第1話

文字数 1,998文字

 上司に罵倒され続ける日々が嫌になって会社を辞めた。そして、しばらくグダグダした。けれど生きて行くためには働かねばならず、とりあえずハローワークにでも顔を出してみようかとアパートを出て階段を降りているところで転倒した。足下にはバナナの皮があった。
「へい、毎度ぉ!」
 気づけば、あの世のハローワークっぽい所にいた。そう説明を受けた。眼前の職員はなぜか捩り鉢巻きと法被を身につけている。
「いやあ、死んでしまって落ち込んでいるであろう皆さんの心を少しでも明るくしようかと思いまして。で、どうします?」
 どう、とは?
「転生ですよ、転生。生まれ変わりです。生きることがあなた達の仕事ですからね。幸い、あなたは自分や他者の命を蔑ろにした生を送ってきたわけではない。来世は選り取り見取りですよ。あなたの元上司や階段にバナナの皮を置いたイタズラ小僧とは違ってね」
 やっぱりバナナの皮が死因だった……。ふーむ、転生かぁ。ちなみに聞くけど上司とその小僧はもう転生できないの?
「いえ、できます。ただ、その選択肢が土、水、空気の三種類しかないんです。それらになってしまった場合、耐用年数的なものが非常に長くなりますので次の転生はほぼお預けになりますね」
 ……さりげなく怖い話だった。ところで今の話を聞く限り、転生って何度でもできるものなの?
「うーん。ちょっとそこら辺はややこしい話になるんですけど聞きます?」
 もちろん。
「では、話しましょうか。まずお察しの通り、転生は何回でも起こります。でも、ここ――命の継承地――で思い出せる記憶は本人が一番マシだったと感じているものだけです。例えば、前世が鳥に食われた蛙で、その更に前が畳の上で大往生した人間だったりした場合、思い出せる記憶、つまりキャラクターを構成しているものは人間のものになります。まあ、偶に例外はありますが」
 横の席では秋田犬が職員と話をしていた。
 ――ってことは、今ここにいる原因はバナナの皮じゃないかもってこと?
「はい。その可能性はありますね。詳細については守秘義務があり、たとえご本人様であろうとお答えできませんので、あしからずご了承下さい」
 二十代で死んじゃった記憶が一番マシってことか……。で、その記憶って来世に持ち越せるの?
「基本、オプションになりますができますよ。千年ほどここで滅私奉公してもらうことで可能になります。持ち越せるだけで口外はできませんけどね」
 せ、千年かー。
「多くの皆さんがチャレンジなさりますが、大抵途中でギブアップされますね。結局、記憶なしで転生されてゆきます。転生後の姿は今と同じ種族を選択なさる方が大半です。あと、ここでの会話は一切合切忘れます。苦労して記憶を持ち越した方でも死んだらいつの間にか転生していたという感覚でしょう」
 じゃあ、アニメなんかでよくある。転生したら、いろんな能力を持ってて大活躍なんてのは?
「あー、そちらは百万年の滅私奉公コースになりますね。やります?」
 いや、やらない。できない。
「では、千年コース?」
 その前に一つ質問。頑張って記憶を持ち越して、来世を過ごしたけどそれが今の記憶にあるものよりしょぼいと感じた場合、次にここに来たときのキャラクターは?
「当然、今のままです。来世の記憶はありません」
 来世の方がマシだと感じた場合は?
「その場合、来世と今の両方の記憶を持ってここに来ますね」
 うぐぐ、悩ましい。でも、千年かあ。
「ふっふっふ。そんな悩むあなたに朗報が一つあるのですが聞きたいですか?」
 急に怪しくなりましたけど、何です?
「とりあえず私が勧める来世に行きませんか? そこで献血的なものをしてもらえば、なんと千年が三百年になります。あなたにとってはちょっと空虚な世界なので今よりそこがマシじゃないのは保証しますよ」
 むーん。ブラックな感じがプンプンするんだけど、どうしよっかな?
「そこを何とか。人助けになりますし、やりがいだけはありますよ。それに奇跡的な美男美女にも会えますし。ねえ、騙されたと思って」
 ……うーん、千年が三百年。七百年も短縮されるわけかぁ。じゃあ、それで。
「ありがとうございます。では、早速――」

 気付けば、私はベッドに横たわっていた。拘束されているのか、身体を動かせない。
 私は誰だろう? 名前を思い出せない。
 周囲の音がくぐもって聞こえた。視界もぼやけている。
 必死に自分の様子を探る。腕に違和感があった。管を挿入されている。血液ではない、何かを抜き取られているのがわかった。
 不意におぼろげな視界に人影が現れた。こちらを観察している。表情は判別できないが、金色の長髪であることと耳がひどく尖っていることだけは見て取れた。
 エルフ。長命。
 二つの言葉が突如、脳裏に浮かぶ。
 私の意識はそこで途切れた。

「へい、毎度ぉ!」
 気づけば、あの世のハローワークっぽい所にいた。
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