉しくなって祝いの言葉を伝える。
「ありがとうございます。それなら是非花岡さんに僕の絵のモデルになって欲しいんです」
 大窪(おおつぼ)卓哉(たくや)君はとんでもないことを言った。私、花岡(はなおか)朋子(ともこ)はそれが夏の恋の始まりになるとも知らずに頷いていた。

「難しく考えなくて大丈夫です。夏休みに滞在している間、時々僕とデートしてくれればいいんです。
アトリエに二人っきりでヌードとか無いから安心して下さい」
 画家は悪戯っぽく笑う。
 説明を受けながら、胸がどきどきしっぱなしだった。気になる存在の大窪君と二人で遊びに行けるなんて願ったり叶ったりだ。私は正式にモデルになることを決心する。

「はい、ラムネ。朋子さん喉がかわいたんじゃないんですか?」
 村の夏祭りの日に私は新しい紺地に金魚が描かれた浴衣を着た。髪も結い薄化粧をして意気込んで出かけた。だが履きなれない下駄に足が痛くなってしまい、休憩テントでパイプ椅子に座わる羽目になった。大窪君は心配そうに私の足元を窺う。
「ごめんね。情けない」
 ラムネを受け取って謝る。
「そんなことないです。朋子さんの浴衣姿、とっても綺麗です。足が痛いのは辛そうで心が痛みますがあなたを独占出来て、不謹慎だとしても僕は嬉しいんです」
 そんな殺し文句を吐くなんて狡い。彼はラムネを一気に飲み干した。その喉仏が上下しているのをみながら何だか顔が熱くなっていく。大窪君はふと私の顔を見て、
「朋子さん、顔が真っ赤ですね。何かありましたか?」
「ううん。大丈夫、少し暑くて。ラムネ美味しかったよ。ありがとう」
 ラムネ瓶を受け取ると彼は私の足元にかがみ込んだ。足の指を濡れたハンカチで痛まないよう慎重に拭いてくれる。私は面食らって、
「何してるの? 申し訳ないよ。それに恥ずかしい」
 と抗議した。
「こんなになるまで、付き合ってくれて今日は本当にありがとうございました」
 慈しむように私の足をマッサージしながらそんなことを言われると勘違いしそうだ。
 ただのモデルだっていうことを忘れそうになる。
 大窪君は見目麗しい点も長所であったが、それ以上に冷静で大人びた発言や気遣いこそが素敵な男の子だった。十四歳相応な無邪気さとのギャップにすっかり私はやられた。
 そう小さな画家さんを好きになってしまったのだ。

 夏の恋は実らない、誰がそう言ったのか。
 大窪君と私は逢瀬を重ねて楽しい日々が過ぎて言った。そして田舎から街に帰る数日前に二人で星を見ていた。
「ほらあれが、デネブ、アルタイル、ベガ、夏の大三角形です」
 優しく彼は説明してくれて、私は都会では考えられない程の星の数にため息を漏らした。
「やっぱり、朋子さんの佇まいは美しいですね」
「私が美しい? 初めて言われたよ。大窪君は変わっているね」
「僕自身が美しいと思って描きたい人にしか、モデルなんて頼みません。いつか朋子さんをきちんと描きたかった」
 私はびっくりして
「それは恐縮です」
 なんてとんちんかんな答えをしてしまった。

「明日デッサンを持って行きますから、この橋の上で待ち合わせしましょう」
 その言葉に明日を楽しみにする気持ちと、モデルの期間の終了を寂しく思う二つの気持ちがせめぎ合っていた。絵を描くためのデートだったのだから、これでいい思い出として終了かと無理に自分を納得させていた。
 だが、朝目が覚めると枕が濡れていた。朝食のときに弟に、
「姉ちゃん、目が腫れてる。何かあったん?」
 と心配されてしまった。

 山の緑と流れる川面がきらきら光るのを一人橋の上から見るのが好きだった。
 夏って感じがして、川面のきらきらも山の濃い緑もずっと残っていて欲しい。一年に一回しか帰省できないけどここは大切な場所だった。
 
 大窪君が大きなスケッチブックを持って、私に向かって駆けてくる。彼にわかるように大きく手を振る。私の所まで辿り着くと息を切らして、大窪君が言う。
「僕にとって忘れられない夏になりました。これ朋子さんをモデルにしたデッサン。一番の宝物です」
 
 私はスケッチブックを両手で受け取り、一枚一枚じっくり観た。
 そこには自分すら知らない表情をした私がいた。びっくりするくらい精緻なタッチで丹念に描かれた沢山の私。そこには瑞々しい生き生きとした女性がいた。描いている人の想いが伝わってくるデッサンだった。
 言葉を失った私に、大窪君が
「僕、こんなに表情豊かにデッサンが出来たのは初めてなんです。毎年、帰省する朋子さんに会うのを楽しみに美術の勉強を頑張ってきました。いつか朋子さんをモデルにする日を夢見て」
「何で私なの? さして美人とも言えないし、ただの幼馴染だよ」
 戸惑いながら言う。
「そんなことない。僕は朋子さんの事がずっと好きでした。あなたを見つめると、ずいぶん前から胸が高鳴っていました。ただの幼馴染なんかじゃ決してないです」
 冷静な大窪君が顔を真っ赤にして感情を吐露した。私は胸がいっぱいになったが、懸命に自分の気持ちを伝えた。

「私もあなたが好きです。年の差もあるし遠距離になるけど、こんなに素敵な絵を描いてくれた大窪君と過ごせたこの夏を忘れられないよ」
「本当にですか。やったーーーーーーーーーーーー。凄く嬉しいです。わがままですが、僕だけの朋子さんでいてください」
 切ない顔をして頼んでくれた姿は年相応で微笑ましかった。
「もう一人で橋の上で川面を見つめないで。たまには僕もご一緒させて下さい」
 彼の瞳の中には夏色の明るい笑顔の私がいた。








 






 


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