炭化怪腫セロルロ 登場

文字数 9,558文字

 医療機器開発研究所メディカルギアの佐山愛泉(さやまあいせん)博士が開発した機動細胞アイセンは、サイボーグ化した単一の免疫細胞を患者に投与し、それをコントローラーで操作して病気を治療するという革命的な医療機器だ。

 分かりやすく例えると、超小型のロボットに乗って患者の身体の中に入り、直接病気を治療するという物だ。

 この愛泉博士の発明によって、治療不可とされていた病とも人間は戦える可能性を得たわけだが、その初陣とも呼べる世界初のオペレーションファイルを紹介する。



 炭化怪腫セロルロは、愛泉博士の助手であり友人でもある、間正太郎(はざましょうたろう)の胃に発生した新種の悪性腫瘍だった。

 セロルロの症状は、発生した箇所を中心に異常な高熱を発し、その範囲を徐々に広げていく。
 やがては内臓も筋肉も骨も燃焼させ、黒焦げにしてしまうという恐ろしいものだった。

 解熱剤や抗生物質も効果が無く、切開して切除しようにも、身体の内部でさえ燃やしてしまうセロルロを空気にさらすと、患部が一気に焼き付いてしまう可能性が有る。
 そうなれば、患者の命は無い。

 治療する手段が見つからず、間を救う方法は無いのかと思われたが、その時に愛泉が名乗りを上げた。

『私がアイセンを使って、間君を助けます』

 当然、研究員達は反対した。
 アイセンは実験途中だった上、その特殊なコンセプトから、そもそも開発に反対している者がほとんどだったのだ。
 一刻を争う事態にいきなり使用するなど、そう簡単に認められるはずがなかった。

 反対の理由は他にも有った。
 アイセンを使う為には二つの条件が有るのだが、それにはリスクが伴う。

 一つは、操縦者の血液と患者の血液をフュージョンと呼ばれる機械を使って循環させる必要が有る事。

 これは操作できる状態のアイセンをスムーズに患者に送り込む為と、患者の身体と操縦者の身体を親和させる為だ。
 
 アイセンを操作する為の電気信号は、操縦者の血液とそれを補助する薬品を伝わって送られる。
 その為、患者と操縦者とアイセンは一体に近づく事が望ましい。

 それ故に、病気を撃破出来なかった場合は操縦者にも感染する等の悪影響が出る可能性が有る。

 もう一つは、精密な動作を行う為に操縦者とアイセンは五感を共有するという事。
 これによって高い操作性や、自分の目で見ているような視界を得られるのだが、問題は病気に勝てず逆にアイセンが破壊されてしまった場合だ。

 これは現実に例えると、乗っている戦闘機を撃墜されたのと同じ体験をする事になる。
 凄惨な死の体感でショック死するか、少なくとも精神に多大なダメージを負うだろうと考えられていた。

 愛泉は19歳。並外れた頭脳を持ち、雰囲気こそ大人びているものの、まだ幼い少女の面影も残している。
 研究員達はそんな自分より遥かに年下の女の子を危険な目に遭わせるという意味でも賛成できなかった。

『佐山博士、もし腫瘍に取り込まれでもしたら、君も無事では済まないんだぞ。やめた方が良い、危険過ぎる』
 
 しかし、制止する研究員達に愛泉は言った。

『他に方法がないでしょう。それに、私にしかアイセンを使える人は居ません。アイセンが使えるって事を証明して見せます』

 凛とした態度を崩さず、コクピットに座り、感覚を補助するバイザーやグローブを付けた。

『私は間君を見殺しにはしたくありません。迷ってる時間は無いと思います』
 
 一瞬の沈黙が流れた。

 他に方法が無い事は全員が分かっている。間を助けられるのは愛泉しか居ない事も。

 こうしている時間にも、セロルロは高熱を発し続け、少しずつ間の内蔵を焼き焦がしている。
 間を救うには、アイセンを使うしかなかった。

『佐山博士、あなたを信じます。お願いします』

 医療チームのリーダーは、そう言うと深く頭を下げた。他のメンバーも全員がそれに続いた。
 愛泉はそれを見ると、強い覚悟と自信に満ちた声で、
『ありがとうございます。任せて下さい』
 と、応えた。

 研究員達は手術の準備を開始した。 

『フュージョンの用意だ!大丈夫、注射や採血と同じだ。ナビゲーターを忘れるな、それが無いと佐山博士にデータが送れなくなる。ディスプレイを!アイセンだけじゃない、間博士の脈も絶えずチェックしておくんだ。基本は通常の手術と同じだ。執刀を佐山博士がやってくれると思えばいい』

『佐山博士、アイセンを投与します。フュージョン液が身体に入ると、すぐに意識が移り始めるはずです。合図をしたらカウントダウンをして下さい。意識が移ったのを確認したら、バックアップを開始します』

『はい、お願いします』

 愛泉の白く細い腕に、注射器に入った緑色の液体が打ち込まれる。
 全身がざわめき、身体の輪郭が曖昧になる感覚と、麻酔を打たれたような急激な陶酔感がやってくる。

 愛泉は、ノイズ混じりに遠のいていく意識の中で、駆け回る仲間達と苦しそうに呼吸をしている間を見つめながらこう言った。

『出撃…ね。カウントダウン…。5…4…3………2………』

 研究員達は、アイセンが機動した事を確認し、サポートとデータの記録を開始した。
 アイセンの見ている物や受けたダメージ等は、ディスプレイに表示される。その状況に応じて、間への処置や愛泉への手助けを行うのだ。

 愛泉の意識はアイセンと共に、温かい液体が満ちた管に吸い込まれていき、間正太郎の体内へ突入して行った。


 
『ハッ…!』

 愛泉は気がつくと、シルバーに輝く流線型の身体で、赤い宇宙に佇んでいた。

『そうか、これが間君の血管の中』

 遠くで無数の黒い星が揺らぎ、温かい風が吹いている。
 黒いイルカや、赤や青の海蛇や、真っ赤な赤ん坊や、鉄みたいなタツノオトシゴや、不思議なカラクリや、フルーツのような生き物達が、みんな同じ方向に向かって、漂うように泳いでいるのも見えた。

 これらは全て赤血球をはじめとした細胞達、それに各種栄養素や細菌等といった体内の住人だ。
 アイセンと同化している愛泉の想像力や感受性は、人間のサイズからミクロのサイズにまで濃縮され高まっている。
 それによって、普段は記号のような姿をしている物体でさえ、ユニークな容姿を持って目に映るのだ。

 アイセンの機体も同じだ。実際は顕微鏡でやっと見える0.2ミリ程度の何の変哲もない丸い粒なのだが、愛泉には自分の身体が白銀の人型ロボットになったように見えている。
 その姿は愛泉がイメージしていた、美しく強い天使のようなロボット。
 彼女のSF好きが反映された理想の姿だった。

『すごい。やっぱりイメージ通りの姿で思い通りに動かせる。それに、人の身体の中がこんな風に見えるなんて。視覚や聴覚が変化する事は分かってたけど』

 愛泉は幻想的な体内の風景に感動していた。こんな美しい世界が自分や他の人の中にも広がっているのだろうかと思った。
 これを自分の発明によって見つけた事が、研究者として喜びでもあった。

『いけない、感動してる暇はないわ。早く間君を助けないと』

 アイセンの背中から伸びている流線型の翼が扇のように展開し、キラキラと輝くイオンを噴射した。
 それによって推進力を得たアイセンは、高速度で間の胃へと向うのだった。

 自分が居る位置は解体新書と名付けられたマップに表示される。MRIやCTスキャンで撮影しているデータをサポート側が送ってくれた物だ。

 間の左腕の静脈から投与されたアイセンは、左肩の辺りまで移動してきていた。
 胸へと進もうとした時、愛泉は異常に気がついた。

『熱い…!やっぱり普通の腫瘍じゃない』

 まだ距離があるにも関わらず、セロルロの放つ高熱が感じられた。
 先ほどまで辺りを漂っていた魚達や赤ん坊達も数を減らし、ドロドロに溶けた無惨な死骸も目立ち始めた。
 代わりに、凶悪な容姿の骸骨鳥やサソリ等がその死骸を啄んだり、槍を持った騎士や侍が倒れたりしていた。

『早くしないと、この熱が他の臓器や脳に及んだら大変だわ』

 食道付近を通過し胃の辺りにやってくると、潤った赤い宇宙は、ひどく乾燥した広い荒野へと姿を変えた。
 体液の揺らぎなのか、熱による陽炎なのか、それとも病が放つ邪気なのか、風景はどこもユラユラと歪んで見えた。

 胃へと辿り着くと生き物の姿はまるで見当たらず、爆撃を受けたかのような黒焦げの大地が広がっていた。
 あちこちがひび割れており、その亀裂の奥に高熱を帯びたマグマのような何かが見えた。

 愛泉はセロルロの本体を目指して、さらに進んで行った。
 進むにつれて辺りは暗くなり、その奥に怪しい一筋の光が見えた。

『あれが腫瘍の本体ね。近づくにつれて温度がますます上がっていく。なんて熱なの、まるで火の海だわ。生身だったら絶対耐えられない』
 
 セロルロの本体へと辿り着いた愛泉は、その姿を見て恐怖した。

『うっ…』

 当然、普通の人間の目で見れば、ただの腫瘍だったのかもしれないが、今はアイセンの目で見ている。
 つまり、先ほどの細胞や細菌達と同じように異形の姿として目に映るのだ。

 焦げた肉を固めて作ったような、アイセンより一回り大きな子ども。足は大小無数に生えており、口からはイソギンチャクのような悍ましい数の触手が伸びて動いていた。
 生気を失った黒い目。背中から炎混じりのガスを噴出し、辺りを焼き続けている。
 両手には指の代わりにチューブのような器官が備わっていて、それを間の胃に突き刺して養分を吸い取っていた。

『だ、誰?』

 セロルロがぴたりと動きを止めて言った。禍々しい姿とは裏腹に、少年のように澄んだ声だった。

『!…喋れるのね。私は医者じゃないけど、あなたを…えっと…治療しに来ました』

 愛泉は、腫瘍を相手に『治療しに来ました』と言うのに違和感を感じたが、他に表現する言葉が思いつかなかったのでそう言った。

 同時に、アイセンの右腕に内蔵されているプラズマメスが露出し、青く光りだす。
 これは手術用の装備、対細胞用の武器だ。
 恐怖を感じながらも、愛泉は冷静に戦う準備を進めていた。

 有無を言わさず襲って来るかと身構えたものの、返ってきた言葉は予想外の物だった。

『治してくれるの?本当に?』

 セロルロは驚いた様子でそう言った。
 敵意どころか、不治の病を患っていた少年が『治るよ』と言われた時のような、安堵と喜びの声色だった。

『え、ええ…』
 
 一刻を争う事態に、こんな話をしている時間など無い事は分かっている。
 しかし、まさかセロルロが意思を持っており自分の登場を喜ぶだなんて想定外だったのだ。

 例えば、討伐しなければならない獣と対峙した時、戦う前に懐かれてしまったら攻撃をためらってしまうだろう。愛泉はそんな気持ちになっていた。
 
 愛泉はプラズマメスの出力を落とした。イオンで形成された青い刃が消える。
 医療チームの処置を信じて、もう少しだけセロルロと話してみる事にした。

『この高熱はあなたが原因みたいね。このままだと、あなたの宿主が死んでしまうの。お願い、熱を放出するのをやめて』

 愛泉は可能なら戦わずに治療を終えたいと思っていた。
 アイセンで戦えば必ず勝てるという自信は有ったが、コミュニケーションを取れる相手を一方的に殺めるという事はできなかった。

『ぼ、僕だってイヤなんだよ。凄い熱が出て死んじゃいそうなんだ。とても…熱くて苦しいんだ。だからこうして、この人の水分を分けて貰ってるんだよ』

『え…?』

『君、僕を治せるんでしょ?お願い、早く僕を元に戻してよ。僕だって、ついこないだまでは…普通の体だった。みんなと同じように、フラフラと泳いで、たまに外から来た物を食べて、そうして生きてたのに。
 少し前に突然身体が燃えるように熱くなって…仕方なくこの人から水を貰ってたんだ。
 そしたら、どんどん身体は大きくなるし、熱もどんどん高くなる。このままだと僕は死んでしまうんだ。お願いだよ、助けて…』

 セロルロの悲願を聞き、愛泉は言葉を失ってしまった。

 愛泉は愛する人を病によって失ってきたし、また同じように失う人々も見てきた。病が憎く、それ以上に何もできない自分の無力さを憎んでいた。
 
 だから病気とは人を苦しめる悪そのものであり、消す事になんの迷いもいらない。愛泉はそう思って、アイセンを作り上げた。

 しかし、自分が今対面している病はそうではなかった。セロルロもまた病に侵され、生きる為にやむを得ずしている行為が間を苦しめていたのだ。

 想像もしていなかった事実に、愛泉は動揺を隠せなかった。

『それじゃあ、あなたが病気の正体なんじゃなくて、あなたも病気で苦しんでるってこと…』

『そうだよ、見れば分かるでしょ?こうして背中の穴を閉じるだけで…。ウウ…ウ…。 ほ、ほら、炎の代わりに僕の肉が溶けて外に出ちゃうんだ…。す、すごく熱くて痛いんだよ』

 炎の噴出が止むと、セロルロの身体のあちこちからグリセリンのような油が滲み出てきた。

『治して…早く…死にたくない…』

『…!!』

 愛泉は、まだ小さな子どもだった頃に同じ言葉を聞いた事があった。
 それは初めて身近な人の死を明確に感じ取った時の記憶だった。

 死は、泣く隙も話す隙も無く、何もできず、生々しく、突然で、あっけない。
 愛泉はその時に、無力の苦しみと、人が死ぬ悲しさと恐ろしさを、嫌というほど知った。

 その時から、この言葉を世の中から消すために病気と戦う道を選んだと言っても過言ではなかった。

 しかし、奇しくも今はその言葉を発し助けを求めている相手を、自らの手で殺さなければならない状況に立っている。

 アイセンは人を救う為の道具であり、病気を他の何かへ変える魔法の杖ではないのだ。

 トラウマを抉られ、心臓を握られているような迷いが愛泉を襲う。
 
『私は間君を…。人しか、助けられない。あなたが病気に侵されているだけだとしても…!』

 そう自分に言い聞かせると引き金を引いた。
 銃口が激しく光り、跳ね上がるような高音と共に、青白い硬質のレーザー光線が走る。
 白血球の異物や細菌を除去する働きを加速させて撃ち出す武器だ。命中した箇所を焼かずに破壊する事ができる。

 レーザーがセロルロの腕に直撃し、炭のような皮膚が吹き飛ぶ。
 間と繋がっていたチューブも弾け飛んだ。

『痛いっ…!!』

 セロルロは泣くような悲鳴を上げた。その声は少年そのものだった。
 アイセンによって感受性を研ぎ澄まされている状態の愛泉にとって、その声は人間の子どもの腕を切り落としたのと同じ感触なのだった。

『…くっ…ごめんね…ごめん…』

 皮膚を欠損し、オレンジ色の肉が露出した。すると、一帯の高熱によって肉がみるみるうちに焼け爛れ、火脹れを起こしていく。まるで火傷の早送りだった。

 恐怖を振り切って、そこにもう一撃、レーザーを撃ち込む。火脹れだらけの肉片が飛び散り、セロルロの右腕は跡形も無く消滅した。
 吹き飛んだ腕の付け根から、ドス黒い液がドバドバと溢れ出した。

 セロルロは激痛に耐えられず、地面に崩れ落ちた。その勢いで左腕のチューブもブチブチと千切れ、間とセロルロは完全に切り離された。

『熱い…痛い…嘘つき!…嘘つき!』

 セロルロの異常な熱放出が止み、代わりに全身から溶けた肉が溢れ始めた。
 悶え苦しみ、殺意に満ちた真紅の目を向けている。
 その声は少年のような澄んだ声から、恨みに染まり切った呻き声に変わっている。

 愛泉は一連の惨状から吐気を催し、とめどなく溢れてくる不快感と必死に戦っていた。
 セロルロのグロテスクな様子も原因の内だが、何よりもその極めて残酷な仕打ちを、自分自身がしているというショックからだった。
 高められた感受性が、セロルロの苦痛をも感じ取ってしまう。

『わ、私は何をしているの…。治療…?これが…?』

 治しているのか、あるいは病に苦しむ患者を実験台にアイセンの威力を試しているのか。
 まるで助けを求めている弱者を虐待しているような強大な罪悪感が、愛泉の胸を押し潰そうとしていたのだ。

『…騙したな!!医者!』

 怒りによって暴走したセロルロが口の触手をアイセンに向かって伸ばした。

『しまった…!』

 隙をつかれたアイセンは身体の自由を奪われ、そのままムチのようにしなる触手で勢いよく地面に叩きつけられた。

『…ゲホッ…!』

 愛泉は全身に響き渡る痛みと同時に、『バキッ!』という嫌な音を体内に感じて青ざめた。
 
『!!…骨が…折れた…?!』

 アイセンが受けたダメージは、確かに愛泉も擬似的にだが体感する事になる。
 しかし、堅牢な装甲を持っているアイセンの身体を借りているのに、こうも簡単に骨を損傷したり激痛を感じてしまう事が信じられなかった。

『う…うう…。まさか…そんな…』

 プラズマメスで触手を切り刻み捕縛から脱出すると、即座に翼を展開し上空へ飛び上がる。
 脇腹の激痛に耐えながら、何とか呼吸を整え、左腕の銃口をセロルロに向けて引き金を引く。
 しかし、さっきまでの強烈な光が出ない。レーザーもセロルロに届く前に消えてしまう。
 愛泉は戦慄した。

 もう一度、震える指で狙いを定め、引き金を引く。
 やはりレーザーはセロルロを射抜く事なく消えた。
 悪い予感が確信に変わる。

『やっぱり、パワーが上がらない…。私が、迷っているから…』

 原因は分かっていた。
 アイセンはイメージと強い意思が有って、はじめて性能を発揮できる。
 操縦者がそう有るべきだと本当に思えば、アイセンの免疫細胞はビームガンにも刀にもバリアにもなる。

 しかし、愛泉は今、自分の思いを信じきれていない。
 助けを求めている相手を無慈悲に攻撃しているという認識から、自分は『正しい事=人を助ける行為をしている』と思えていないのだ。

 そうなれば、アイセンは殆どの機能を失ってしまう。
 武器は使えず、身体は装甲の無い剥き出しの有機体へと変わっていく。

 つまり、戦闘ロボットから生身の人間並になってしまうのだ。

 先ほど、叩きつけられただけで骨が折れたと感じたのも、同じ理由で起こったパワーダウンが原因だった。

 愛泉が自分の迷いを自覚すると、その変化はより顕著に起こり始めた。
 
 セロルロが左腕をアイセン目掛けて振り下ろす。
 動作が鈍くなり、本来なら簡単に回避できるはずの攻撃に対応できない。

 打撃を正面から受け、吹き飛ばされる。肩が千切れるような痛みと、腹や胸が潰れたような感覚。
 愛泉は何とか意識を保っていたが、恐怖と痛みで身動きが取れなくなっていた。

 セロルロは体を引きずりながら、アイセンに歩み寄って行く。

 あちこちから黒い血を流し、口からも黒い泡を吹いている。もはや意識は無く、激痛と死の恐怖と恨みだけで動いている怪物そのものだった。

 セロルロは激しく震えながら、アイセンを捕らえる。
 装甲が弱まっているアイセンのボディは既にその力を跳ね返す強度は無く、重機のような黒い手がメキメキと音を立てて食い込んでいった。

『だめだ…逃げられない…。無様だわ…本当に…アイセンが使える事を証明するだなんて…言って。使えないのは…私だったなんて…ね…』

 愛泉は薄れゆく意識の中で、研究所の仲間や間の事を思っていた。

『私は結局、何もできなかった。誰も助けられずに。みんな、ごめんなさい』

 愛泉が死を覚悟した時、セロルロに異変が起こった。

 突然アイセンを放り出すと、体表の割れ目から見えていたオレンジ色の肉が時々青く変色し、噴き出していた液体が凝固していく。
 激しく苦しみ、左腕の千切れたチューブを地面に突き刺そうとしている。

『な、何が起こったの』

 愛泉は助かった安堵よりも、セロルロの変化に呆然としていた。

『佐山さん、聞こえるかい』
『…その声は間君?』

 愛泉が聞いたのは、意識を失っているはずの間正太郎の声だった。

『間君、どうして話ができるの?』

『フュージョンを使った君の血が、僕の身体にも流れているからだよ』

 愛泉は間の言う通りだと思った。
 間もフュージョンを血中に取り込めば、身体の中のアイセンに意識を同化させる事はできる。
 治す側と治される側だとばかり思っていたが、アイセンのシステムは自分と同じ条件を患者側も満たしている事になる。
 
『さっきまでは苦しくてできなかったけど、君があいつを僕から切り離してくれたからね。きっと研究所のみんなはオペの準備をしてるよ。高熱の発生がおさまって、切除できると判断してるはずだからね。あいつが苦しんでいるのも、僕から切り離されて解熱剤や抗生物質が効いてきたからだ』

『…!』

『ありがとう、佐山さん。僕の為に、こんな傷だらけになるまで戦ってくれて。君のおかげで、僕はもう大丈夫だ』

 間を救えた事を知り、研究所の仲間が自分を信じてサポートしてくれていた事を思い出し、愛泉は思わず涙を流してしまった。
 そして、極度の恐怖と緊張で張り詰めていた心が、おだやかな平静を取り戻していった。

『後は僕に任せて。操縦方法なら僕も知ってる、僕だって君の開発チームの一員なんだから。それに、病気を治すのは医者だけじゃない、患者本人が治す意思を強く持たなければいけない。あいつは僕の病気だ、僕が治してみせるよ』

 愛泉に代わって、間が操縦者となった。
 すると、先ほどまで満身創痍だったアイセンの機体が間の意思を得て装甲や武器を取り戻した。
 間のイメージを具現化したアイセンは、天使から騎士のような姿に変わった。

 間は苦しんでいるセロルロに向けて、ライフルのような武器を構えた。

『待って、間君』

『?』

『お願い、あの子を完全に消さないで欲しいの。摘出が終わるまで、攻撃せずに動きを止めるだけにして』

『あの子って…。あの腫瘍の事かい?』

『ええ、あの子は患者なの。あなたと同じように病に苦しめられてあんな姿になっているのよ。私が生まれ変わらせる。助けてあげるのよ。それが、世の中から病気を無くす方法の一つになると思うの。アイセンの目で見てる今のあなたなら分かるでしょう』

『病気を助ける…か。佐山さんらしい発想だね。まるでSFだよ』

『今はできなくても、いつか。きっとね』




 こうして、世界初のアイセンによる治療は成功した。

 アイセンに乗ってひどい傷を負った佐山博士も無事に帰還し、生身の身体には何の異常も見られず、数日後にはセロルロの研究を元気に行っていた。

 操縦者への精神的負担等の問題点も数多く有る事が分かったが、この一件によりアイセンは新しい医療の可能性として世界的に注目される事になる。
 
 改良や製造が進み、通常の治療との連携マニュアル等も作られ、医療学校にはアイセンオペレーションの専門学部も設立された。
 採取したウイルスや腫瘍を、ワクチンタイプ型のアイセンとして善玉化させる方法も発明された。

 これにより、複雑に転移した癌細胞などの、治療不可とされていたものが随分と治せるようになった。

 しかし、全ての生き物が進化していくように、病気もまた同じように進化していく。
 進歩した現代の医療でも治せない病気が数多く有るのも事実だ。
 
 人と病の戦いに終わりは無い。
 けど、誰かを助けたいという思いを持つ者が居る限り、人が生きられる可能性は広がっていく。
 
 あらゆる病を跳ね除け、命を脅かされる事の無い世界。
 夢物語なのかもしれないが、佐山博士とアイセンを見ていると、そんな世界も遠くない未来にやって来るような気がした。

 僕の命を救ってくれた佐山博士が言っていた言葉を借りるなら、

『今はできなくても、いつか』


筆者・間 正太郎

※この小説は作者別作品『オペレーション・アイセン』を編集・短編化した物です。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み