第1話

文字数 1,982文字

 ねえちゃん、と呼んではいるが姉弟ではない。
 隣の家のあのひとは、いわゆる幼なじみというやつだ。歳は5つ離れている。互いにひとりっ子で、本当の弟のように面倒をみてくれた。というか、兄弟のいる友だちの話を聞く限りでは、本当の姉弟以上かもしれない。それとも、本当の姉弟ではないからこそだろうか。それはわからないけれど、ぼくもねえちゃんのことが大好きなので、かまってくれることはとても嬉しかった。
 小さなころ……小学校にあがる前の、もう5年以上も前のことだけれど、『おっきくなったらおねーちゃんとけっこんするー!』と言っていたこともあった。今思い返すとメチャクチャ恥ずかしい気がするけれど、まあ、なんというか、子供らしい無邪気な思い出だ。できるだけ思い出さないことにしている。

 今、一番の悩みはねえちゃんのことだ。
 正確にいつから、というのはわからない。いつの間にか、「ねえちゃん」としてではなく好きになっていた。
 ただ、自覚することになったきっかけだけは、はっきりしている。それは、自覚させられた、というほうが正しいけれど。

  ■

 いつかといえばそれは去年のこと。中学3年だったねえちゃんが、友だちを連れてきたときだ。なぜ自分がその場に居たのかということや、前後の話の内容なんかはあまり憶えていない。
 ただ、ぼくの知らないふたりのクラスメイトの話を、なんだかおもしろくないような気持ちで聞いていたことは憶えている。

 問題はその後だ。
「お茶淹れなおしてくるね」
「おれの分も」
「はいはい。わかってるよー」
 部屋の主であるねえちゃんが出ていって、ねえちゃんの友だちとふたりきり。特に話すこともないので黙っていると、
「ねえ」
 気を使ってくれたのだろうか。ねえちゃんの友だちが話しかけてくる。「きみの『ねえちゃん』は、きみから見てどんなひと?」
 いきなりなんだろうか。戸惑うぼくに、彼女はふふふ、と笑いかける。
「ちょっと気になって」
「はあ……。どんなひとと言われても」
「なんでもいいよ。いいところとかでも」
 いいところなら、まあ。考えながら、思いついたものを上げてみる。
「やさしい。この前もお昼ごはんつくってくれた」
「あー。やさしいっていうか、面倒見がいいよね」
「料理もうまいよ」
「あ。あたし、お弁当作ってもらったことある」
「おれも。ねえちゃんの玉子焼きが一番好き。あとお菓子もうまい」
「そうそう。このシフォンケーキもおいしいよねー」
「うん。前はふくらんでなかったり焦がしたりしてたけど、最近は失敗したとこ見たことない」
「そうなんだ。本人けっこう抜けてるとこあるのにね」
「そういえば、たまに何もないところでつまづいてる」
「あはは。あるねぇ」
「あと朝が弱い」
 と、そこまで言ってから、「いいところ」じゃなくなってるな、と気付く。
「……でも、早く起きて弁当作ってくれたりするけど」
 とりあえずフォロー。その様子を見て彼女はまた、ふふふ、とうれしそうに笑う。
「おねえちゃんのこと、大好きなんだねー。前から思ってたんだけど、それがどういう『好き』か、ちゃんと分かってるかな?」
 意味が分からなかった。どういう意味なのか、聞こうとしたところでねえちゃんが戻ってきたので、そのままうやむやになった。この言葉の意味が分かったのはもう少し後のことだったし、自分の気持ちを理解したのはさらに後のことだ。それでも、きっかけはここだった。
 彼女はなぜこんなことを言ったのか。単にからかっただけという気もする。ただ後になって、このことについて相談にのってくれた。悪いひとではないのだ。一応は。

  ■

 とりあえず、「ねえちゃん」というのはやめよう。「ねえちゃん」でないなら、やっぱり名前だろう。なんだか恥ずかしいような、照れくさいような。あのひとはどんな反応をするだろうか。急に呼び方を変えるのは不自然な気もするし、勇気がいるが、でもしょうがない。
 もう、「ねえちゃん」と思ってはいないのだから。

  ■

 学校からの帰り道、家の手前であのひとと一緒になった。
「おかえりー。今日は遅いんだね」
 のほほんと笑いかけてくる。この、気が抜けているときの、ふわりというかふにゃりとした笑顔が好きだ。が、今はそれどころではない。「姉弟のような関係」からの卒業の第一歩を踏み出すときがきたのだ。
「あ……」
 いざとなると、思うように声が出ない。勇気が出ない。心臓の音だけが響く。大したことじゃない、ただ名前で呼ぶだけだ、落ち着けとにかく落ち着け、と自分に言い聞かせる。――よし。さあ言え。さあ。
「……の、ねえ」
「んー?」
 ……いや無理。今日のところは、ねえちゃん、と呼ばなかっただけでも偉いと思うことにする。
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