第1話

文字数 7,320文字

 魔法暦1959年。宇宙への進出を夢見た人類は、“ロケット”と呼ばれる鋼鉄で覆われた巨大な飛行船を作り上げた。この乗り物の動力は魔法である。ロケットのエンジン基部に魔法使いを“セット”し、その人間から魔力を吸いあげる事で、莫大な推進力を得るのだ。
 動力になった魔法使いは死ぬ。事実、大気圏内におけるロケットの飛行実験を繰り返す中で、何人もの魔力を失った魔法使い達が抜け殻になって死亡した。
 しかし、人類の進歩のための礎となって死ねるのだ。
 これは大変に名誉な事であり、ロケットの動力になりたがる魔法使いは後を絶たなかった。



     ◆     ◆     ◆



 魔法暦1961年。一人のパイロットと、三人の“動力源”を乗せたロケットは遂に宇宙へ旅立った。人類の魔法と科学の進歩がもたらした、大きな一歩である。
 それから地球の周りをぐるりと一周したロケットは、きっかり二日後に、何のアクシデントもなく地球へと帰還。
 パイロットは無事であった。動力源三名は当然抜け殻の死体になったが、地球で待っていた魔法使いの誰もが、その名誉の死を拍手で称えた。
 宇宙から帰還した際にパイロットが言い放った「地球は青かった」というフレーズは、あまりにも有名である。



     ◆     ◆     ◆



 魔法暦1969年。今度は、二人のパイロットと四人の“動力源”を乗せたロケットが宇宙へ旅立った。今度の宇宙飛行の目的は、月に到達する事である。
 何故月へ行く必要があるのか?
 それは、月には人間の魔力を増大させる特殊な鉱石が存在していると考えられたからだ。
 昔から、地球の各地では月から小さな隕石が落下してくるという事例があった。そして奇妙にも、その隕石に触れた人間は皆魔力が増大したらしい。
 あくまでも“らしい”であり確実な立証には及んでいないため、仮説に過ぎない。だが、これが事実なら大発見だ。
 月の石を手に入れた人類は、増大した魔法の力で、より高度な文明を築きあげる事が出来る。
 技術者達は皆、浮足立っていた。



     ◆     ◆     ◆



 オレンジ色の作業服に身を包んだ二人のパイロットは、月へと向かうロケットの窮屈なコックピットに座り、会話をしていた。
「……よし、大気圏は無事に突破したな。予定通りだ」
 そう言って静かに息を吐くこの男の名は、ニルアム。このロケットの船長である。今年で40歳になる中年のアメリカ人男性だが、皺だらけの疲れ切った顔はまるで還暦前のようにも見える。要するに老け顔であった。
「エンジンの調子はどうだ? バズオル」
 彼が横を向いて聞くと、バズオルと呼ばれた男は目の前のモニターを見つめながら
「そうですね。四人の“動力源”も、問題なく魔力を放出しています。心配ありません」
と返した。
 バズオルは、このロケットの副船長を務めている黒人の男性だ。先日30歳を迎えたばかりのまだまだ若いパイロットであり、その肉体はしっかりと鍛え上げられている。
 彼の返答を聞いたニルアムは、顔をしかめた。
「なあ、バズオル……前々から思っていたんだが……」
「何です?」
「魔法使いって気味が悪くないか?」
「どうしたんですか船長。急にそんな事言いだして」
 手元のスイッチをせわしなくいじりながら、クールに言うバズオル。ニルアムは無精ひげで覆われた顎をさすった。
「動力源になっている魔法使いは皆、自分が死ぬと分かっていて志願したんだろ? しかも他の魔法使い共は“名誉だ、うらやましい”などと言って、羨望の目でそいつらを見つめている。はっきり言って、気味悪いだろ」
「船長、それは言わないお約束ですよ。僕達には分からない価値観が、魔法使いにはあるんでしょう」
「うーん、そういうモンかねぇ……」
 人類の誰もが魔法使いではない。中には、パイロットを務めるこの二人のように、魔力を一切持たない人間もいる。
 現在、この世界の総人口は80億人と言われている。その内、魔法を使えない人間は10億人。実に8人に1人は非魔法使いなのだ。
 血液型と同じようなもので、両親が魔法使いならその子も間違いなく魔法使いである。反対に、両親が魔法使いでないならその子も魔法使いではない。
 そして、魔法使いと非魔法使いの間に生まれた子が魔法を使える確率は、約70パーセント。
 別に、非魔法使いだからと言って差別される事は(現在は)ない。が、魔法を使える者と使えない者との間に、相いれない価値観の違いがうっすらと存在しているのは事実だ。
 “死”が確定しているロケットの動力源になるなど、非魔法使いからしてみればもはや“狂信的な生贄”である。しかし魔法使いからしてみれば、死よりも栄光を貴ぶ考えの方が強いというわけだ。
 今エンジン基部にセットされている四人の魔法使いは、何を思っているのだろうか。
 人類の進歩の礎となっている興奮に酔いしれているのだろうか。いやあるいは、とうに意識など失っているのだろうか。
 そんな事を取り留めもなく考え出すと、ニルアムは改めて魔法使いの常軌を逸した考え方に寒気を覚えるのであった。
 話題を変えようとして、彼は咄嗟に切り出す。
「なあなあ。バズオルは、どうしてパイロットに志願したんだ?」
「あれ、前に話しませんでしたっけ? 給料が高いからです」
 するとニルアムはニコリと笑った。
「あ、俺と一緒だ」
「いいですよね、パイロットの給料。魔法が使えないとどうしても就職先が限られてしまいますけど、ここは破格の好待遇ですよ」
 いつもはクールに無表情で話すバズオルも、お金の話題となるとつい笑みを漏らしてしまう。
「そうそう、そうなんだよ。しかもこのプロジェクトが終わったら、一生遊んで暮らせるだけの金が手に入るぜ」
「船長は、プロジェクト終了後はどうするんですか?」
 それを聞いたニルアムは、楽しそうに腕を組んだ。
「きっぱりと、仕事を辞める! そして、オハイオ州の田舎にある実家に帰るよ。父ちゃん母ちゃんが待ってるからな」
「いいですね」
「お前は?」
「僕は……まだ、決めてません。このパイロットの仕事も好きですから。でも、そうですね……辞めて、地元に帰るのも悪くないですね」
「だろ? 悠々自適に田舎で暮らす! これが人生の正解だよ! ガハハハハ!」
 豪快に笑うニルアム。彼の笑い声が、せま苦しいロケットの中で反響した。
 宇宙へ来たというのに、緊張感も何もない二人。
 そもそも、宇宙を飛んでいるという今の状況は、普段の日常とあまりにもかけ離れている。だからこそなおさら緊張感が生まれず、むしろ冷静に俯瞰していられるのかも知れない。



     ◆     ◆     ◆



 ロケットが月に着陸したのは、それから二日後の事であった。
 丸い地平線。真っ白な大地。真っ黒な宇宙。真上から覗く真っ青な地球。
 宇宙服のヘルメット越しにそれらを見た時、ニルアムとバズオルの二人は、ようやく“宇宙に来たのだ”という明確な実感を覚えた。
「凄いな、バズオル……」
「凄いですね、船長……」
 宇宙服に着替えて月面へと降り立った二人が、感嘆の声を上げた。
 彼らが着ているこの白くてだぼだぼとした宇宙服は、一本の黒いチューブでお互いがつながっている。この直径4センチほどのチューブを介する事で、宇宙でも会話が出来るのだ。
「それじゃあ早速、隕石を掘り出しましょうか」
 そう言ってバズオルは、ロケットから持ってきたピッケルを握った。
「ああ、そうだな」
 副船長に倣い、ニルアムもピッケルを構える。それから勇気を出して一歩踏み出してみると、事前に地球で説明を受けていた通り、体がふわりと浮いた。もしかするとこのまま浮き続け、地面に戻れず一生宇宙を漂い続ける羽目になるのではないか……そんな恐怖が脳裏をよぎったその瞬間、地球のそれよりもずっと弱い重力によって、体が月の地表に緩やかに引き戻される。
「おお……月の重力は地球の六分の一、だっけ?」
「そうです、船長」
「いやはや、怖いな! 玉がヒュンとしたぞ!」
「フフフ、私もですよ」
 チューブを介して、くぐもった声ではしゃぐニルアムとバズオル。それから二人は、計画通りピッケルで月の地面を叩き始めた。
 本当に、月の石に魔力を増大させる力があるのだろうか?
 魔法使いではない彼らにはそれは分からない。ここでとれた石を、ロケットのエンジン基部にセットされている魔法使い達に触らせてみれば何か判明するかも知れないが、パイロットが動力源の人々と接触する行為は全面的に禁じられていた。
 “絶対にロケットのエンジン基部は覗かないように”と言ってきたロケット開発者の、あの冷たく暗い目を思い返すと、ニルアムは今でもゾッとする。宇宙の黒よりも、ずっと暗い黒だった気がするのだ。
「……さあバズオル! 掘って掘って掘りまくるぞ! そしたらとっとと地球に帰って、田舎で隠居生活だ!」
「はい、船長!」



     ◆     ◆     ◆



 それから三日後。ロケットは予定通りに地球へと戻ってきた。
 だが、足りないものが“二つ”あった。
 一つは、月の石。今回のミッションは月で鉱石を入手する事だったのだが、ロケットにはひとかけらもそれがなかった。
 もう一つは、バズオル。副船長のバズオルが、ロケットに乗っていなかったのだ。
 ロケットを回収した技術者達は恐怖におののいた。唯一の生還者である船長・ニルアムに何があったのかを問いただそうとしても、彼は完全に廃人になっていたからだ。
 常に白目をむき、口からは泡を吹いていた。
 言葉をかけても何も返さず、時折「あー」とか「うー」と呻くのみだ。しかし一つだけ、収穫があった。
 ロケットのエンジン基部にセットされていた、四人の魔法使い達だ。皆抜け殻となって死んでいたが──そんな彼らの顔に、何やら奇妙な文章が赤い絵の具か何かで書かれていたからだ。
 それは、現在の魔法暦においてはどこの国でも使われていない言語だった。
 技術者達は至急世界中から言語学者を収集。徹底的に、この謎の言語について調べさせた。
 その結果、一人の女性学者が、月よりもたらされたこの言語の正体に辿り着いた。



     ◆     ◆     ◆



 アメリカ宇宙開発センターのセンター長を務める老齢の男性・ガリンは、早速その研究者を自分のオフィスに呼んだ。
「君が、言語を解明したという例の学者かね」
 デスクに腰を下ろしたガリンが聞くと、女性はコクリと頷いた。
「はい。マリアと言います」
 彼女──マリアは、ふくよかな体型をした白人女性である。出身はイギリス。人類誕生の地とも呼ばれるアフリカ大陸の言語に精通している、非常に優秀な学者だ。
「君は、魔法使いではないのだね」
 マリアの経歴が載っている手元の書類に目を通しながら、ガリンは言った。
「ええ、まあ」
「ふむ……」
 ガリンは、魔法使いである。そして同時に、(あえて表立って言う事はないが)強烈な選民思想の持ち主でもあった。とどのつまり、魔法を使えない人間を軽視しているのだ。
 若い頃は、非魔法使いの排斥運動に加担した事もある。無論、そういった後ろめたい過去は巧妙に隠した上でこの地位に居座っている。
「なるほどな。では、君が調査した結果を聞かせていただこう」
 ガリンはそう言って、これ見よがしに魔法を使って手元の書類を浮かせた。彼が少し念じると、その書類は意思を持った生物であるかのように軽やかに飛んで、デスク横の棚の中に綺麗に収まる。その一連の様子を、マリアは押し黙って見ていた。
 それから、おもむろに口を開く。
「……では、研究結果を説明させていただきます」
「うむ」
 ガリンはデスクに肘をつき、マリアの顔をじっと見つめた。
「月から帰ってきた彼らの死体の顔面に書かれていた文字は、魔法暦が始まる前……紀元前3000年頃に使われていたものです。シュハッティナラム語と命名されています」
 その報告を聞いたガリンは、思わず眉間にしわを寄せた。
「シュハッティナ……失礼、随分と言いにくい名前の言語だね」
「そうですね。そしてこのシュハッティナラム語は、アフリカ大陸の西部で使われていました。現在確認されている限りでは、世界最古の言語です」
「ふむ……それが、動力源の彼らの顔面に書かれていたのか。で、肝心の内容は?」
 ガリンが尋ねると、マリアは懐から一枚の白い紙を取り出した。そして、その紙に書かれた内容を読み上げる。
「一人目の顔に書かれていたのは、“近付くな”。二人目は、“知るな”。三人目は、“思い上がるな”。最後の四人目は、“声を聞くな”。……以上です」
「……」
 ガリンは思わず沈黙した。彼女の報告があまりにも衝撃的であったため、面食らったのだ。それからその四つの言葉を頭の中で何度も咀嚼し、反芻し、彼はようやっと一つの結論に辿り着いた。
「……何かの、警告か?」
 首肯するマリア。
「ええ、おそらく」
「……言語学者の君にこんな事を聞くのもおかしな話だが……」
 そこで言葉を区切ると、深く息を吸ってこう続けた。
「マリア。宇宙人は、いると思うか?」
 数秒の逡巡の後、彼女が口を開く。
「言語学は古代の歴史学と深くリンクしています。その観点から言うと、宇宙人は存在すると思われます」
「ほう……」
「先程も申し上げた通り、このシュハッティナラム語はアフリカ大陸西部で使用されていた言語です。そして文献によると、当時の人々は“人類の始祖は二つの場所から来た”という考えを信奉していたそうです」
 ガリンは眉をひそめた。
「二つの場所から……?」
「“宇宙から来た始祖”と、“地底から来た始祖”です」
 それを聞いた時、彼はつい吹き出しそうになった。そんなもの、くだらないオカルトかおとぎ話の類である。だが、マリアの表情はあくまでも真剣そのものだ。
「センター長は、何故人間には魔法を使える者と使えない者とがいるのだと思いますか?」
 唐突な問いであった。
「うーむ、難しい質問だな……現代においても、その疑問は完全には解明されていない。有力な説は遺伝子の突然変異だが……」
「シュハッティナラム語を使っていた古代人の考えはこうです」
 そしてマリアは、もったいぶるように数秒間を空けてからこう言った。
「“宇宙から来た始祖”の子孫は魔法使い。“地底から来た始祖”の子孫は非魔法使い」
「……すまない、やはり私にはおとぎ話のようにしか聞こえないな。じゃあ何か? 私は宇宙人の子孫であり、君は地底人の子孫という事か?」
「そうです」
 即答であった。
「……」
 この女、頭がイカレているのか? やはり非魔法使いは下等だな……。
 そんな考えを胸に秘めつつ、ガリンはゆっくりと椅子から立ち上がった。
「分かった……とにかく、研究ご苦労。後の事は我々に任せたまえ」
「はい……あの、最後に一つ、聞いてもよろしいですか?」
「何だね?」
「文字を書くのに使われていた材料は、一体何だったのですか?」
「文字? ああ、文字か……」
 月から帰ってきた、ロケットの動力源となった人々。彼らの顔に書かれていた文字。その文字は、赤い“何か”によって書かれていた。
 “何か”の正体を、マリアは知りたがっているのだ。
「……生物の、血だよ」
「何の生物のですか?」
「……残念ながら、それが、全く分からん」
 一言一言、噛み締めるように言うガリン。
「そうですか……」
 研究の結果、生物の血液であることが判明した。が、肝心の“何の生物の血液なのか”は全く分からなかった。
 世界中から生物学者、錬金術師、呪術師を集めて血について調べさせたが、分からなかったのだ。
「もしかしたら、宇宙人の血、かもな」
「……かも知れませんね」
 マリアはそう答えると、踵を返してオフィスを後にした。



     ◆     ◆     ◆



 結局、今回の事故(あるいは事件)がきっかけで、ロケットを用いた宇宙開発計画及び月での鉱石採集計画は頓挫となった。
 このニュースがもたらされた時、世界中の魔法使いが“ロケットエンジンの動力源になりたかったのに、計画がなくなって残念だ”と嘆いたそうだ。
 その後マリアはアフリカ西部へと渡り、本格的にシュハッティナラム語の現地調査に乗り出した。アフリカに残された古い遺跡を、手当たり次第に調べまくったのだ。
 それから実に2年後。彼女は、とある遺跡で紀元前3000年当時の石板を発見した。
「私達は、月の先人を怒らせたのかも知れない」
 石板を解読した時に、マリアが放った言葉だ。
 石板には、彼女の中にあったとある仮説を確信へと至らせる文章が、シュハッティナラム語で掘られていたのである。
 以下に、現代語訳されたその文章を掲載させていただくので、これをもって物語の締めとする。



     ◆     ◆     ◆



 我々の祖先は、地底より這い出てきた“地底の先人”。故に念は持たない。理も持たない。

 隣の国の者共の祖先は、月より舞い降りてきた“月の先人”。故に念も理も持つ。

 月の先人がもたらした、この念や理の類を、魔法と呼ぶそうだ。

 地底の先人は、我々に何も与えてはくれなかった。

 だがそれでも我々は、絶対に月の先人に邂逅してはならない。

 近づけば、目を潰される。

 知れば、脳を凍らされる。

 思い上がれば、肺を燃やされる。

 声を聞けば、耳を切り取られる。

 月の先人は、全ての大地に警告を撒いた。

 そして、月に帰った。

 だから、我々は。

 月に行ってはならない。
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