第1話

文字数 4,481文字

 ここは、山梨にあるとあるスーパーマーケット。開店は朝の9時、閉店は夜の9時。この12時間の中で、地域の人々の人生を創るといっても過言ではない、食品を売る小売業の世界…あ、ご紹介が遅れて失敬。私はこのスーパーマーケットの土地神です、とでもいっておこうか。ここが出来てから25年、様々な社員やお客様を見送ってきたが、一昨年入ってきた青年Tの仕事ぶりは、見ていて惚れ惚れとする。まあまあ、そうあせらずに、入社当初からの働きぶりを教えて差し上げるから。
 初陣は、2017年の4月吉日。座学ばかりの入社研修を経て、いきなり現場で実地訓練、サービス提供ってのは、まあ肩が凝りそう。…肩はあるよ?神様にも色々な種類があるんだから。骨折らないでちょうだい。この日から一ヶ月はレジの研修。当たり前のように通すレジだけれど、商品を丁寧に扱い、かつ迅速にバーコードを通すためには、商品1つ1つがどこにJANコードがあるのかを把握する必要がある。さらに、お客様がマイバックをもってきていたら、いかに持ちやすく帰っていただくかを計算しながらスキャン済みの商品を配置していかなければならない。丁寧と迅速という背反した事象を並行する仕事。誰でも出来るけれど、誰にも出来ない仕事、今どれだけ効率化が進んでいても、レジに人がいる所以のひとつなのかもしれない。さらに、レジはセルフサービス方式の小売業にとっては最後の砦。楽しい買い物をしてもここでの接客が悪ければ、この店の評判に繋がってしまうし、また逆にサービスによってファンをつけることも出来る。男女関係なく、笑顔が素敵な人とは話をしたいと思うでしょう?でも彼、まだまだ動きが固すぎて、ダブルスキャンなんかもして、あたふたしたの。でも、分からないことは上司やパートさんに積極的に聴いて、恥を捨てて、お客様に迷惑をかけたときにはしっかりと、申し訳ございません、って言えているから、お客様もおおめにみたり、笑顔は必ずするもんだからお客様に頑張ってなんて声をかけられたり、なかなかセンスがある子だと思わない?そのひとことで、人の気分や印象は決まってしまうということを、彼は理解しているんだろうね。朝まず出勤したら、通りかかる部門の全ての人にしっかりと大きな声で挨拶をして回る。各部門のその日の“表情”を感じ取って、どういう状況かをつかんでメモする。同じ部門の社員の出勤状況を確認して、今日のカレンダー上のイベントや近日の給料日等の予測、天気、交通情報、テレビでの食品情報の確認を毎日したうえで、レジに望む。研修のときからこうやって1からしっかり取り組む社員なんて、なかなかいないわよ。もちろん上司はある程度迅速で、サービスカウンターも出来て、臨機応変に対応できているみたいだけれども、部下の小さな変動や状態、健康等にも気遣えるようじゃなきゃいけない。従業員は会社の礎。従業員が幸せでなくて、お客様を幸せにすることなんか出来ない。それをこの子は分かっているのよ。毎朝言葉を色々な従業員と交わして、雰囲気をつかんで、あえてそれを壊してみることもやるし、流れにそってうまく橋渡しもする。それをお客様との何分かにも生かそうとしているのよ。あっぱれよ。まあ、そうはいっても、サービスカウンターの研修では、やっぱり男の子らしいというか、包装は下手ねえ・汚いったらありゃしない。練習して家でも勉強したもたいだけど、もっと修行が必要かね。これは肝っ玉母さんたちは巧者といえるだろうね。常連様のなかには、サービスカウンターでお会計をする人もいれば、特定の行政や企業様は決まったものを、売り掛けで買っていくお客様もいる。状況に応じて、車に運んであげることもする。簡単に見えるけど、忙しい時間帯の見極めや、レジの空けるタイミングとか、色々考えているのよ。当たり前に包装等やっているように見えるけれど、慶事や弔事の言葉の使い分けやゆうパックでの宅配を受け付けたり、観光案内なんかも時折対応したりして、常にお客様と同じ空間にいて、気を配る必要がある。それがレジの仕事かな。研修の割にはよく頑張っていたようだね。
 次の一ヶ月は、グロサリーの仕事。グロサリーは、お菓子やドリンク、アイス、パン、納豆や豆腐、ヨーグルトや牛乳などの日用食品から、雑貨までを取り扱うスーパーの大部分を担う大事な部門の研修。まずは商品の扱い方を学んで、1日の仕事の流れを身につけるところから。朝はパンや日用食品、つまり日配を開店時間までに揃える。繁忙期には毎日おびただしい量の商品が入ってくるから、眠そうな目をした日のTの動きが大変そうだった。それでも、しっかりと腰をいれてせっせと作業する彼の動きは、周りからみておがんばっているなという印象をつけるものだったよ。新入社員や、初めての経験をする場所で大切なことは、やる気と元気。それ以外は何も求められない。そこを少しはきちがえてしまうと、自分で自分の首を絞めることになってしまうと思う。転職も常になっている世の中だけれど、面接時に何となく付け焼刃で考えたきれいなことばの数々だけでは、経営者の心は動かすことは出来ない・・・ってTがいっていたよ。この子は、ここに入る前に別の会社で働いてからきたみたいなの。人事の仕事をしていたみたいだけど、全く畑の違うこの業界を目指すときに、社長の心を動かしたのは食への思い、ただそれだけだったということみたい。何故なら、その他の景観やスキルがその時点であいから、だよね。それでも、人柄や能力を何回かの面接だけで判断することは必ずしも採用の上で好ましいことではない、とも言っていたけれど、現状この国の、いや世界をみても、面接して直接話して採用が決まる、というやり方に収まっているから、ならばそこで自分を表現するほかはない、と割り切っていたみたいね。ここでも、自分が与えられた仕事に対して、変なプライドは捨てて、分からないことは何回も聞いてメモしていた。評価は、他人が勝手にするものだけど、自分の中で自分をしっかりと見つめなおすことも大事よね。覚えるためはもちろんだけど、メモしておくと、そのときの感情や情景が文字から思い出される利点もあるから、大切だと思う。この子はグロサリでは特に、その点に気をつけて仕事をしていたみたいね。
 日配が終わると、今度はお菓子や食品、その他その曜日によって来る商品を並べていく作業をする。混雑時には、大きなカートを使わなかったり、売り場い一番出ている社員でもあることから、よく声をかけられることがあるため、お客様に呼ばれたらすぐに対応したりなど、1つの仕事に集中している暇がなかなかないのも特徴なのかな。その後、日配の発注をして、午後は季節の売り場や、各売り場のゴンドラの両サイドの展開を考えてみたり、次の日の売り場の準備やポップの準備をしたり、時にはレジの応援や他部門の応援にいくこともしばしば。さらに、商品の売価を変動させて、死に筋商品の調整などを行ったり、ポップを作成したり、売り場の冷蔵庫の温度鮮度、賞味期限チェックをしたり、売価のチェックを機械を通して行ったりなど、仕事は短期に及ぶもの長期に及ぶものまで多岐にわたるため、飽きない仕事でもあるようで、Tはいつもやりがいを感じて退勤していってたね。
 そんな研修のある日、お客様から商品の場所を聞かれることがあった。彼は、わからないながらに、必死に探したけれど、全く見つからない。何分か売り場をさまよった終いに別の社員に聞いて、ことなきを得た。初心者マークもつけていたことから、お客様はこれからも頑張ってね、って声をかけてくれたみたいだが、本人はとても悔しがっていたようだった。時に完璧主義は、うつを誘発してしまうこともあれば、それがきっかけで他の従業員とも諍いを起こす種になり得たりもしてしまう。しかし、この心意気が、お客様に対する最大のおもてなしになったりもする。彼はこの日、売り場全ての写真を会社用のアイフォンでとり、休憩中や仕事後の時間を使って覚えようとしていた。経験で何年もやれば必然的に覚えることを、少しでも早く覚えようとしていたのである。そして、別の日、あのお客様がまた来店していた。彼は、あえて近くに行ってみると、また商品の位置を聞いてくれたようだった。それが、彼を試していたものなのか、実際に聞いたものなのかは分からない。しかし、今度の彼はスムーズに売り場に案内した。特売のしょうゆである。しかも彼は、本しょうゆや減塩、生醤油の違いを説明することまでやってのけたのである。お客様はたいそう喜んで、特売のものではなく、普段は買わない高い醤油を買っていただけたようだった。
「丁寧な説明、ありがとうね。ずっと分からなかったことがわかったし、食べるのがあたひとつ、楽しくなりそうだよ。この店はね、なくてはならないものなんだよ。他に店がないこともあるけどね、みんなと話すのが楽しいんだよ。近くの人はもちろん、こうやって社員のかたと話すとね、若返ったように感じるんだ。まさに私のライフラインのひとつなんだよ。ありがとうね。これからも頑張ってね。」
このことばの数々は、Tを小売業の虜にさせるだけでなく、地域に不可欠な存在としてのスーパーマーケットのあり方を考えさせ、またサービス業のすばらしさを感じる瞬間にもなった。
 ありがとう、と何気ない一言の中に、どれだけのパワーが混在しているか知れない。親しい人のありがとうには力がある。しかし、知らない人からのありがとうには、存在する意義を見つめなおさせてくれるような気づきがある。従業員同士でもそうだ。ひとつ何かを先読みすること、しっかりと意思疎通をはかること、その全ては思いやりから始まることだ。それは、働きながら学ぶことでもあるし、サービスを提供して学ぶことでもある。
 研修の段階でこれらを学んだ彼は、毎日努力を続けて、研修一ヶ月短縮されてグロサリの別店舗に本配属になった。報われようとする努力ではなく、好きでやる努力こそ、仕事の真髄なんだろう。見ている人は見ている、そんな小さなことを気にせずとも、仕事が出来る環境こそ望ましい。自分から動いて、笑顔でにこにこして、元気がいいなどという、いわゆる新人にある理想の形は、どの役職であろうが何歳であろうが、重要なことだろう。働き方改革なんて、時間短縮して幸せになるだけが全てじゃない。働いている時間が楽しいとならなければ、成功したとはいえないんじゃないか。それは、このTを見て、改めて世の中に言わなければならないことでもあろう。・・・まあ、土地神がいうようなことでもないけれどな。
 おやおや、今度は専門卒の子が入ってきたようだ。私に出来ることは、この地を災害から守り、事故のないよう力を送るだけ。仕事を通じて、地域の人々が笑顔になるその様子をみるのは、いい気分だな。仕事を楽しめ。笑顔で生きろ。そんな今日も、歩いていけ。
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