第1話

文字数 8,359文字


   

   医療特区 2030

 冷めたコーヒーを飲み干してパソコンを閉じた。今日は何も書けなかった。しばらく目を瞑り、机から離れ、窓から夕景を眺めた。山並みが幾重にも重なる先に市街が微かに見える。その上に薄っすらと三角形の山が浮かんでいた。山頂から少し下がった中腹から噴煙がたなびいている。その噴煙が今、恐竜の首のように見えた。頭の部分は刻々と濃淡を変化させながら形を変えていった。

 
 霧島へ来て一年がたつ。もともと南紀の別荘地を終の棲家と決めたつもりはなかった。震災から三年が過ぎ、私は八十歳になっていた。大鷹百合との関係は一年余り続いたのち、彼女が去っていった。田中夫婦は突然農園をやめて和歌山市に帰った。残った知人らも高齢になって次々に去り、近所に空き家がめっきり増えた。
 病こそ得なかったが体力はめっきり落ちた。一人暮らしが心細く感じられ、日々寂しさが身にしみた。経済的にも行き詰った。震災による国の財政逼迫で年金が減額され、月々の赤字を埋めていた蓄えも乏しくなった。物心両面で先が見通せなくなり、気分が塞いだ。
 そんな時、猫田から葉書が届いた。郷里の新潟のケア付き高齢者住宅に入ったという知らせだった。手書きだったから、わずかな知人にのみ送ったのだろう。昔写真を見せてくれた初恋の人については何も記していなかった。電話して直に聞く気にもなれず、形式的な文面の葉書を返しただけだ。猫田の近況を知って私はようやく決心した。山の上の別荘暮らしはもう終わりにしようと。
 だが、次はどこに住む? 震災前だったら、新しい住まいを探すのに多少は心が弾んだかも知れない。しかしその夢を実現させる資力はもうない。蓄えが尽きかけた今、年金だけで暮らしていける住まいを探すほか無いだろう。つまるところ、私も父同様に老人ホームに入るべきなのだ。故郷の老人ホームをいくつかあたって見ようと、私は渋々決心した。
 ある日の朝、新聞を開いていると小さな記事に目が行った。南九州の医療特区を紹介していた。特区に新設された長寿研究センターで、新薬の臨床試験を行うための治験者を募集していた。その瞬間、何かが閃いた。
 応募条件は、七十五歳以上の健康な単身者で、施設内に定住することが条件だった。居住費を支払えば終生住むことも可能とあった。私は躊躇なく応募した。大阪で二日に及ぶ精密検査と面接を受けた。
 
 面接では、創薬のための臨床試験のほかに、薬以外の実験のモニターになる意思があるか、高いリスクの治験も参加できるか聞かれた。私はすべて参加する意思があると答えた。
 審査に合格すると、施設入所と臨床試験に参加するための契約書や誓約書などの書類に署名捺印した。正式に入所と治験の参加が決まると、私は別荘を引き払った。
 荷物の大半を処分して、霧島の山あいに建設された長寿研究センターの定住者のための宿舎に入居した。入居者は十名だった。施設長から説明を受けた後、治験コーディネーターの郷田千鳥が紹介された。看護師でもある郷田は治験全般にわたる世話役だと言った。郷田は私たちが暮らすことになる宿舎と治験施設を案内して回り、当面の日程や生活全般の説明をした。
 宿舎は個室で、ビジネスホテルのシングルルームのようだった。バスタブはなくシャワーブースにトイレと洗面台、そしてベッド、小さなデスクとクローゼットがあった。テレビなどの電気製品も備えてあり、Wi-Fiが使えて冷暖房完備だった。居住費と食事代は有料だが、治験の期間は食事が無料で提供される。すべての自己負担金を年金の範囲で支払うことが可能だった。私が応募しようと思い立った最大の理由である。
 日常生活は厳格に管理された。治験の必須条件だった。規則を守れない者は退去させられた。ここで一生を終えるという覚悟を持ったものだけが残った。最初の一か月で一名が去った。
 定められた食事と運動。管理された睡眠。温泉地でありながら温泉浴場での入浴は一日一回と制限された。運動で汗をかいた場合のみ、シャワーが許可された。
 
 入所して三週間後の四月、最初の治験があった。老化予防薬の第一相の治験だった。
 朝、食事の前に臨床試験部の大部屋に十名が集められ、規定の量の水で大きなカプセルを飲んだ。すぐ採血の針が静脈に刺され採血用のホルダーがテープで固定された。そして十分毎にホルダーにつながった注射器で採血された。昼食まで計18回採血された。その間安静にしていなければならず、トイレ以外は大部屋のベッドの上で過ごさなければならなかった。コーディネーターから助言されていたので、全員端末や本を用意していた。私はタブレットで昔の喜劇映画を見た。
 八月が過ぎ次の治験があった。アルツハイマーの予防薬だった。その日台風が上陸した。私たちは腕に注射されながら、窓ガラスに降りかかる雨を眺めていた。
 秋が過ぎて冬が訪れた。南九州でも山あいでは雪が降る。十二月の雪の舞う日、画期的な若返り効果を謳う薬の治験があった。直後、体調不良で二名が集中治療室に収容された。センターに隣接する病院で長期入院することになり、規定でセンターは退所となった。年が明けると新たに三名が入所した。

 ――なぜ〝ここ″を志願したのか。
 誰から言い出すまでもなく、食事や休憩時に囁かれた。
 年金の範囲で一生暮らせる。最新の長寿研究の成果をいち早く受けられる。老化予防薬の治験で健康が維持できたら、小説を書き続けられるからと私は答えた。
 しかし老化防止への期待以外に、あるいはそれ以上に〝ここ″を希望する切実な理由があることを迂闊にも私は知らなかった。初日にそれを知って驚いた。そしてすぐ納得した。〝ここ″では安楽死が可能だということだ。
 長寿研究センターは高齢者の健康な長寿を目指す研究機関である。老化予防や若返りを実現する医薬品の治験実施機関でもある。と同時に非公式だが、高齢者の安楽死を実施していた。
 重度の要介護者になる前に死を選びたいと考える者にとって、安楽死を予約できる施設は他に無かった。健康で自立した生活が出来なくなる時に、あらかじめ決めておいた段階で死ぬことができる。自分の意思だけで決められて、親族や第三者の同意などは不要であることに皆強く惹かれていた――。

 治験がない期間を私たちはブルーと呼んだ。配布された日程表でその期間が水色に彩色されていたからだ。一年の大半はブルーで、四半期ごとにある一週間の赤色の帯が治験の予定期間でレッド。その前後のピンク色は治験の準備と事後の安静期間だった。ブルーの期間は、基本自由に過ごすことができた。少量の酒やカフェインレスでない普通のコーヒーを飲むこともできた。私は自室で小説を細々と書き、ウエブの投稿サイトにアップロードしていた。
 
 ブルーの期間でも、一定の規律はあった。インストラクターの指導でストレッチは毎日、ウオーキングや器具を使った軽い筋力トレーニングを週二回させられた。トレーニングの後は温水プールで軽く泳ぐことが推奨された。
 規則正しい生活と適度な運動、完全な食事、定期的な診察で私たちは健康を保った。それだけで十分長生きができる条件がそろっていた。その上治験で健康寿命が増進するとされる薬剤を体に入れるのだから、副作用がなければ私たちはさらに寿命を延ばすことになる――。
 
 
 噴煙が少し収まったのか、上空へ立ち上った煙は風に流されて変形し、今は鳥のくちばしが引き伸ばされたように西へ流れていた。そして山並みの上の空が薄紅色に染まってきた。腕に付けた端末が六時を告げた。私は食堂へ向かった。
 カフェテリア方式のカウンター付近で盛んにブザーが鳴っていた。トレイを受け取ると、トレイに埋め込まれたICチップが各自の端末に紐付される。禁酒対象者が酒をトレイに載せると端末のブザーが鳴り、トレイのランプがオレンジに点滅するのだ。酒は不可なのについ手が出てしまうのだろう。今日は新人が多いらしい。
 私は夕定食と焼酎の湯割りをトレイに載せた。グリーンのランプだ。オプションでいちごミルクを追加した。これはオレンジが点灯した。カロリーオーバーらしい。仕方なく配膳ケースに戻した。テーブルにトレイを置くと、私は焼酎を一口飲んだ。直後、
「一週間の禁酒はきついですよね」
 声の主は斜め前のテーブルにいた。六十代後半の赤ら顔の男が急いで視線を逸らせた。
「この前は一か月禁酒でしたよ」
 向かいに座っている年長らしい禿げ上がった頭の男が応えた。
「長生きの薬をただで飲める上に、日当が良いんだから我慢しなきゃ」
 その隣の七十代後半に見える白髪の男が言った。
「それはそうですね」
 最初の男が真顔でうなずいた。
「食事が管理されるから、体調が良くなりまして」
「そうそう」
 二人が同時にうなずいた。
「決まった時間に運動までやらされるし、ここにいれば、薬を飲まなくても長生き出来ますよ」
 最初の男が言った。
「私らみたいな短期のプランじゃなくて、定住プランというのがあるじゃないですか」
 男が私の方をちらと見たような気がした。
「いわゆる、終の棲家コースのことかな?」
 白髪の男が聞き返した。
「ええ。死ぬまで面倒見てくれるとかいう」
「ああ、あれは良い。私は女房がいるから応募できないが」
 禿げ上がった頭の男が言った。
「羨ましいですよね。長寿研究の被験者で衣食住が保証されて費用が安いとか。こんな時代だから、希望者殺到でしょう」
 最初の男が白髪の男に問うた。
「短期のわれわれだって高倍率だったから、それはもう狭き門だろう」
 白髪の男が続けた。
「七十五歳以上の健康な単身者が対象で、長寿研究の治験だから、参加者は百歳以上生きられるとか。ただし……」
 男は声を落とし、相手に顔を寄せてひそひそ声で話し始めたので、全く聞き取れなかった。男が話す内容は想像できた。たぶん安楽死のことだろう。あるいは薬の副作用かもしれない。一定の確率で重態に陥り、死ぬことさえあるのだ。

 私は食事を終えてラウンジへ行った。一足先に鳥羽遼がコーヒーを飲んでいた。私はカフェインレスのコーヒーをマシンから紙コップに注いで隣に座った。暮れかかる景色が眼前に拡がっている。南の方角は私の部屋と同じ眺めだ。水平線上の火山が見える。東の窓からは県境に至る連山が見渡せる。山裾の上に突き出た峰が夕日でひときわ光っていた。
「相変わらず早いですね」
 私は鳥羽遼に言った。
「飯を食うのに並ぶのが嫌なのさ。震災の時の行列を思い出すじゃないか。今日は六時五分前に食堂の入り口にいたぞ」
「それでも先客がいたとか」
「一人いた。せっかちなやつだ」
 それは自分のことだろうと、私はおかしくなった。鳥羽は私より五歳年上だ。皆から「教授」と呼ばれている。大学で哲学を教えていた。
「それにしても、今日は新人が多いですね」
「コーディネーターの話では三十人だそうだ。第一相で二週間」
「フェーズ・ワンで三十人も?」
 私は驚いた。普通は十人程度だ。
「製薬会社が急いでいるんじゃないか。カイザーだとさ。製造販売の承認を早く取りたいのだろう」
 新薬の開発は動物実験を経て、人体で臨床試験を行う。三段階実施するが、第一相(フェーズ・ワン)では、薬物の安全性や体内動態を確認する。動物の試験で確認できなかった毒性や副作用が出現するリスクを見るのだ。
「治験者が多くなれば、万一事故が起こった時の人数も増えますよね」
 私は素朴な疑問を口にした。
「仮に事故があっても、副作用のデータが数多く取れるからいいんじゃないか」
 鳥羽が言った。
「ふむ、なるほど」
「女史に聞こうじゃないか」
 鳥羽が小声で言った。
 鷺沢八重が青い液体の入ったグラスを手に持ってやってきた。近くの椅子に座った。
「それは何?」
「あ、これ? カクテルですわ。ノンアルコールの」
 私は鳥羽とのやり取りを鷺沢に話した。鷺沢が青いカクテルを一口飲んだ。
「教授のお考えの通りです。ここは特区ですから審査がありません。治験参加者から誓約書も取っているし、事故が起こっても大して問題にならないわ。逆に数多くデータが取れて、開発も迅速に行えるというわけ」
 鷺沢は七十五歳。製薬会社の元主任研究員である。退職したことになっているが、今も会社とコネクションがあると噂されている。博士号の学位を持つので、陰で「女史」と呼ばれていた。陰でというのは、本人がその呼称を嫌がるからだ。
「はっきり言って、今回治験を実施するカイザーの新薬も期待できないと思います」
 鷺沢があっさりと言った。
「え? そうなの?」
 鳥羽が意外そうな顔をした。
「十年前から若返り効果をうたった薬がいくつも出ましたけど、私も含めて皆さんが身を以て試験されたように、若返り効果は見られませんでしたよね」
 鳥羽がうなずいて、
「長寿遺伝子を活性化させて老化を遅らせるという狙いだが、若返りどころか老化を抑制する効果も微々たるものだった、しかも強い副作用が出てしまった」
「そういえばあの二人、その後どうなったのかな」
 私は口をはさんだ。ずっと気にかかっていたのだ。
「退院してお二人とも地元に帰ったらしいです」
「それならいいけど」

 私は釈然としなかった。が、今はその話題ではない。
「で、カイザーの新薬も効果がないというのは?」
 鳥羽が促した。脱落した二人に関心はないのだ。鷺沢はグラスをテーブルに置いた。中身が半分残っている。
「たしか2015年頃、メディアで話題になりました。六十歳の老いたマウスにある酵素を与えると、細胞が二十歳の細胞に若返ったとか。でもマウスとヒトは違いますよね、当たり前の話ですが。現に、人間を対象に何度も臨床試験を行いましたが、ほとんど効果がなかった。それでもその後出てきた薬は、みな同じ酵素でした。私たちが治験した薬もそう。メーカーが違うだけで」
「カイザーの今度の薬は、別の方法で長寿遺伝子を活性化させると聞いたが」
「そうですね。残念ながらその方法でも限界があることが判ってきたんです」
「ヒトも含めて生物一般は細胞分裂ができる回数があらかじめ決まっていて、老化というのはその回数が減ってくることだ。だから、改変したRNAを血管に注入して細胞分裂回数を増やせば、寿命が延びるということだろう?」
「はい」
「不老不死の実現は、細胞を不老不死化すればいいのだが、細胞が癌化する恐れがあるということだ」
「さすが教授、よく勉強してらっしゃる」
「ネットで調べただけだ」
 鳥羽がぶ然として言ったが、鷺沢は取り合わない。
「細胞が無限に分裂する能力を持つというのは癌細胞になるということですから。それで件のRNAには、一定時間だけ細胞分裂能力を向上させるタイマー付きの機能を持たせるようにする。それを定期的にヒトの体内に送り込んで、その都度分裂回数を増やそうという狙いです」
「それでも効果がないのかね」
「癌化するスイッチが入らないように、安全装置を強化したので、そのぶん効果が弱まった。しかも、これは若返りではない。体内に投与された時点で、死へのカントダウンの数字が、例えば二や三しかない残りの生存年数が七か八に増える程度。寿命が少し伸びるだけで、決して若返るわけではないのです」
「それに、癌になる可能性もゼロではないでしょう」と私は問うた。
「そうなの?」
 鳥羽も問うた。
「十パーセントくらいですかね」
 鷺沢が小首をかしげた。
「三十人のうち三人が癌か」
 私は低い声でつぶやいた。食堂にいた連中を思い出した。彼らの内の三人が癌になるのだ。鳥羽がうーんと唸った。鷺沢は青色のドリンクを飲み干した。
「本当の意味での若返りというのは、やはり無理か」
 鳥羽が少し落胆した口調で言った。鷺沢女史は空になったグラスをテーブルに置いて夕景を眺めていた。西の山裾に日が沈んで山容は宵闇が濃くなってきた。東の連山の峰の上に一つ二つ星が瞬いた。
「ホクトが今動物を使って新薬を試験しています。年内にはヒトによる治験が始まるでしょう」
 さりげなく女史が言った。ホクト薬品とコネクションがあるという噂は本当だった。私と鳥羽は顔を見合わせた。
「ということは……」
 鳥羽が問いかけた。女史は意味ありげに微笑を浮かべた。
「画期的なクスリになると思いますよ」
 とだけ言い、空のグラスを取り上げて女史は去っていった。

 二か月後の六月。私たちは治験コーディネーターの郷田からミーティング室に呼ばれた。
「四月に実施したアルツハイマー病のジェネリックの治験以来、参加の申し込みがありません」
「何か問題がありますかね」
 鳥羽がとぼけて言った。
「八月の治験に参加して頂きたいのですが」
 それに答えず、鳥羽が単刀直入に言った。
「十二月にホクトの治験があるよね」
 郷田が驚いた。
「よくご存じで。まだ発表前ですが……」
「われわれはそれに参加しようと思っている。八月の治験に参加したら薬の影響が僅かとはいえ残る怖れがあるからね」
 鷺沢が横でうなずいた。
「そうでしたか。なるほど……」
 郷田はしばらく考えてから、
「よくわかりました。しかしブランクが空くのは問題なので、お三方には別の試験に参加して頂こうと思います」
 センターの業務は可能な限り参加しなければいけない。入所時に署名した誓約書にもそんな規定があった。
「それで、どういう試験なの?」
「終末看取りと言いまして、認知症が進行している高齢の患者に生物学的な死より〝少し早く″死に至らしめる処置を施します」
「それは現に実施してるんじゃなかったかね」
 鳥羽が穏やかに口を挟んだ。
「その件についてはお答えできません」
 すました顔で郷田はかわした。
「ここで実施されているのは、あくまでも、安楽死が法的に認められる時のための先行的な臨死研究です」
 安楽死の処置はセンターの付属病院で実施されている。このことは公然の秘密だ。関係者は肯定も否定もしない。特区の名の元に生命が軽視されているという非難をかわすためだ。安楽死という名のホロコーストだと週刊誌から叩かれたこともある。その時は政府筋が巧妙にメディア操作をして、燃え広がりそうな火を消した。それ以来長寿センターでは、安楽死の実施と受け取れる表現を極力避け、臨死研究のための治験を行っていると言うようになった。
「当センターでは、今後安楽死が容認されるために、処置のプロセスを倫理的に洗練されたものにする必要があると考えています」
 郷田によると、死に至る間際に本人が希望する幻影を体験できるシステムが考案された。それが「終末看取り」であるという。
「つまり死ぬ前に最後の夢を見させるってわけだ」
 鳥羽がつぶやいた。
「被処置者は薬剤によって苦痛なく緩やかに死に至りますが、並行して麻薬や幻影を起こさせる装置によって、希望するストーリーを仮想体験することになります」
「その終末看取りとやらに我々が参加するということは、つまり死ぬということだ」
 鷺沢がくすくす笑った。
 郷田は苦笑しながら否定した。
「いえいえ、お三方が臨死の状態になるわけではなく、催眠剤で眠った状態で夢を見て頂くということです――」

 私たちは開発に参加することになった。各自が得意な分野を生かした。鳥羽は倫理面をチェックし、鷺沢は製薬会社の協力を得ながらクスリを選んだ。私は様々なストーリーを収集し、提供した。自分の作品の題材は使わなかった。ネタとして思いついたが、文章にならなかった夢や妄想などだ。死ぬときに見たい夢――それはどんな内容の夢でも許される。文字通りいかなる内容でも本人が希望すれば許されると鳥羽は判断した。その人は死んでいくのだからと。
 私たちは自分が死ぬときに見たい夢を仮想体験することになった。私は「如来来迎」を選んだ。私が作ったシナリオである。時代は室町。場所は都と思しい山麓のとある屋敷。
 ヘッドギアのような器具が頭に被せられ、電極が頭の表皮に張りつけられた。
「コンピュータから出力された信号が、ヘッドギアにつながった電極から脳に送られて、人為的な夢をあなたが見ることになります」
 医療技師が機器を一つ一つ説明した。
「眠剤を飲んでください」
 郷田から手渡された錠剤を口に入れ、コップの水と一緒に飲み下した。薬を飲んだことを郷田が確認して、私はベッドに横になった。私が見ることになる映像は、夢がそうであるように視点が定かではない。主人公の視点ではなく他のキャラクターの視点になるかもしれない――説明を思い出していると照明が徐々に暗くなった。薬が効いて意識が朦朧としてきた。そして私は眠りに落ちた――。
 
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