秘密
文字数 1,227文字
訊いてもいいかな？
どうしたの？
私に答えられる範囲なら、なんでも答えるよ。
ぼくは君の名前を知らないんだ。
教えてくれないか？
その質問は重要だと思う？
とても重要だよ。名前を知らなければ、ぼくは君を呼び止めることすら叶わないからね。
呼び止めたいの？
うん。
もちろん、君が望まないのなら、ぼくはここで別れてもいい。こう見えて尽くすタイプなんだ。
意外と趣味が合うんだね。
でも、私は君に呼び止められたくないんだ。
意外でもないよ。
ぼくだって、君に呼び止められたくない。
どうして？
尽くしてくれるんじゃなかったの？
君にぼくを呼び止めさせるほど、ぼくが君に悪影響を及ぼしている、と考えてしまうからさ。
良い影響を受けた結果だとは思わないんだね。
生まれつきネガティヴなんだよ。
ぼくと君との決定的な違いはそこにあるんじゃないかと思う。
自分がポジティヴな人間とは考えられないけどね。
自覚がないのか嘘をついているのかなんて、ぼくには判らない。
どころか、君ですら「どちらでもいい」と思ってるんじゃないのか？
その通りだよ。
私は「悲観してるのか楽観してるのか」とか「呼び止められたいかどうか」なんて、どちらでも良いの。
「どちらでも良い」ね。
だから、私は君に名前を教えられない。
「だから」？
君の超楽観主義に従えば、教えてくれても良いだろう。
ぼくと君がこのまま別れるなんて、悲劇的すぎるよ。
君が典型的な悲観主義者なら、そんな事には慣れっこだと思うけど。
慣れたって、辛い事には変わらないさ。
君は尽くしてくれるんじゃなかったっけ？
さあね、どっちが良い？
どっちでも変わらないよ。
ぼくは君が名前を教えてくれるまで、この会話を続けても構わない。
そんなに気になるなら、自分で調べてみたら良いんじゃない？
今はみんなSNSとかやってるしさ。
そんなことしたって意味なんて無いんだ。
君は、まさか名前が個体判別用記号だとでも言うつもりかい？
だとしても、別に良いんじゃないかな？無個性の沼に溺れる現代人にはそれが必要だよ。
それは違う。名前は「願い」だよ。人でも物でも、全ては「願い」の結果なんだ。
それは誰の願いなの？
親？製作者？
当然そうさ。
願いは叶わないこともあるけどね。
どちらにしても、願う以上は主語と２つの目的語が必要だ。「誰が」「誰に」「何を」願うのか。
つまり、「私の親」が「私——判別不可能な個人」に何かを願った結果が今の私だっていうの？
そう。本来的に名前は願いなんだ。
叶うにしろ、叶わないにしろ、結果は出る。
君はどうなの？
君の知る通りさ。
じゃあ、私はどう思う？
「願い」にはどんなことを仮定しても良いから、君は私が願い通りに育ったと思う？
……。
そこまで考えてる君なら、私の名前が判るんじゃない？
……あぁ、そうだね。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ぼくが考えていることなんて、彼女がとっくに到達した地点だったのだろう。でなければ、あんなに言葉を使うはずがない。
その日、ぼくはとうとう彼女を呼び止められなかった。
