第4話 2. 飛べない《 飛仙族 》

文字数 6,706文字

 
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 青い髪だった。
 青いというか、陽に透けると白っぽい水色だ。
 まっすぐで、さらさらしていて、長くて。
 大地の女神の背骨山脈の、奥深い峡谷にあるという…
 清冽な、…
 滝のようだ。
 …と、その姿をはじめ観た時に、ミトルはおもった。

 歩いて来る。
 木陰に入る。
 すると、白っぽい水色に透けていた流れ落ちる滝のような髪は。
 ふいに陰がおちて色が濃くなって。
 月のない夜空に煌めく、星々のような光沢をまとった、
 深い…
 藍染の絹糸の束を、豊かに長く垂らしたような。
 夜の、川面のような…
 濃い、群青…

 珍しい髪だった。
 このあたりでは、見たことももちろん、うわさで聞いたことさえもない。
 そんな髪をわずかな風になびかせながら歩いて来る人は。
 やがて、山の上の斜面のはしから、びっくりした顔で眺めおろしている二人の子どもに気付いて。
 一瞬、驚いたような顔をして。
 それから、すぐに笑顔になった。
 とてもとても嬉しそうな、笑顔だ。
「****!」
 なにか声をかけながら片手をあげて挨拶をしてくれる。
「?」
 ミトルとアステはことばが聞き取れなくて、首をかしげた。
「…こんにちは!」
 とりあえずミトルは声をはりあげた。
「****… コンニチワ!」
 旅の人は、同じ言葉で返事をしてくれた。
「こんちわーッ!」
 アステもとりあえず、大声であいさつを送った。

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 しばらく待っていると、旅の人は、ふぅふぅと大儀そうに息をきらしながら。
 峠に近い、傾斜のきつい、木の根と草こぶだらけの坂を。
 赤い顔をして… 少し急いで…
 せっせと登ってやってきた。
 道というより獣道の痕跡と言ったほうが正しい程度の。
 ほとんど夏草に埋もれて見分けもつかなくなっていたような。
《ご先祖村》方向へと続く山道の。
 どうやら峠の一番高いところに着いた。
 …と思うなり、その人はふぅーっと背を曲げて、両手を膝について。
 赤くなった顔で荒い息をつきながら…
 にこにこと、二人に挨拶をしなおした。
「…コンニチワ!」
「こんにちわ。たびのおかた?」
「こんちわっ。うちの村へようこそ?」
「コンニチワ。ココの村は、ナンというトコロですか?」
 旅の人は、言葉はなんとか通じるようだが、話しかたが…なんだか、ちょっと変だ。
「…《ご先祖村》の連中は、こっちを《はずれ村》とか呼んでるらしいけど…?」
 アステが、ちょっと困って、しかめっつらをして…答えた。
「ゴセンゾムラ?」
「この道の、あっちがわにある、…大きな…」
 ミトルがその方向への道筋をだいたい指さして説明すると、旅の人は、ああ、とうなずいた。
「…アチラの村のカタガタは、ご自分達では《女神の御山に近い村》と言ってましたが…」
「そうそう。そんでオレらの村を《遠くのハズレ村》とか悪く言ってる。…らしい?」
「…ソンナことも無かったですケド…」
 旅の人は、ちょっと困った笑顔で言った。
「…《御山を下った谷すそに移り住んだ物好き子孫たちの村》…の、ほうでしょうか?」
「あ、それ。そうとも言う。」
 アステは簡単にうなずいた。
「…もしかして、《南の坂下に移り住んだ村》のほうへ、行きたかったの?」
 ミトルがちょっと心配して、聞いてみた。
 夏草が茂り過ぎていて、道の分かれめを間違えてまっすぐ来てしまったかと考えたのだ。
「いえ。」
 旅の人はゆっくり笑った。
「こっちで大丈夫です…」

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「うちの村のえらそうーにしてる連中は、自分たちじゃ《女神の血の濃い尊き子孫たちの村》って言ってるよ? 威張ってさ?」
 アステがそう説明した。
「んで? なんかうちの村に用事?」
「…いえ。コチラの村を通って、向こう側の。もっと西のホウへ、行きたいのですが…」
 旅の人は、ぜいぜいと息をつきながら、身振りで『歩きましょう』と、二人にうながした。
 ここからは、道は村まで下り坂になり。
 ずっと、気持ちの良い木陰の中の道程だ。
「あぁ… 涼しい…」
 旅の人は、星の瞬きをまぶした長い長い夜の滝のような髪を背中にかきあげながら、ため息をついた。
「マダ春先だと言うのに、南側の斜面はヨク陽が当たるせいか、夏のように暑かったですよ…」
「《ご先祖村》よっか、だいぶ山を下ってきたからな~。このへんのほうが、低い分、暑いらしいぜ?」
「そうなんですね…」
「だいじょうぶ? 顔が赤いわ…」
「えぇ、だいじょうぶですが… 途中で、手持ちの水を、飲みつくしてしまったもので…」
「あぁ、喉が渇いているのね!」
 ミトルが、気がついて、小さく叫んだ。
「…こんな山の上では、まだ水場も遠いでしょうし…」
「…湧き水なら有るぜ? ちょっと下?」
「あたし呼んであげるね!」
 ミトルが急いで…『 謡った 』。

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 (描写)

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「…ありがとう。生き返りました…」
 ミトルが『謡って』『呼んだ』真清水を。
 小さな手のひらに満たして、「はい!」と差し出してくれたので。
 旅の人は驚いた顔で…
 いっそ神聖なものに触れるような、うやうやしさで…
 ひざまづいて、その小さな掌に、口づけて。
 ごくごくと…
 飲み干して…
 深々と、跪いて、正式な最敬礼の姿勢をとった。
「?」
 ミトルもアステも、ちょっとびっくりしてその姿を眺めて。
「…足りなかった?」
 ミトルは、心配して、
「もっと呼ぼうか?」と、付け加えた。
 旅の人は、慌てて謝絶した。
「いえ、もう充分に頂きましたよ… あとは、その湧き水のところまで連れていっていただければ…」
「あ、ちょっと歩いて下ってけばすぐだぜ?」
 アステがさっさと道を案内しはじめた。

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「…歩きながらで恐縮ですが… ご挨拶が遅れました。
 私は、遥か東の《飛仙族》の棲みか《香り森の都》から参りました。クスエセン・ウェンセトラルア=ガルラと、ヴァスラレドエ・グワラルヒアラナ=ガラナドラゾーレの間に生まれた第二子、ヒシュス・クスルクスルクセエセン=エンセトガイナドヴェドレア、と申します。」
「………?????????」
 ミトルの小さな両目が限界まで丸くなった。
「…なっっっっ… げーーーーーーーーー… よッ…!?」
 アステが呆れて叫んだ。

「…覚えにくいでしょうから… 短くして、ヒシュス・クスエセンとお呼びくださいね?」
「…あぁ良かった… ヒシュ、でいい?」
「えぇ、もちろん。」
 何度か舌を噛んで絶望的な顔になりかけていたミトルが、本気で安堵した。
(…驚いた。)
 その小さな、まだおそらく《大地の女神に聖血の返礼を》する歳にも達していないであろう、本当に小さな背丈と肩幅の。
 少女と童女の境目あたりの…
 幼いミトルの。
 なんのきなく唐突に『謡』われた、古い古い神謡の。
『はなれた場にある水を召喚する』謡い…。
 それは、遠き世に消え去った女神たちの『神力』を『呼びおろす』…もので。
 儀式などで懐かしく慕わしく謡い継がれることはあっても。
(…今の世に… まことに『水を呼ぶ』力者が… いまだに、生まれていようとは…ッ!!)
 ヒシュスクスエセンは実のところ声にも出せないほど驚き、感動していたのだが。
 なんの変哲もない寒村の、あまり裕福な家の子どものようにすら見えない、粗末な身なりの…
 子どもたちが。
 あまりにも普通に… あたりまえのこととして、それを執り行っていたので。
 ぶしつけに、いきなり質問攻めにするわけにもいかず。
 ひとまずヒシュスクスエセンは、相手側からの矢継ぎ早の、子どもたちからの素朴な疑問攻勢に答えることのほうに専念していた。

「名前は… 先ほども申しました通り…
 ヒシュス・クスルクスルクスエセン=エンセトガイナドヴェドレア。
 これ全部がひとつながりで、ひとつの名前なのですよ。
 意味は… このあたり風に言うと…
《出会うはずではなかった運命の二人の奇跡の出会いから生まれた数奇なる宝子》
 といった感じでしょうか…」
「…本当に、そんなに長いの…?」
「えぇ。《香り森の都》では、このくらい長い名前のほうが、縁起が良いと考えられているのです。」
「…覚えんの大変じゃね?」
「まぁ親しい者の名前以外は、なかなか全部は覚えていませんが。」
「だよな~?」

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「…サシツカエナケレバ、おふたかたのお名前もお伺いできますでしょうか?」
「俺の名前は~。…簡ッ単に! アステト・アルラ!」
「…………もしかして、《アステト家系》の血筋のかたですか…ッ!?」
 本日二度目の驚愕に、ヒシュスクスエセンは思わず叫んだ。
「…だから何だよッ?」
 アステははっきり気分を害した声で叫んだ。
「…私は、西のはずれにあるという噂の《泥濘人》の街を訪ねて旅をしているところだったんですよ…っ」
「はぁ?」
「まだまだ何年もかかるほど遠いかと思っていました! こんなに早く出会えるなんて…ッ!」
「…ちっげーお! 《泥街》は、まだまだ遠いよッ!」
「…そうなんですか…」
「俺のおやじがたまたまこっちまで行商に流れて来た時に、たまたまかーちゃんと気が合っちまって、偶然こさえた子なだけ… 俺がッ!」
「そうなんですね…! …こんな東のほうにまで… 行商に…!」
「…なに喜んでんだよ…?」
「伝説の、《アステト家系》のかたがたが、実在する、というだけで…! はるばる旅をしてきた甲斐が…ッ!」
「…なんか… なにげに逆になんか失礼なこと、言われてね…??」
「えッお気に障りましたか? 申し訳ありませんッ?」
「…ぷぷぷ…」
「なんだよミトル?」
「…なんか… ヒシュさんのしゃべりかたが… あっという間にアステに似て来てる…っ」
「……あぁ、私、『言語を真似ぶ』のが早いほうなんですよ…」
「まねぶ?」
「えぇと… こちらでは使わない言葉でしょうか…?」
「マネする、のことかしら…?」
 なんだかんだと話があちらこちらに脱線している間に、涼しい山の北側斜面をずんずん下って…
 湧き水と小川に沿って流れる、少し太いはっきりとした小道のあるあたりに着いた。

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  (水場の描写)

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「…はぁぁ…! ありがたい…!」
 水場につくと礼儀正しく拝礼してから、中の段でざぶざぶと手を洗い、上の段の水盤から流れ落ちる水流を両手ですくってがぶがぶと飲み干し、また中の段で顔を豪快に洗って、やおら靴を脱ぐと下の段で足も洗って…
 ようやく人心地がついた!という感じで、ヒシュスクスエセンは再度、水場に拝礼してからふりかえり、両肩に落ちかかっていた長い髪をはねあげた。
(…あれ…っ)
 と、子どもたち二人はちょっと驚いて、こっそり顔を見合わせた。
 到着した時からずっと、真っ赤にのぼせた顔をしてうつむいてはぁはぁ息を切らしていたので
気が付かなかったが…
 整った顔、と、言うのだろうか?
 ずいぶんと綺麗な、色の白い、彫りの深い、眉目秀麗な…(というような言い方は、二人とも、まだ知らなかったが…)気品のある顔立ちの、まだ青年になったばかりという感じの、若い、男性なのだった。
 若い男の人で、綺麗、という表現の似合う人を今まで見たことがなかったので、子ども二人はちょっとばかり、どぎまぎと困惑して、赤い顔を見合わせた。
「…ところで」
 手持ちの布で顔と髪をぬぐいながら、ヒシュスクスエセンは思い出したように慌てて訊ねた。
「はい?」
「うっかりして、私と一緒に山道を下って来て頂いてしまいましたが…
 おふたかたは、あの道を私と逆の、私が来た方向へ、行こうとされていた途中では?」
「あ、ううん、ちがうの。」
「ちっげーお。こいつがさぁ、」
「あたしたち普段はここまで来て途中の道と水場の掃除をして、捧げものをしてから山菜や木の実を獲って戻るのが仕事なの」
「そーそー。んで、今日に限って、なんか上のほうまで行くとか言うから。」
「だって、なんだか、そんな気がしたんですもの…」
 ミトルはもじもじと、心細そうな声を出した。
「んでー? 当たりだったんだから、ヨカッタじゃん?」
「そうよね。」
「そんな気、というのは…?」
「…なんだか、呼ばれている気がした、というか。行かなきゃいけない…感じ…?」
「んで、行ったらちょうどアンタが来てたんだよ。喉かわいたーって。」
「…なるほど…」
「…いつものあれよ。『女神様のお引き合わせ』。…だと思うわ…?」
「…それは。まことに。…ありがたいことです…」
 ヒシュスクスエセンは、あらためてミトルと大地女神と水場にたいして深々と拝礼しなおした。
 歴史絵巻に描かれた伝説の治水神のように綺麗な見目の長い髪の青年に、まるで一人前の大人の女性にするような正式の礼をされて、どぎまぎと顔を赤くしている幼いミトルに。
 単純にやきもちを焼いたアステがぷんすかして、
「…変な時に、変なことだけ、当たるんだもんな~?」
 半畳入れたせいで、ミトルはぷっとふくれた。
「…どうせ! あたしは『血が薄い』娘ですよ~ッ、だ!」
「…血が薄い?」
「…いや、まぁ、そんな話は、今はい~からさ~っ?」
 ヒシュスクスエセンに訊ね返されて一瞬ひるんだミトルの、哀しげな顔を慌てて背中にかばって。
 アステは話をはぐらかえした。
「あんたの言ってた香りナントカって《森の都》? おれら聞いたこともないくらい遠いところらしいけどさ? なんだって、そんな赤い顔してはぁはぁしながら、こんな遠くまで旅して来たわけさ?」
「…私の故郷は、このあたりの言葉では《香り森の都》と呼ばれていると… おふたかたの言う《ご先祖村》の長老様がたぐらいまでは、なんとか、昔話の伝え語りのうわさにくらいは、耳にしていただいていたようなのですが…」
 長ったらしい言いまわしだが、ようするに、けっこう有名なはずなのに知らないとは思わなかった、という意味だろうと。
 察したミトルは、やっぱり困って悲しい声で返した。
「…あたしたちが、知らないだけかもしれないわ…」
「…ガキだし! 何っも教えてもらえない《ハズレの子ども》だし!」
「え?」
「…いーだろそれは!」
「はい。えぇ。」
 触れてはいけない話題らしいと、とにかくヒシュスクスエセンは察した。

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「…ここから見上げると大地の女神山脈の聖なる頂きはとても見渡せないくらいに高く高く聳え立って、近くに見えるわけですが。」
「え? 近いか…?」
「私の生まれ育ったところでは、あの御山が…はるか彼方に…遠くに霞んで… 頂上にかかる雲の波の海まで、くっきりと全域が、はるかに見渡せます。」
「えぇぇ?」
「…すっっっっげぇ! 遠い! …ってこと?」
「そうですね。」
 ヒシュスクスエセンはうなずいた。
「大地世界は昔語りに語られていた時代よりも、はるかにはるかに、広く広く、平らかに延べ広がって… 広がり続けて… いるようです。」
「…あ~。…そんな話は、聞いたことあるけど…」
「育つものね。」
「そうらしいよな?」
 ミトルとアステはうんうんとうなずいた。
「私が《ご先祖村》で伺った話では、最初はこちらとあちらの村は、今よりもっとかなり、近い距離にあったと?」
「だって話。」
「あっちの人と、こっちの人が、大げんかしてたって… 毎日。」
「んでー。ある晩に、大きな地揺れが起こって~」
「目が覚めたら、あっちとこっちの間に、小山が三つと谷間が四つ…」
「なみなみ育って広がってて。行き来が難しくなったと。」
「それで反省して」
「《女神の娘》の教えのとおり、『離れて仲良く暮らしなさい』と。」
「…あちらで伺った話とは、微妙に細部が違っているようですが…」
 ヒシュスクスエセンは、うっすらと苦笑した。
「だいたい同じ話ですね。」
「たぶんな?」

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(ごはん?)

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「私の故郷は、はるか東の彼方… 深い深い山脈の果て、平らかな大森林の広がるあたり。
 このあたりの山の木立の数倍もあるほどの高い高い梢の、長命な樹木が、深々と生い茂り…

「飛仙族…って、つまり、南のほうにたくさん居るっていう…《浮く人》たちのこと…
 かしら?」
「え~? ホントかよ? じゃー飛んで見せろよっ?」
「…だって、飛べるなら、どうして…?」
「…だよな? あの山坂、下って登って…してんだよ?」

「飛べないのですよ。」

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 のちの世に、《奇跡の出会い》と語り継がれる、
 ことなど、むろん三人は、まだ知らない…。

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 陽の傾き具合を見てアステとミトルが慌て始めたので、

(小川と山菜水田?の描写)

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(村)+(街)

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「ミトルはまだガキ! お初は俺の!」





 のちの世に『麗しのミトル様』と呼ばれることになる、小さな、不屈の、少女の…

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