第1話

文字数 2,670文字

「ありがとう。」
困った顔でそう言いながら、あなたは絶対に私の目を見ない。
分かっていた反応なのに、心臓がギュッと絞られて捻れた。

大学二年の頃、同じインカレサークルのバーベキューで人の何倍も飲んでいるあなたに初めて声をかけた。
一年の頃から名前は知ってはいたけど、大人数のうちのサークルでは目立つ方ではなかったし、話す機会もなかった。
しかし、今回のバーベキューでは酒の耐性がステータスとも言える男子大学生の中で彼は一際目立っていた。
誰よりも缶ビールを開けていたし、周りの煽りも全て受け応えて、思わず目を移さずにはいられない。

馬鹿だなあ。

「ねえ、すごいお酒飲めるんだね。びっくりした!大丈夫?」
「ありがとう。大丈夫だよ。」

カラッと乾いた夏の青空の元、アサヒスーパードライの缶と少し焼けて赤くなった頬が眩しかった。普段は少しキレ長に見えるのに笑うとグッと下がる目尻が印象的だった。

「あんま話したことなかったよね?LINE、追加してもいい?」
同じサークルなのでグループLINEから勝手に追加すればいいのにわざわざ承認を得る彼に対して律儀な人だなと思った。

当時、彼氏と別れ、傷心者となっていた私にとって久しぶりの異性のやりとりというのはどことなく新鮮で好きというわけではないものの、授業中にこっそりやりとりするLINEが密かに楽しみになっていた。

「サークルの夏合宿行く?」
「行くよ!」

熱海のコテージで行われた我々の夏合宿。
参加者は来年より少し減ったが、男の子たちが車を出し、女の子たちが買い出しに繰り出す。
近くのスーパーで私は同じ2年の友人たちと買い物に行き、割引シールの肉を見つけてはせっせとカゴに入れていた。

車で迎えにきた彼が一番に私の買い物袋を持ってくれたあの瞬間が私の中の決め手だったのだと今では思う。

「重かったでしょ?」
日焼けが増して、黒くなった逞しい腕で私の買い物袋を軽々持ち、ヒョイとトランクに積む後ろ姿に思わず口角がキュッと上がった。

青い海に囲まれたリゾート地、人里離れたコテージ、容赦なく照りつける太陽、こんなに絵になる夏なら日焼けしたっていいや。今は紫外線だって敵じゃないと思わせる程、その日は快晴だった。

大学生お決まりの終わりが見えない無秩序な飲み会が始まり、私は気分が良かったこともあり、普段の倍は飲んだ。
で、彼の方も普段の倍飲んでいた。というよりみんながみんな普段の倍、飲んでいたように見える。

何本目か分からないレモンサワーの缶を開けた頃からもう私は頭がぐちゃぐちゃになっていた。
馬鹿騒ぎする友人たちを尻目にトイレと一言残すと、外に出て、月明かりの下フラフラと歩いた。

「ねえ、大丈夫?」
溶けてしまいそうな程優しい声が背中に触れた。
「飲み過ぎた?水持ってくる?」
「ううん。大丈夫。トイレ行きたくて。」
「こっちおいで。トイレは逆だから。」

その時初めて彼氏に触れた。逞しいと思っていた腕は掴んでみると想像以上に硬い。
私の肩を掴みながら、彼は笑う。
「こんなにふらふらになってんの初めて見たよ。」
トロンと下がる目尻がまた私を見ている。
この時、もはや私はトイレなどどうでも良くなっていたと思う。
彼の背中にズンっと体重の8割を預けて寄りかかった。
「なあに?歩けない?」
「歩けなくないけど、別にトイレ行きたくなくなった。」
「なんだよお〜。じゃあちょっと座って外の空気吸ったら戻ろうか。」
「うん。」

芝生にドカっと二人して腰を下ろしながら、私はまだ体重の8割を彼に預けていたし、握った腕も離さないでいた。
それが合図だと思われたのかもしれない。
ゆっくり顔を近づけてきたのは彼の方だったし、顔を覗き込んで唇に触れてきたのも彼だった。

その日の、その記憶だけはアルコールによるブラックアウトの弊害は受けず、むしろ私は鮮明に覚えていた。

それ以降、彼と頻繁に会うようになった。
彼の一人暮らしの家賃4万円木造アパートに私が通うようになった。
バイト終わり、学校終わり、次の日が休みなら泊まることも多かった。
一緒のベットの中で豆電球の灯りの元、寝返りを打って目があった瞬間にどちらともなく、手を伸ばしていた。
今思えば一線を超えてしまう前から好きだった。
自分の気持ちには向き合わないようにしていた。
あの合宿の日、死ぬ程嬉しかったキスの裏側を知ったから。

「本当に好きな女の子に対して、簡単に手出さないよ!男ってそーゆーもん。」
彼の友人が食堂で意味もなく放った一言で私は現実に引き戻された。分かっていたことだった。
それでも好きだと思った。最初は傷を埋めてくれるから好きなのかもしれないと思った。
でも違う。どこで何してたって会いたい。触れていたい。
頭では理解していたけどもう心はどうにもならない。

私たちの関係はサークル内の誰も知らなかった。
私も彼も周りにあまりそういうことを話さなかった。

彼とそういう関係を二ヶ月程続けた。
「ねえ、好きだよ。」
何度この言葉を言っただろうか。私が欲しいのは同調だけなのに返ってくる言葉は「ありがとう。」だけだった。
普通の恋人のようなデートを提案したのは私で、初めて二人で鎌倉に行った時は手を繋いだ。
もう残暑が名残惜しい9月の終わり、この手汗は暑いからじゃない。
こうして私と昼夜堂々、遠出デートをする、恋人繋ぎをする、他愛もない話で笑う彼を見て、恋人同士みたいだね、好きだよ。と言いたくなった。
それを言ってしまえば、またあの困った笑顔で「ありがとう。」と言われることを知っていた。

なんで恋人同士じゃないのか不思議だった。
私はあなたが好き、じゃああなたは?

と聞かなくても分かってしまう答えを聞かないことで未来に一片の期待を残してしまう甘い甘い自分が嫌だった。

次第に彼からの連絡頻度が落ちた。
前は授業中に来たLINEの通知はもう鳴らない。
もう会いたいとも、言われなくなった。

ああ、やっぱり思った通りじゃん。
ここで追いかけたら見苦しいかな?なんて最後は強がって私から連絡することもなく、秋の訪れとともに彼との夏は終わった。

それでも、サークルの飲み会であなたの目尻を見つけると心臓が、ギュッと絞られる。

その目尻の傾き具合を、あなたの逞しいその腕を、夏のヒリヒリした日焼けの肌を、家にあるアサヒビールの空き缶数を、知っているのは私だけなのよ、と誰にというわけでもなくマウントを張る陰険な女の癖を心の中で発揮してしまう。

いつか、私があなたに好きの同調を求めなくなったら、今度は恋人になれるのだろうか。私の夏はまだ終われないのだろうか?
答えはしばらくいらない。
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