第1話

文字数 773文字

 大学卒業前の冬休み、就職先も決まった私は、卒業旅行の資金を貯めるため、
蕎麦屋でアルバイトをしていた。
 迎えた大晦日、店に入ってくる人々の顔は緩み、安堵の空気を漂わせていた。テレビでは例年通り、
「築地市場の今の様子はどうでしょうか?」の、ニュースが流れる。
 夜遅くまで、客は絶えなかった。
 夜の十一時をまわり、仕事を終えた私は駐輪場へ向かった。凍てつく寒さ。友人からいただいた
長い長いオレンジ色のマフラーをぐるぐるぐると首に巻く。
 自転車に跨り、家路へ着こうとした時だ。星空を上に見る駐車場の下で、私を呼ぶ声がする。
見渡すと、一台の白い普通車が停まっていた。その車は、ゆっくりと私の方に近づいてくる。
 薄暗い中、目を凝らすと、助手席には友人の笑顔、後部座席には、友人のお母さまの笑顔があった。
運転していらっしゃったのは、お父様であろう。
 私は混乱した。なぜ、友人とそのご家族が、大晦日のこの時間に、私のアルバイト先に居るのか!?
友人宅は食品の卸問屋で、地域のホテルへお節料理の具材を届けたりと、大晦日から正月ににかけては、
猫の手もかりたい忙しさだと事前にきいていた。余計にこんがらがる私の頭。
 友人は、車の窓から叫んだ、
「お蕎麦、四人分余ってないかな?」
「も~無いよ」
私はつっけんどんに返した。
「え~一つもないの?」
という友人にさらに私は短文で返す。
「無い」
 友人との会話の中で、友人が、寒く、疲れている中、ご家族をつれて私のところに会いに来てくれたことは理解した。
 しかし、22歳の私が、素直に喜べるわけがなかった。こっぱずかしく、照れ臭く、嬉しく、ごちゃまぜの感情だ。小さくはない規模で、食品の卸業をしている友人の家に、蕎麦くらいあるはずだということも脳裏を過った。
 友人は、
 「そっか。残念、良いお年を」
 と、車の窓から叫び、帰って行った。
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