第1話

文字数 1,494文字

 幼馴染みのAが沈み込んだ顔で、机の上の六角鉛筆をパタパタと転がしている。話を聞こうと言う姿勢を見せるべきなのだろうか。待っていますと顔に書かれた人の思い通りに動くべきでは無い。それが私の意見だ。卑屈に相手を試す、過信に満ちた傲慢さが不快だから。相手にしなければ冷酷な奴だと責める姿勢。そんなものは私自身の為に無視すべきだ。それでも私は彼女に「どうかしたの?」と質問した。それは私達が今まで勉強会を口実に下らない相談をしてきたこと、今日も彼女からの勉強会の誘いを私が受けたことによると自分を納得させた。彼女の存在自体は断じて問題では無いのだ。公平な私からのせっかくの質問もわかるでしょという態度の彼女を動かさない。事実、彼女の憂鬱はいよいよ明日に迫った調理実習から発せられていることを私は理解している。ここのやりとりもただの意味のないじゃれ合いなのだ。彼女のある種の天才的な料理の腕前に対して私は不当な罪悪感を捨てられずにいる。だから、彼女から言い出して欲しかったのだ。後ろめたい時には受動的になる。これは私たちに共通の性質だ。何もしなければ、事態は好転も悪化もしないと、嘘に寄りかかる悪い癖だ。
 名誉のために弁解しておくと彼女の料理は決してまずいわけでは無い。ただ、味が分画されているのだ。電気泳動よりも正確に。純粋な辛味や甘味に。初めて気がついたのは小学生の頃の流し素麺だった。楽しげに彼女が流した素麺は一口目から炭酸の刺激を帯びた薄荷の様な透き通る味がした。それは確かに楽しい味だった。後ろから濃い目の麺つゆと細長い素麺味の素麺が追いかけてさえ来なければ。端的に言うと不味かった。それから私とAは一緒にクッキーからカレーまで色々作った。そして、私は「Aの気持ちの味がするんじゃないか」そう不用意に伝えたのだ。Aは手を叩いて納得し、その通りと頷いた。この時にAの無害で不思議な性質が私のせいで固定されてしまったのだと思う。次に彼女が愛情を込めたと言って持って来たハンバーグは人工調味料みたいな面白味のない甘い肉の塊に成り果ててしまった。甘い肉の不味さを知っているなら私がその後どれだけ言葉に困ったから理解してくれると思う。頼むから愛情を込めないでくれなんてどうやって優しく伝えればいい?私には分からなかった。だから、彼女の料理は偽善的に甘いままだ。
 鉛筆を転がすのを辞めて「調理実習どうしよう?」と彼女が歩み寄りの姿勢を見せる。
「サボれば?」と私は最も簡単な答えを提示する。彼女が望んでいるものでは無いと知りながら。私には彼女が何故そんなに調理実習に出席したいのか理解できなかった。
「怒りながら作れば良いんじゃない?麻婆豆腐でしょ」と私は数学の参考書をめくりながら言う。
「うちのクラスはマフィンなんだ。アンケートの結果で」
私以外に対してこんなにも熱心に悩んであの特別な決して美味しくはない料理を作りたがるAに不満なんてあるわけ無いと示そうとそれらしい答えを示す。
「なら、まるっきり手を出さないか、材料を混ぜたり、少しずつ手伝えば?関わった時間と工程で影響が出るんだから」
私の答えにAは納得した様だった。それにもかかわらず、彼女は私に味見をさせてはくれなかった。
 五日後の放課後、Aが満足そうに私にマフィンを差し出した。恐る恐る一口食べる。 夏の日の廃屋みたいな甘じょっぱい味がする。私は理解できずに彼女にどんな気持ちで作ったのか質問する。彼女は答えずに「おいしかった?」そう聞いた。不思議と不味くなかったしあと三回ぐらい食べてもいいかと思う珍味だったが、私は曖昧に笑って話題を変えた。
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