第6話

文字数 4,832文字

 ネイラは自分の意向を尋ねる事なく注文するゲオルクに内心苦笑しながらも空腹を充たすべく口を挟んだ。
「あ、酒は一人分で結構。代わりに南瓜のパイと粥を一人前追加で頼む」
 隣のテーブルを涎を垂らさんばかりに覗き込みながら言うネイラに、店の女は笑顔で立ち去った。
「何か?」
 物問いたげな面持ちで自分を見ているゲオルクにネイラは問うた。
 ゲオルクの言いたい事はその顔を見れば容易に察せられたが、久々にとる温かい食事に、ネイラは腹八分という言葉を忘れる事にした。何しろルフェナガルドに連れまわされていた間、保存食を何度か口にする事は出来ても、彼女に言わせればそれは単に空腹を充たすだけの物だった。砂漠に出れば、再びそんな味気無い食生活に否応なしに対応せざるを得ない事が分かっているだけに、今は食事を楽しみたかった。
 そんなネイラの状況を知る由もないゲオルクは、一瞬、何を言われたのか分からぬ体で目を瞬かせたが、直ぐに何事も無かったかのように腕を組んで目を瞑った。
「ところで一つ気になっている事があるのだが」
 運ばれて来た食事を食べ始めて暫く経った頃、ネイラが口を開いた。
「他の騎士団の方々はどうされたんだ?」
「……先にここを発った」
 ネイラの問いにゲオルクはそう答えた。ネイラ達がネウーゼを出た後、ルフェナガルドが予定通り待ち合わせていた場所にエーミルを転移魔術で送り届けたのだという。そこで待っていた隊の者達と、先にコーラル砂漠に向かったのだと。
「という事は、私は行かなくても良くなっ……」
「あんたに状況を伝える為に、自分が残された」
 話を聞き終えたネイラが、嬉々として勝手な結論を述べようとするのを遮ってゲオルクが告げた。言っている事は親切だったが、実際は監視する為に残ったのだと告げていた。
「では、隊と何処で合流するのかは決めているんだな」
 ネイラはそんなゲオルクに露骨に溜め息を吐いてみせると尋ねた。
「いや。ターナクルス殿が、場所はあんたが知っていると言ったので、特に決めてはいない」
 ネイラに任せておけば、転移魔術で皆に合流出来るからと、ルフェナガルドはゲオルクに告げたらしい。
「ルフナの奴め。何勝手な事を……。悪いが私にはそんな器用な芸当は出来んぞ。砂漠のど真ん中に放り出されたいのであれば、別だが」
 素っ気なく告げると、再び忙しない様子で食事を口に運び始めた。
 意地になって言っているのではなかった。実際、転移魔術は、魔術の中でも高等魔術の一つに数えられている。しかも目標も無く転移するのは、何処に飛ぶか分からないという不確定要素の多い物だった。一番確実なのは、着地地点に目標となる魔術式を描いておくことだが、魔術そのものに詳しくないであろう目の前の男がその事を知っているとは思えなかった。
「隊長にあんたの外套を預けていても、か?」
 ゲオルクが窺うように言うと、ネイラは手にしていた匙を力無く皿に落とした。そう言えば、寝ていた部屋でも見なかったと思い至る。ルフェナガルドに言われて彼女の外套をギルスに預けたのだと、ゲオルクは言った。
「クソッ! 粗末に扱ったら、絶対弁償させてやる!」
 悪態を吐き、ネイラは断りもなくゲオルクの杯を手に取ると、残っていた酒を一気に煽ったのだった。

   *

「さて、行くか」
 食事を終えたネイラは、一人、店の外に出た。
 旅の準備をしたいと告げると、意外な事にゲオルクはあっさり解放してくれた。恐らく、彼女があの外套に対して異常なまでに執着している事実を自身の目で確認した為、外套を放り出したまま逃げる事は無いと判断したのだろう。
 明日の朝、宿の受け付けで落ち合う約束を取り付けたネイラは、その足で旅支度の調達に出たのだった。
 ナズバラは、宿場町の名に恥じない町だった。宿を一歩出たネイラを迎えたのは、煌々と灯りを灯した店々が建ち並ぶ通りだった。店に平行するように、更に屋台が立ち並び、店の中と外から良い匂いが漂ってきていた。また屋台は食べ物だけでなく、様々な日用雑貨も売られており、さながら祭りの様相を呈していた。ナズバラ名物の夜市である。旅人が落とす金が最大の収入源である町は、毎日夜通し賑わいを見せていた。
 そんな市を冷やかして歩きながら、ネイラは旅に必要な薬や食べ物等を手早く購入していった。購入するとは言っても現金ではなく、ツケである。請求書に署名と魔術院の章環に付いた院章部分で捺印するのだ。因みに章環で捺印する意味は二つあり、一つは店側に対する信用保証、もう一つは偽造防止である。章環に刻まれた魔術で、真に魔術院に属する魔術師が署名したと証明するのだ。後日、その請求書で店が魔術院に料金を請求する仕組みになっている。これはネウーゼの魔術院が世界的に信用のある組織だからこそ出来る事である。
 そうしてネイラが夜市を一通り冷やかし終わる頃には、購入した品が一抱え程にまで達していた。途中、宿まで運んでやろうと親切にも申し出てくれた店の人間もいたが、ネイラはそれ等を全て断り買い物を続けた。店の人間は知らなかっただろうが、ネイラは最初に買った大きな袋に重さを軽くする式を施していた為、実のところ見た目程の重さは感じていなかった。
 そんな調子でブラブラと市を冷やかしていたネイラだったが、市を抜けた途端、彼女の足取りは速くなった。通りは市の喧騒が遠くなり、月明かりだけの本来の静けさをたたえていた。
 通りを暫く歩いたネイラの目の前には一本の橋が掛かっていた。
 その橋を躊躇(ちゅうちょ)無く渡り切ると、道は一変した。それまで続いていた石畳は、剥き出しの土の道になり、犇(ひし)めくように建ち並んでいた石造りの建物は、ぽつりぽつりと思い出したように建つ木造の建物にとってかわった。
「ここは余り変わらんな」
 暫く行くと、ネイラの目の前には道にそって延々と続く木の柵が現れた。柵の先には月明かりに照らされた丘が見える。
 ネイラは荷を中に放り込み続いて自身も柵を乗り越えると、大きく息を吸って指笛を吹いた。
 すると一頭の白毛の馬が何処からともなく現れた。駆けて来た馬が、彼女の目の前で大きく嘶(いなな)くと、甘えるようにネイラの胸に頭を擦り寄せた。
 ここナズバラはその土地柄からか翔馬(しょうま)の飼育が盛んだった。翔馬と言うのは、砂馬(すなうま)という砂漠地帯に生息する害の無い魔獣と一般的な馬を掛け合わせた種だと言われている。砂漠のような砂地でも沈まぬよう、足の先が普通の馬に比べ大きく、暑さにも強い。また、砂漠を翔ぶように駆ける姿から翔馬と呼ばれるようになったと言われていた。
 その牧場の一つに入り込んだネイラの胸を押してくる馬も、当然、翔馬だった。死にかけていたところをネイラに助けられた事を未だに覚えているらしい。
 翔馬の額にはネイラが助けた時に付けた魔術式が、斑毛(ぶちげ)のように残っていた。元々は栗毛の馬だったが、ネイラの行った魔術の影響からか白くなり、その鬣(たてがみ)も輝く金になってしまっていた。
 そんな翔馬の鼻先をネイラが宥めるように軽く叩いてやっていると、遅れて三頭の翔馬が現れた。三頭には各々男が一人ずつ乗っており、中の一人が馬上から手にした角灯を無遠慮にネイラに向けた。
「ネイラか!?
 暫し角灯を翳した後、信じられない物を見たと言わんばかりに一人の男が声を上げた。年の頃は、ネイラの父親と言ってもおかしくない男だった。髪に白い物の混じった男は、馬上からも大きな男と見てとれた。
 懐かしい顔に、自然、ネイラの顔も綻んだ。
「ノイン、久し振り」
 それを合図に、ノインと呼ばれた男は持っていた角灯を放り出すと、馬から飛び降りネイラに飛び掛かった。
「久し振り過ぎだ、馬鹿野郎! どれ、ちゃんと顔を見せんか!」
「痛い、痛いから!」
 両手で顔を挟まれたネイラが悲鳴をあげていると、馬から降りて来た男に引き離された。
「ノイン、懐かしいのは分かったから少しは落ち着いてくれ」
 ノインを羽交い締めにしている男が、溜め息混じりに告げ、もう一人の男が放り出されていた角灯をネイラの顔に翳した。
 灯りに照らされ困ったような笑みを浮かべているネイラに気付くと、やっとノインは大人しくなった。
「すまんすまん。懐かし過ぎてつい大人気ない事をしてしまった」
 ぽりぽりと頬を掻くと、誤魔化すように豪快に笑い声をあげた。
 立ち話も何だからと、家に行こうとノインに促され、ネイラは家へと案内されたのだった。

   *

「で、何か頼みたい事でもあるんだろう?」
 如何にも用が無ければ来ないであろう事実を揶揄するようにノインが言った。
 家に着くと、ネイラはそのまま書斎に案内された。途中、ノインの幼い一人息子をネイラから引き剥がすのに多少手間取ったが。どうも本人の意思とは関係なく、ネイラは動物と子供に好かれる質らしかった。
 ノインの家は、家と呼ぶには相応しくない程大きな建物だったが、屋敷と呼ぶには、些か華美さに欠けていた。大きな家にはノインの家族の他、独り身の牧童が一緒に暮らしていた。側には何軒かの家が建ち並び、家族持ちの牧童が住んでいるという。
 常にひとの気配のする家の中で、書斎が唯一、一人きりになれる場所なのだと言って、ノインは笑った。
 ノインの書斎は読書家らしい彼の趣味が色濃く反映されていた。壁一面に並べられた本棚には、種類を問わず本がびっしり詰まっており、机の上にも仕事関係の書類の他に読み掛けの本がページを開いたまま伏せられていた。時折客の応対もするらしく、部屋には客用の机と椅子も並べられている。
「翔馬を一頭貸して欲しいんだが」
 ネイラはノインの顔色を窺(うかが)うように言った。どうも長い間顔を見せていなかった事が、ノインには気に入らないらしい。
「貸すってお前、何を言ってやがるんだ。お前には立派な翔馬がいるだろうが。あいつもお前が来てやらないから、何時も寂しがってるぞ。可哀想になぁ」
 そう言って、ノインは態とらしく鼻を啜(すす)ってみせた。
 ノインの言う翔馬は、先程、ネイラを出迎えに来た翔馬を指していた。名をシズシェスと言う。牝馬である。
 この牧場で母馬が出産を前に死んでしまった際、偶々ここに立ち寄っていたネイラが、子馬を取り上げたのだ。誰もが死産だと――実際、息をしていない状態で生まれて来た子馬を蘇生させたのが彼女だった。そのせいか、シズシェスはネイラ以外、誰も乗せようとはしない為、実質シズシェスは彼女の翔馬になっていた。
「後でシズにもちゃんと謝っておくよ」
 困ったような笑みを浮かべると、ノインの妻であるリシェルが淹れてくれた茶を口にした。
「で、そろそろどうしてシズが要るのか教えてくれてもいいんじゃないか?」
 機嫌を直したらしいノインが尋ねた。
「え?」
 一瞬、惚けてみせたが、促すように肩を叩かれネイラは、諦めたように口を開いた。
「コーラル砂漠の噂は聞いていないか?」
 昔馴染みの三人を前に、ネイラが言った。
 部屋にはネイラとノインの他、一緒に彼女を出迎えに来た二人の男もいた。一人はドミニク、もう一人はエイムスと言った。
 先程ノインの暴走を止めたドミニクは、ネイラより二つ年上の男で、茶色い髪を短く刈り上げていた。童顔に見られる為か、無精髭を生やしているが、ふさふさに程遠いそれがかえって彼を可愛らしく見せていた。
 並んで長椅子に腰掛けたエイムスは、可愛い面差しのドミニクとは異なり綺麗な男だった。しかし細面の一見女と見紛う程の面差しは、常に無表情と言う仮面で覆われていた。その綺麗過ぎる顔のせいか、年の頃はネイラより若くも老いても見えた。
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