ホームレスと作家の卵

文字数 1,991文字

僕は小説家の卵である。両親がそれなりの資産家なので、特に働かなくても、本が一冊も出版されていなくても、普通に暮らしていける。毎日創作に割く時間がたくさんあるし、もうすぐ大作が生まれそうな予感がビシビシするし、生活は理想的だ。

ある一つの問題を除いては。 

僕は頭が煮詰まらないように、公園に行く日課があるのだが、一カ月ほど前から変なホームレスらしきじいさんに見つかり、絡まれるようになってしまった。  

今のように朝の新鮮な空気を吸いながら、瞑想していると奴が来る。  
「おおーい、そこのおやじ!」 
奴だ。今日も来た。子供のように大きくブンブン手を振りながら、こちらに近づいてくる。一体どこから湧いてくるんだか。
「ふいー。おやじ、調子はどうよ。」
奴は僕の隣にどっかりと腰を下ろしながら言った。    
「馴れ馴れしいったら。それに僕はまだおやじなんて年じゃない。三十七歳だ。」   
僕はじいさんから出来るだけ離れようと、ベンチの端に寄りながら答えた。   
「まぁ、君の見た目に免じておやじでいいじゃないの。いつもブツブツ独り言を言いながら、眉間に深い皺を寄せてるんだから。」    
「そっちこそ何才なんだ?なんなら、そっちは皺五十本くらいあるじゃないか。」  
「おれっち?三十三よ。」    
「うそつけ。騙されないぞ。」    
「ほんと、ほんと。年がら年中外にいるから、日焼けして年齢よりも上に見えるだけだよ。」  
「ふうん。じゃぁ、若い頃好きだった歌手は?」 
僕は半信半疑で聞く。 
「そりゃ、歌姫のマドンナちゃんよ。パッパ、ドントプリーチ!」     
「絶対に五十歳以上だろ。」   
「ばれた、ばれた。」  
じいさんは嬉しそうに手を叩いて笑っている。   

じいさんはどうも僕の邪魔をすることに楽しみを見出しているようだが、構っている暇などない。僕はズボンのポケットからノートとペンを取り出すと、遠くの木を見つめ、頭に浮かんだ言葉を書き出し始めた。想像力を高めるエクササイズである。  
「お~、またそれ書き始めたね。その、なんだっけ……。そう、ゴミ!」    
じいさんは僕の注意を逸らそうと終始おちゃらけているが、僕は新境地の集中力を見せつけ、完全に無視する。背中を向けているので、じいさんの表情が見えないが、今頃悔しそうに唇でも噛んでいるに違いない。     
「あっ!あんなところにモデルみたいな美人が!」  
じいさんが突然大きな声を出した。が、これももちろん無視である。悲しいが10回目ぐらいまでは一縷の望みを持って振り向いてしまった。まぁ、僕も日々進化している。  

三十分くらい経っただろうか。 
「実はねぇ、おれっちも昔は作家になりたかったのよ。」
じいさんが突然、しんみりとした口調で言った。振り返って見ると、全く似合わないが、ぼんやりと空なんか見上げ、センチメンタルな雰囲気を醸し出している。
「でも当時の彼女が妊娠したから諦めたんだ。責任取って妻子を食わせるぞってね。なのに、泣かせる女でね。結局、俺の夢を応援するために、赤ん坊連れてどっかに行っちまったよ。その後体調を崩して、今は天国だって。」   
「そうか。」   
僕は流石に少し気の毒になって返事をした。 
「四十年ぐらい前の話さ。赤ん坊は金持ちの家の養子になったって風の噂で伝わって来てね。」
「う、うん?」  
「今では、ちょうどお前さんぐらいの年かもしれないなぁ。」 
じいさんが急に顔を近づけて、僕をまじまじ観察し始めた。  
「なんか嫌な方向に話が進んでいるなぁ。絶対に違うと思うけど。」 
僕は仰け反って、じいさんから顔を離す。   
「赤ん坊は、片方のお尻にハート型の痣があったはず。……まさか、まさかだよ。お前さんが俺の子だったりするのかな?ちょっと尻を見せてくれないか。」  
「絶対に嫌だ。そんな痣ないし。」 
僕は手も首も振り、全力で拒否する。  
「一目見れば諦められるっ!人助けと思って尻を出すんだ!」       
「警察に捕まるわ。そもそも、僕とあんた、全然顔が似てないぞ。」
「やっぱりか。彼女はブラジル人だったから、俺の息子がこんなのっぺりとした顔をしているはずはないと思ったが。」
「じゃぁ、なんで僕に尻を出させようとしたんだよ。」    
じいさんは肩を揺すりながらククと笑った。

僕はベンチから立ち上がり、縦に伸びをした。そろそろ家に帰って創作に励まねば。         
「もう帰るのかい。」 
じいさんの問いに、僕は黙って頷いた。 
「頑張れよ。良い小説家になんなさい。俺が反面教師ね。」        
「言われなくても。」  
僕は家に向かって歩き始めた。いつもふざけてばかりでどこまでが冗談かわかりゃしないじいさんだ。

ハート型の痣ね。僕はまさかなぁと思いつつ、帰り道、左のお尻をさすってみた。   


 


  



 



 


 



 




 
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