第四話

文字数 20,277文字

 ケインは意識を戻し、周囲を確認した。車の後部座席で、下部から蒸気機関の重低音が響いている。軍服を着た二人の男が両脇に座っている。一方はシワの多い方の男で、佐官の階級章を身に付けている。もう一方にはナフが座っている。窓に目を向けた。高層の建築物が後方に流れている。
「目が覚めたか」佐官の男は緩やかな低い調子でケインに尋ねた。
 ケインは男の声に眉をひそめた。「プレストン大尉、ですか」佐官の男に尋ねた。プレストン大尉は敵地で行方不明、と処理している。
「少佐です中尉、口を謹んでください」ナフは不快を露わにしてケインをたしなめた。
「構わん」プレストンはナフをいさめた。
 ナフは口をつぐんだ。
「記憶力は衰えていないな、ケイン中尉。いや、今は大尉か」
「死亡扱いになったと報告書にありましたが」
「監察部に入る名目で戦時行方不明の扱いだ」プレストンは向かいのナフに目を向けた。「隣りにいるのは」
「ナフ少尉ですか、確かセスの所にいた」
「存じているか、彼は軍閥を管理する目だ」
「監察部の人間が直に来ると」ケインは気難しい表情をした。軍閥は弱体した治安維持組織の代替として機能しているが、軍閥の争いが過剰になれば国家の弱体を招く。監察部は政府と組み、均衡を制御している。
「少佐、私を車に連れ込んだ理由は何ですか」ケインはプレストンに尋ねた。腕と手をわずかに動かした。しびれはない。
 プレストンは手を伸ばして助手席のシートの後ろに付いているクリップボードを取り、ケインに差し出した。
 ケインはクリップボードを受け取った。クリップボードには書類と万年筆が挟んである。書類は委任状で印が押してあるが、署名は書いていない。「果てが分かっているのに仕掛けるのですか」プレストンに尋ねた。
「政府は実際に確認しないと、納得しない」
「分かりきっているのに、ですか」ケインはぼやいた。
「相手への布告と政府への伝達です」ナフは答えた。
 ケインはナフの返答にあきれ、ナフに目を向けた。「少尉、今まで攻め込む際、政府に宣言したケースはあったのか」
「中尉が手続きをしなかっただけではないですか」ナフは淡々とした口調で答えた。「政府の施設に攻め込むのですから、正当な理由がなければクーデターとして扱います」
「記憶にない、部下に問い合わせる」セトはうなった。「セトにも伝達する理由は」
「通達しなければ棄民は動かない」
「薬物強化した人間のテストか」ケインは書類に「状況変化に伴う撤退、詳細は追って伝える」と書き込み、プレストンに差し出した。「強化した程度で統制の出来ない人間を動かしても、使い物にならん」
 プレストンはクリップボードの記述を読んだ。「大尉の一存なら、問題なく撤退命令を受理するがね。民も政府も、棄民街への侵攻と棄民との衝突を望んでいる」ペンを取り出し、黒く塗り潰した。
「潰すのが前提か」ケインはつぶやいた。
 ナフはケインに銃を突きつけた。「命令を書き直せ」
 プレストンはケインにクリップボードを差し出した。
 ケインはナフの顔を見た。ナフは怒り気味だ。「脅し程度で簡単に要求が通ると信じているのか」
「政府からの命令なんだ、遂行する以外に選択はない」ナフは大声を出した。
 ケインは舌打ちをし、戦闘命令の受諾と共に「あなたとの約束を果たすまで見捨てない」と書き込み、プレストンにクリップボードを差し出した。
 プレストンはクリップボードを受け取り、ナフの方を向いた。「ナフ、止めろ。相手が悪い」低い声でナフを諭した。
 ナフは銃を下ろした。
「軍人は死と同居している、脅し程度で屈しない」プレストンは書類の内容を読んだ。「啓発の講師にでも転職したか」
「サインの代わりです」
 プレストンはクリップボードから書類を外し、丁寧に折りたたんだ。カバンから封筒を取り出し、書類を入れるとナフに渡した。
 ナフは封筒を受け取り、運転席に身を乗り出した。「検問前で止まれ」
 運転手はプレストンの命令にうなづき、周囲を見回した。
 プレストン達の乗る車は検問に到着した。
「では向かいます」ナフは助手席のドアを開けて降り、礼をしてドアを閉めた。
 車はシティエンドへ走り去った。
 ナフは検問に向かった。
 検問前に来ると、見張りの軍人達が囲った。
 軍人の一人は名札を見ていぶかしげな表情をした。「船大工か預言者の付き添いか。顔と名前で通ると信じているなら相当甘い」
 ナフは腕をたたいた。軍人達は皆、ナフの腕に目を向けた。監察部の腕章がナフの腕に付いている。「監察部だ。バイクでも車でも馬でも構わない、棄民街に行く足を貸してくれ」
「用件は」軍人の一人がナフに尋ねた。
 ナフは封筒を軍人に見せた。「書類を届けに」
 軍人達は一斉に笑った。
「伝書バトでも飛ばしておけ」軍人の一人はナフをあおった。
 ナフは表情を変えずに素早く拳銃を取り出し、あおった軍人を撃った。銃弾は肩に当たり、痛みと衝撃で倒れ、もがき苦しんだ。苦しんでいる軍人を見て、冷ややかな表情をした。
 軍人の一人は銃を取り出した。
 ナフは銃を取り出した軍人に素早く撃った。銃弾が銃を持っている腕に当たった。軍人は腕を抑え込んだ。
 残った軍人はナフに向けて一斉に構えた。
「足をよこせ、監察部の命令だ。俺が死体にすれば、お前達は問答無用に裁判にかけるぞ」ナフは構えを解かずに大声を出した。
 軍人達は困惑し、構えを解いた。ナフも構えを解いた。
 一人の軍人が駆け足で検問に向かった。
 ナフと軍人達はにらみ合っている。
 軍人がバイクを持ち込み、ナフの元に近づいた。「も、持ってきました。行き先は」
 ナフは軍人に近づいた。「棄民街だ」
 バイクを持ってきた軍人はバイクのスタンドを立てて固定した。蒸気がバイクのマフラーから吹き出している。
「燃料は」
「シティ一周する分は問題なく」
 ナフはバイクにまたがった。「ならいい、感謝する」バイクのアクセルを踏んだ。バイクが走り出し、検問を突破する。
 軍人達はナフが去るのを見届けると、怪我をしている軍人の処置を始めた。



 ケインは車の窓から見える景色を眺めていた。行き交う民間人はまばらで、軍人が動き回っている。
「行き先は」ケインはプレストンに尋ねた。
「話し合いの舞台は用意してある」
「拷問部屋でないのを祈ります」ケインは淡々と答えた。
「追い詰めるなら既にやっている。特定の時間、特定の場所から隔離して指揮から外れるだけだ」
 ケインは眉をひそめた。「指揮から外す意味は」
「戦闘の開始と続行だ。臆病者の君が指揮を執れば、書面に戦闘命令があっても撤退を命じる」
 ケインは運転席のダッシュボードの時計に目を向けた。8時10分を示している。「家族は戦闘の混乱で離れたと聞いています。健在ですか」
「戦闘の混乱で離散したよ」プレストンは外を眺めた。「妻も娘も生きていたとしても、労力をかけて助ける義務はない」
 ケインはプレストンの態度を見て、一瞬、眉間にシワを寄せた。「遺体は確認しましたか」
 プレストンは何も答えない。
「コンタクターが棄民街にいた少佐の子を保護しました。棄民街の現状はご存知で」
「報告を聞いている分には。保護した娘と関係でもあるのかね」プレストンはケインに尋ねた。
「棄民街の現状を語る生き証人です。状況を確認するにも向かってはと」
 プレストンはうつむき、暫くして顔を上げた。「対象を収容している場所は」
「紙とペンをお貸しください」ケインはプレストンに手を差し出した。
 プレストンはカバンから手帳と万年筆を取り出し、手帳を開けてケインに渡した。
 ケインは開いてある白紙のページに住所を書き込み、プレストンに渡した。
 プレストンは確認をせず、手帳を破って運転手の肩を小突いた。運転手は振り返り、プレストンが差し出した手帳の切れ端を受け取って確認した。
 運転手はうなづいた。
 プレストンとケインの乗った車は通りを走り抜けた。



 監視員は森の入り口に設置したやぐらから、棄民街に向かう道路を双眼鏡で監視していた。
 セトの軍閥は森の入り口に検問を設置し、関係者以外の立入りを制限している。
 輸送車が検問に向かって走って来るのが見えた。
 監視は双眼鏡を外し、伝声管のフタを開けた。「輸送車が定刻通りに来た」伝声管に話しかけた。
「了解した」伝声管から返事が響いた。
 輸送車は検問で止まった。
 軍人達が駆け付けて臨検を始めた。
 イーサンも臨検に加わった。輸送車は軍閥ではなく、政府の管理で独立して動いている。戦闘の有無は関係ない。
 軍人達は輸送車の臨検を終えた。統括者は運転手に発進を促した。
 輸送車は検問から出て、森に向かって走り出した。
「手が空いてるか、来い」軍人はイーサンの袖を引っ張った。
 イーサンは軍人と共に、物資を搬入しているテントに入った。
 監視は双眼鏡を外し、空を見てあくびをして空を見た。空は淡い青色に僅かな雲が浮かんでいる。
 暫くの間、道路には何も通らず静かな光景が続いた。
 バイクの音がシティエンド側の道路から響いてきた。
 監視は軍人達を見た。軍人達はバイクのエンジン音に気づいていない。双眼鏡をかけて道路に目を向けた。
 バイクに乗った軍人が検問に向かっている。伝声管を開けた。「伝令、軍人が1名、バイクで来ている」
「敵か」
「うちのだ」
「分かった、用件を聞き出す」
 監視は手元にある懐中時計を見た。7時25分を示している。
 軍人達は監視の報告を受けて、検問の入り口に集合した。
 バイクは軍人達の前で止まった。乗っている軍人はバイクのスタンドをかけて降りた。
「誰だ、用件は」軍人が尋ねた。
「カイアファ伍長<<ごちょう>>だ。イーサン上等兵に書簡を渡しに来た」カイアファはバイクに付いているバッグから書簡を取り出した。書簡は丸めてリボンで止めてあり、セトの封蝋が結び目に付いている。
「案内する」軍人はカイアファをイーサンが入ったテントに案内した。
 部屋には木箱が積んであり、軍人達が検品をしている。イーサンとタデウスも作業に当たっていた。
 イーサンは、タデウスが固定している木箱をバールでこじ開けた。弾薬が詰まっている。
 タデウスは弾薬を取り出し、重量を確認した。
 検問の軍人が、カイアファを伴ってイーサンの元に来た。「イーサン上等兵、お前に使者が来ている」
 カイアファはイーサンの前に来た。「お前がイーサン上等兵か。私はカイアファ伍長だ。セト大尉からお前宛に書簡を預かっている」カイアファはイーサンに書簡を差し出した。
 イーサンは書簡を受け取った。書類を見て困惑した。「自分が開けてもいいのですか」カイアファに尋ねた。
 カイアファはうなづいた。
 イーサンは封蝋を手で握って砕き、リボンを解いて手紙を開けた。内容は「021644、正午前より補強工事をする。借りは返せ」と記述してあり、橋塔が印刷してある紙幣とセトのサインが張り付けてある。紙幣をはがし、表と裏を確認した。細工はない。「何か分かります」イーサンはカイアファに手紙を差し出した。
「見ていいのか」カイアファはイーサンに尋ねた。
 イーサンはうなづいた。
 カイアファは手紙に書いてある数字を見て、胸ポケットから手帳を取り出して開いた。書き込んであるアドレスと数字の照合をした。書き込んである番号と、手紙の番号が一致している欄を見た。シティエンドとシティフラットをつなぐ橋塔の電話番号だ。手帳をイーサンに見せて解釈を説明した。
「敵のいる場所に出向いて、大工になれと仰るのですか。他に命令はないのですか」
「イーサン上等兵に渡せと命令を受けただけだ。密命の可能性があるが、単に人員不足で召喚状を出したとも解釈出来る」
 タデウスはイーサンから書簡を奪って眺めた。「スパイでもやれってか、止めておけ」
 イーサンはタデウスから書簡を奪いとった。「上層に相談します」テントを出て、検問を管理している上官の元に向かった。
 カイアファは眉をひそめた。
「貴様は」タデウスはカイアファに尋ねた。
「単なる使者だ。用は終わった、持ち場に戻る」テントを出た。間もなくバイクの音が響いた。バイクの音は遠ざかった。
 タデウスは苦笑いをした。
 イーサンは上官のいるキャンプに入った。
 上官は不審を覚えたが、イーサンはセト大尉からと称して手紙を見せた。手紙を読み、概要を聞くと、情報の入手を理由に使い捨てに出来る軍人を指定したと推測した。イーサンは対応策を求めると、実際に行くと良いと返して橋塔への辞令を出し、検問の任務を解任した。部下に足になるバイクの調達を命令した。
 イーサンは荷物をまとめると用意したバイクに乗り、橋塔へ向かった。
 橋塔はケイン大尉が占領した当時の面影を残していた。バリケードが設置してあり、無数のテントが先に張ってある。
 イーサンは検問の入り口でバイクを止めた。
 見張りが近づいてきた。「何者だ」
「イーサン上等兵だ、ケイン大尉から橋塔の補修があると聞いて参上した」
 見張りは腰に付けているトランシーバーを取った。「イーサンと名乗る者が来ている。階級は上等兵だ。ケイン大尉から命令があったと話しているが、本当か」トランシーバーに話しかけた。
 イーサンは見張りを眺めた。見張りはトランシーバーを耳に当て、ノイズが混じった返答を聞いている。
 見張りは返事を聞き終え、通信を切った。トランシーバーを腰のホルスターに懸架して、イーサンの方を向いた。「ピラト少尉が待っている、一緒に来い」テントに向かった。
「ありがとうございます」イーサンは見張りに礼をし、バイクを押して検問に入った。
 検問内は装備品が散らばっていた。ケインの軍閥の腕章を付けた者とセトの腕章を付けた者が合同で作業をしていた。
 イーサンは布張りの詰め所に向かい、見張りと共に幕を開けて入った。
 詰め所では統括者のピラトが座っていて、軍人達が周囲で書類整理や通信設備の点検をしていた。少尉の章がピラトの胸に付いている。
 見張りはピラトに敬礼をした。「イーサン上等兵を連れてきました」
 ピラトは見張りに敬礼を返した。「ご苦労、出ていいよ」
 見張りはテントから出た。
 イーサンはピラトの不機嫌な表情を見て、体を引き締めた。
「君がね。辺境だから軍紀も割当も適当だから、気を楽にして座っていいよ」ピラトはイーサンに声をかけた。
 イーサンはピラトのぶっきらぼうな口調に戸惑った。
「命令だ、疑わず素直に聞け」
 イーサンは恐る恐る、空いている椅子に座った。机は書類が乱雑に散らばっている。
 ピラトは机に置いてある、イーサンの身上書を手にとって眺めた。セトのサインがしてある。「ケイン大尉とセト大尉の両方から話は来ている。仕事は手伝い程度だから気負いしなくて大丈夫だよ、何も知らない新兵が出しゃばって荒らすと困るんでね。質問は」
 イーサンはうなった。
「相手が不快になる、または相手が怒るんじゃないかとビビっているかい」ピラトはイーサンに尋ねた。
 イーサンは硬直した。
 ピラトは笑った。「何も質問しないのは一番失礼だよ。軍人は死に時を選べないんだ、相手がいる時にすぐ質問しないと、永遠に質問出来なくなる。察してくれ、なんて最悪だからね。出来るうちに質問はする、上官は即座に質問を返す。業務の一環だから気にしなくていいよ」
 イーサンは顔をしかめてうなづき、息を飲んだ。「では何故、対立している軍閥が一緒にいるのですか」
 ピラトはイーサンを見つめた。「別の軍閥と一緒に仕事をするのは初めてかい」
 イーサンは首を振った。戦闘で隣国に赴いていた頃は軍閥はなく、同じ場所にいるなら出身や所属を問わず、一緒に戦っていた。
「戦闘経験の割に、無垢な軍人を連れてきたね」ピラトはアゴに手を当てた。「クリケットの試合している時に観客が乱入すると迷惑だよね。同じ理由だよ」
「試合ですか」
「互いに敵対しているけど、関係のない輩が入るとお互いに困る。戦闘も同じで邪魔な民間人や外野の軍閥が入ると面倒極まりない。嫌なのは互いに同じだから、一緒にやっているんだ」ピラトは流暢な口調で答えた。
 イーサンはうなった。「敵ではないのですか」
「立場ではね。相手に恨みを持っていたら、規則に従って動かない。一種のスポーツに近いね」
 イーサンは眉をひそめてうなった。
 ピラトはイーサンを眺めた。「上等兵、軍閥って何か分かるかい」
「軍内部の敵対関係ですか」
「敵じゃないよ。皆統率する側に就くって野望を持ってる。目標も理想も同じなんだ、手をつないだっていいんだよ」
「理想が同じなのに対立しているんですか」
 ピラトはうなづいた。「手をつなげないのは、政府が用意した椅子に限りがあるからだよ。政府や国民が、誰を椅子に座ればいいか決めるかねている。だから軍人達は軍閥を作ってアピールしているんだ」
 イーサンは眉をひそめた。
「他の勢力が勝手に椅子に座った時、確実に引きずり下ろす方法は何だい」ピラトはイーサンに尋ねた。
「力づくで下ろす、としか」イーサンは曖昧に答えた。
「温いね、座った瞬間に撃ち殺すんだ。隙は理想をかなえた瞬間に出来るからね。特権の椅子は処刑用の椅子でもあるんだ。だから誰も座りたがらない。押し付けるか、音楽が止まらない限り譲り合いは続くんだ」
「理想がかなうのに譲り合うのですか」
「今までなら政府が椅子取りゲームの観戦に飽きて、定員分の椅子を用意してくれる。皆同時に着席して落ち着くんだ」ピラトはテーブルに置いてある書類をイーサンに見せた。
 イーサンは書類の内容を確認した。検問の地図が書き込んである。
「今回は椅子を作るお金がない。定数分の用意してくるか分からないから、困っているんだ」
 イーサンは黙って書類を読んだ。業務の内容が大雑把に書いてある。「実際に座った人はいるのですか」
「座らない人間は追放だからね、定数分あるなら座る以外の選択はないよ」ピラトは立ち上がった。「分からないならいいよ、下っ端の軍人が知ってても意味はないからね。では任務を始める」
「補修ですか」
 ピラトはあきれた。「ちゃんと書類を読みなよ」
「すみません」
「謝るんじゃない。返事は了解、だからね。前線にいた経験はあるんでしょ」ピラトは幕を上げて外に出た。
 イーサンはピラトの言葉にうなった。「了解しました」ピラトに続いた。



 ケインとプレストンはシティエンドの医療施設に入った。
 看護師はケインから事情を聞くとカルマナのいる場所へ案内し、部屋に入った。
 二人も部屋に入った。
 部屋ではカルマナがベッドに横たわっている。
 ケインはドアを閉め、看護師に近づいた。「カルテを持ってきてくれ」
 看護師はうなづき、部屋を出た。
「彼女が棄民街のか」プレストンはケインに尋ねた。
「はい」ケインは簡潔に答えた。「彼女がコンタクターから救助した棄民街の住民です」
「様態は」
 看護師が部屋に入ってきた。
 ケインは看護師からカルテを取り上げ、プレストンに見せた。
 プレストンはカルテを読んだ。カルテには1行目に「薬物の過剰摂取と精神の著しい不安定」と書いてあり、2行目に「妊娠している」と書いてある。「薬漬けにして捨てる、棄民街もシティも底は一緒か」ぼやいた。
「シティでは過剰な薬物接種はしません」
「当然だ、秩序が壊れる。戦争が始まるのだ、秩序が壊れれば弱体するだけだ」
「政府は棄民街で、力による統制を実験しています。実験の結末は」ケインはカルマナに目を向けた「彼女を見れば分かります。棄民街の秩序は壊れています。先は持たず、崩壊も時間の問題です」
「弱っているのに目を付けたと」
「逆です。確実に落ちるから、戦闘は避ける必要がありました。既に決まっている出来事を実行しても、無駄な損害を出すだけです」
「君の意図は分かるが、戦闘は政府の決定事項だ。私の一存で決定出来ん。現場に戻って指揮を執れ。出来るなら損害を増やさぬ立ち回りをしてくれ」プレストンは手を振った。
 ケインは軽く頭を下げ、部屋を出た。
「君も出てくれ」プレストンはカルテを看護師に返した。
 看護師は部屋を出た。
 ドアが閉まった。
 プレストンはカルマナに近づき、額をなでた。体温はあるが意識はない。
「強い者は死に至り、弱い者は逃げ出して生き延びる。進化の基礎だったな」プレストンは部屋の隅に置いてあるソファに座った。軽くうつむき、カルマナを見つめた。
 壁時計の音だけが鳴り響いている。
 プレストンは壁時計に目を向けた。7時50分を示している。変化のない状況に眠気を覚えた。



 ケインは受付に向かった。壁掛け式の電話が受付のカウンターに置いてある。「失礼、電話を貸してくれ」
「はい、構いませんが通常回線です」
「構わない」ケインは受話器を取った。「聞こえるか」
「すみません、お金を入れてください」受付の女性はケインに話しかけた。
 ケインは電話機に目を向けた。コインの投入口がある。苦笑いをしてズボンから財布を取り出し、コインを1枚投入口に入れた。電気が入る音が受話器から響いた。急いで手帳を取り出し、番号を確認した。「021644だ、回線をつないでくれ」
 回線をつないだ音が受話器から聞こえた。
「ケイン大尉だ、管理をしている少尉に変わってくれ」ケインは早口で受話器に話した。
 相手から返答があった。受信機からの音声はこもっている。
 ケインはうなづいた。「すまない、会見をしていた。過ぎた出来事より現在を求める。例の新兵かコンタクターは来たか」
 受話器から音声が流れた。
「今はシティエンドの医療施設にいる。すぐ現場に行く。ふがいなさの補完と修正が業務だ、こなしている限りは手を出すな。ついでに今日やるクリケットの試合を教えてくれ。朝刊を読み忘れてしまってな」ケインは手帳を取り出し、メモを取った。聞き終えると受話器を元の位置に置き、受付に向かった。
 女性はケインの姿を見て、軽く頭を下げた。「ご用件は」
「至急足を用意してくれ」
「足をですか」女性は困惑した表情をした。
 ケインはうなづいた。「棄民街に向かう。民間でも構わん、用意してくれ」
「分かりました」女性は奥にある電話機に向かった。
 ケインは外に出て待機した。
 暫く経った。
 車が施設に隣接している道路に到着し、止まった。
 ドアが開き、軍服を着た運転手がケインの元に来た。「お待ちしました、大尉」助手席のドアに向かい、ドアを開けた。
 ケインは助手席に乗り込み、ドアを閉めた。
 運転手は運転席に入り、ドアを閉めた。
 車は棄民街に向けて動き出した。



 アワンは施設を出て、シティフラットにある喫茶店に入った。
 喫茶店は老人達が集まり、ケインの軍閥が棄民街を壊滅する願望と、壊滅してからの情勢の話で盛り上がっていた。
 老人達はアワンを眺めた。
 アワンは空いているカウンター席に座った。
 ウェイターはアワンに近づいた。「注文は」
「朝食のセットを2ポンド以内でお願い。飲み物は水以外なら何でもいいわ」アワンは財布から紙幣を取り出し、ウェイターに渡した。
 ウェイターは紙幣を受け取り、調理室に向かった。
 アワンは客を見てからマスターの方を向いた。「戦闘で賭けでもしているの」
 マスターは笑った。「棄民街の消滅を望んでいます。観光客や新参者を寄せ付けない原因ですからね」マスターは笑いながら話した。
 ウェイターが2つのプレートをアワンの前に出した。一つのプレートには、味付けした煮豆と揚げ物が乗っている。もう一つのプレートには、薄いトーストと共に黒いスプレッドの瓶とスプーンが乗っていた。
 アワンはスプレッドの瓶を開けてトーストに塗りたくり、口に入れた。臭気が塩の味と共に口に広がった。
 客が話を区切り、アワンの隣りの席に座った。「若いの、夜勤明けか。お仲間ならとっくに朝食を持ってったぞ」
 アワンは話しかけた客に目を向けた。「仲間なんていないわよ」
 客は眉をひそめた。「軍属じゃないのか」
「若い人が皆軍人じゃないわ」アワンは煮豆を突いた。「コンタクターよ」
「棄民街を調べに行くのか」
 アワンは首を振った。
「今調べても意味はねえよ、戦闘が終わってから行きな」
「今だから大事なのよ」アワンは食べ物を口に入れたまま突っかかり、客を手で押した。「食事の邪魔よ」
「棄民街に肩入れでもしているのか」客は苛立ち、アワンに手を出す体勢に入った。アワンはフォークで煮豆を食べている。
 老婆が手をつかんで止めた。「止めな、自分がまだ若いと勘違いしてないかい」
 客は老婆の手を払った。「何だ、奴は棄民街を守りに来てるかも知れないんだ。今のうちに潰してやる」アワンに殴りかかった。
 アワンは素早く客の目にフォークを突きつけた。
 客は動きを止めた。
「一生暗闇で動ける自信があるなら、動きなさい」アワンは客をにらんだ。
 客は舌打ちをして拳を下げ、アワンの隣の席に座った。
「さっき軍が来たって本当なの」アワンはマスターに尋ねた。
「サンドイッチの差し入れを求めに来ましたよ。昨日までは早朝戻りの輸送員が来てたんですが、今日は勤務時で、間もなく戦闘が始まるんで休みが取れないとぼやいてましたよ」
 アワンは食事を止めた。「戦闘が始まるって分かるの」客に尋ねた。
「ケイン大尉は棄民街のひどさに我慢出来なくなったんで、攻めるって聞いている」客は平然と答え、マスターに目を向けた。「マスターの話じゃ、今日に戦闘が始まる。臭い、汚い、役立たずな汚物が溜まったんだ、取り除くのは当然だ」
「取り除いた泥の置き場所は」アワンは客に尋ねた。
「川に捨てるんじゃねえか」客は即答した。
「止めなさい、ドブの臭いで充満するわ」
 客は笑った。
 アワンは食事を食べ始めた。
 客はアワンの勢いのある食べ方を眺めていたが、飽きを覚えて元の席に戻った。
 プレートに乗っている料理はほぼなくなった。
 アワンは薄いコーヒーを飲んで一息つき、カウンターの先を見た。マスターは帳簿を整理している。「近くを通る輸送車の経路に変更はないかしら」
 マスターは作業を止め、アワンに目を向けた。「輸送車って、棄民街行きのですか」
 アワンはうなづいた。
 マスターは奥に向かった。書類を挟んであるスタンドから書類を取り出し、アワンの元に戻った。「あてに出来ませんけどね」書類を差し出した。
 アワンは書類を受け取って内容を読んだ。輸送車のダイヤグラムで、十数分に一度で港湾から橋の検問へ出ている。壁にかけてある歯車式の時計を見た。8時丁度を示している。
「港湾の倉庫街は知っていますか」マスターはアワンに話しかけた。
 アワンはうなづいた。
「今は軍が接収して、政府の管理で使っています。棄民街の住民への生活物資を運んでいるとの話ですがね、実際には棄民を排除する物資を運んでいると聞きます」
「政府は棄民を殺す方針を取っていると」
 マスターはうなづいた。「皆にとって消滅を望んでいる存在です。今まで守っていたのが不思議な位ですよ」
「政府が支給している薬は飲んでる」アワンはマスターに尋ねた。
「接種すると気分がよくなります。話に関係があるのですか」
「顔が青かったから気になっただけよ」アワンは残った料理を食べ終えると立ち上がり、財布から紙幣を出した。紙幣は皿に挟み込み、店を出た。
 客はアワンが出た方を眺めた。「食い逃げか」
「先払いです」マスターは平然と答えた。
 客は苦笑いをした。



 アワンはバイクに乗って湾岸に向かった。
 見張り港湾にある倉庫街の入り口に立っている。軍人達が奥の倉庫街や通路に行き来していて、駐車場は軍用車両と輸送車が混在していた。
 アワンは港湾の入り口から離れて待機した。裾のポケットから時刻表と懐中時計を取り出し、照らし合わせた。時計は8時15分を示している。輸送車が出てくるまで5分もない。
 見張りの動きが慌ただしくなった。
 アワンは懐中時計と時刻表を裾のポケットにしまった。
 見張りは出入り口のバリケードを取り除いた。輸送車が駐車場から動き出し、出入り口から道路に出た。護衛のバイクが後続に2台付いている。
 アワンはバイクのアクセルを踏んだ。バイクは動き出し、輸送車と距離を置いて追跡した。
 輸送車は橋へ続く大通りを抜ける。遠回りに大通りを通過するのは、襲撃を防ぐ狙いがある。
 アワンは同じ方向を行く車を盾にして、輸送車を追跡した。
 輸送車は大通りから橋のふもとに向かう道に入った。倉庫街で人気はない。
 アワンはバイクのタンクに懸架してある銃を手に取った。銃は火薬の反動と蒸気による連射装置が付いている。
 護衛に付いている軍人は、バイクに付いているバックミラーでアワンの姿を確認し、銃を手に取った。
 アワンは軍の動きを察知し、アクセルを踏んだ。バイクが加速し、軍のバイクが射程内に入ったのを確認し、片手で構えて撃った。銃声と蒸気を開放する炸裂音と混じって響き、銃弾を短い間隔で発射する。
 数発の銃弾がタイヤに当たった。タイヤは破裂を起こし、バイクはバランスを失って倒れた。
 輸送車とバイクは橋に入った。
 アワンは銃弾を撃ち尽くしたのを確認し、ラッチにかけて隣にかけてある筒を持った。
 残った軍人は後ろを向いてアワンの姿を認め、タンクに懸架してある拳銃を取ってタイヤを狙った。アワンのバイクは左右に動いていて安定しない。顔をしかめ、銃を撃つ。銃弾は地面に当たって弾く。次々に銃を撃つが、銃弾は当たらずに地面に当たって弾いた。銃の引き金を引いても反応しなくなった。銃を投げ捨てた。
 アワンは軍人が弾切れを起こしたのを確認した。アクセルを踏むと同時に、タンクに懸架してある筒を持ち、フタを開けた。
 軍人はタンクのラッチに懸架してある予備の銃を手に取った。
 アワンは軍人のバイクに近づくと、軍人が銃を構えるよりも早く筒を投げつけた。直後にバイクの速度を落とした。
 筒からオイルがこぼれ、軍人にかかった。アワンは速度を下げた。
 軍人は銃を撃った。銃から飛ぶ火花が軍人の服に触れた。火花は服をぬらしたオイルに火を付け、服は瞬く間に炎上した。軍人は急に発生した熱と酸欠に苦しんだ。バイクは大きく蛇行し、転倒して道路を転がった。
 残りは輸送車だけになった。
 輸送車とアワンのバイクは橋を上がった。
 アワンは輸送車を追い越し、懸架してある銃を手にとってフロントガラスに向けて銃を撃った。輸送車のフロントガラスは割れ、前がヒビで見えなくなった。
 運転手はかがんで破片から身を守り、備え付けてあるトランシーバーを取った。「聞こえるか、何者かが襲ってきた。応援を頼む」震えた声で声を上げ、フロントガラスをたたいて吹き飛ばした。前方から冷たい風が入り込む。
「止まれば命はない。進め」返答が来たが、風でかき消えて聞こえない。
 運転手は渋い表情をし、運転席に備え付けてある拳銃を手に取って前を向いた。バイクにまたがっているアワンの姿が見える。アワンに向けて銃を構えた。
 アワンは運転手が顔を出したのを確認し、銃を撃った。放った銃弾のうち、1発が運転手の頭に当たった。血が運転手の頭から吹き出す。
 運転手はのけぞって倒れた。
 輸送車は、先にある検問に向かって突き進む。
 アワンは先を見た。遠くに検問が見える。バイクの速度を落とし、輸送車の後ろに移動した。
 輸送車は道路を走ったまま、速度を落とさずに検問に突っ込む。
 検問では輸送車を停止する部隊を展開していた。部隊はライフルを構え、一斉に輸送車のタイヤを撃った。銃弾は輸送車のタイヤに当たった。タイヤは破裂するが、速度は落ちない。
 輸送車はバリケードを突破した。大きく浮かんでから着地し、蛇行した。逃げ惑う軍人達を次々とはね、テントにぶつかると横転して止まった。蒸気が吹き出し、爆発した。
 アワンは輸送車に続いて検問に入った。バリケードは道路に並行にずれていて、バイクの幅なら問題なく通過出来た。輸送車がひいた軍人達の死体が転がっていた。
 軍人達は一直線に並び、アワンに向けて一斉にライフルを構えた。イーサンが軍人達に混じっている。
 アワンはバイクを止めて降り、両手を挙げた。
 ピラトはアワンに近づいた。「用件は」
 アワンは何も答えない。
 ピラトはアワンが乗っていたバイクに向かい、中身を見た。ケイン大尉の封蝋<<ふうろう>>がしてある封筒を認め、回収した。「大尉の周りは荒っぽい人材ばっかり集まるね」ぼやいて苦笑いをした。
 軍人がピラトの隣に近づいた。「連行しますか」
「ライオンと素手で格闘する勇気があるならね」ピラトは軍人達の元に移動した。
 軍人は眉をひそめた。
 ピラトはイーサンに近づいた。「イーサン上等兵、君の意見は」
 イーサンは困惑した。「新参者の私がですか」
「新参者だから聞いてるんだよ」
 イーサンはピラトが持っている封筒を見た。ケイン大尉の封蝋がしてある。「ケイン大尉の使者なら、関係者を殺したら軍閥から処罰が飛んできます。戦闘を早める引き金にもなりかねません」
 ピラトはイーサンの言葉にうなった。書類はケイン大尉からの密命だと容易に推測出来る。下手に処分をすると面倒だ。かと言って、検問が壊滅している原因なので、書類を含めて簡単に見逃せない。「体のいい手段はあるかい」イーサンに尋ねた。
 イーサンは前に出た。「決闘で決めます。勝てば事故として見逃し、負ければ引き下がってもらいます」
 隣にいる軍人はイーサンの言葉に眉をひそめた。「決闘か、都合がいい話だ」
 イーサンは転がっているライフルを拾い、細かく調べ始めた。
「面倒な責任の押し付け合いになるから、最初から事故とみなして帰ってもらう」ピラトはイーサンの手を抑えた。「大尉からの命令は確か、補修だって言ってたっけね。壊した原因を取り除いてくれるなら、いいよ」
「原因を、ですか」
「仕留める自信がないなら、代わりにやるよ」ピラトはイーサンに尋ねた。
「少尉が相手をするまでもありません」イーサンはライフルを持ったままアワンに近づいた。
「新兵の案を飲むんですか」軍人はピラトに尋ねた。
「我々は邪魔者を排除するのが仕事なんだ。確実な案を受け入れただけだよ。他にあるなら提案してよ」
 軍人はピラトの反論に黙った。
「壊し屋のお姉さん、私はピラト少尉だ。検問の統括をしている。検問を壊したワビ代わりに一つ、ゲームに付き合ってくれないか」ピラトはアワンに声をかけた。
「白々しいわね、選択なんて元からないんでしょ」アワンはピラトに目を向けた。隣にイーサンがいる。
「分かってるならいいよ、ルールは簡単だ」ピラトはイーサンの隣に来て、肩を軽くたたいた。「イーサン上等兵と決闘をするんだ。勝ったら素通りしていいけど、負けたら帰ってくれないか」
「死んだら棺桶に入れてくれるんでしょうね」
「教会を指定してくれるならね」
「宛先なら役場に聞くといいわ」
「問い合わせるのに必要だから聞いておくよ、名前と職業は」
「アワン、コンタクターよ」
「変わった名前だね」ピラトは腰のホルスターから拳銃を取り、残弾を確認してアワンの足元に投げた。
「インチキは」
 ピラトは予備の銃を手に取り、アワンに向けて構えた。「確かめていいよ」
 アワンは銃を取り、チャンバーを確かめた。銃弾は隙間なく装填してある。「立会人は」
「全員だ」ピラトは銃を下すと軍人達の方を向き、コインを取り出した。「イーサン上等兵と、民間人とで決闘をする。終了まで一歩でも動くな、動いたら反逆とみなす。互いに不審な動きがあったら即殺せ」軍人達に大声で指示を出した。
 軍人達はアワンを囲み、ライフルを構えた。
 イーサンは前に出てアワンと正対した。
 ピラトは二人の間に入り、手に持っているコインを見せた。「コインが落した時が開始だ」コインを垂直に投げて下がった。
 イーサンとアワンはコインを注視した。コインは宙を舞い、地面に落ちる。
 コインが地面に落ちた瞬間、銃声が響いた。
 軍人達は状況に驚き、アワンはぼう然としていた。
 アワンが持っていた銃が地面に転がっていた。
 イーサンが構えているライフルから煙が出ている。「以前に話した、たった一つの友達だ。付き合いが長いんだ」
 ピラトは状況を見てうなった。
「信頼しがいがある友達ね」アワンは渋い表情をした。「荷物を取る時間と足が必要だけど、いい」
「時間はいいけど、足は出さない。余裕がないんだ。歩いてタクシーでも拾ってくれ」ピラトはアワンに近づき、書類を差し出した。「残念だったね、君の冒険は終わりだ」
 アワンはピラトから書類を勢いよくひったくり、転倒したバイクに近づき、バッグを切り離して持った。バッグは縛っていたベルトが破損していて、中身が見える。バッグを閉じて検問から去った。
 軍人の一人はアワンに向かってライフルを構えた。
 ピラトはライフルを構えた軍人に銃を突きつけた。軍人は銃口とピラトを見て、顔をしかめた。「事故死した部下の仲間入りを希望かい」
 軍人はライフルを下した。
 イーサンはきびすを返した。
 ピラトはイーサンに近づいた。「次は狙撃手に推薦しておくよ、休みな。調査委員会には先日の襲撃事件の残党だと報告しておく」
 イーサンは頭を下げ、奥に向かった。奥は輸送車の影響がない。
「事故処理をしろ」ピラトは軍人達に指示を出した。懐中時計を取り出し、時刻を確認した。8時45分を示している。
 軍人達は復旧作業に入った。
 検問の奥からバイクのエンジン音が響いた。
 ピラト達はエンジン音がした方を向いた。
 イーサンが乗ったバイクが検問を抜ける。
 軍人はイーサンを追いかけるが、バイクの速度に追いつけない。
 ピラトは表情を変えずにバイクが抜けた方向を見ていた。
 バイクは検問を抜けた。
 軍人の一人がピラトの元に駆け付けてきた。「新兵が、バイクを持ち出して」あえぎながら説明した。
「見たよ、報告しなくていい」ピラトは苦笑いをした。「追跡するな、復旧が先だ」
「何を仰るのですか」軍人はピラトに食ってかかった。
「彼は外から来たんだよ、下手に関われば責任がのしかかるんだ。無視して処理は別の部隊に任せればいい」ピラトは部下に強く当たり、奥に向かった。
 軍人はピラトの言葉に疑念を持ちつつ、持ち場に戻った。



 イーサンはアワンの姿を確認した。アワンは道路の端を歩いていた。倒した軍人が転がっていて、先にはバイクが転がっている。
 バイクはUターンしてアワンの隣で止まった。
 アワンは立ち止まった。
「行先は」イーサンはアワンに尋ねた。
「戻って失敗の報告をするだけよ」アワンは顔をしかめた。「同情する気」
 イーサンは首を振った。「書類の届け先は」
「棄民街よ」アワンは吐き捨てる調子で答えた。
「乗れ」イーサンはバイクの後部を指した。
 アワンは眉をひそめた。
「ケイン大尉から連絡を受けて橋塔に来た。君を届ける役を与えたんだ」
 アワンは気難しい表情でイーサンを眺めた。
「大尉は事態を想定していたんだ、何かあるなら大尉に言ってくれ」
 アワンはイーサンのバイクの後ろに乗った。「何かあったらたたき落すわよ」
 イーサンはアクセルを踏んだ。バイクは急加速して検問へ向かった。
 検問は復旧作業をしていた。
 イーサンは軍人や破損した設備の隙間を縫って検問を突破した。
 軍人達はアワンを乗せたイーサンの姿を見て、銃を構えたがバイクの動きは速く、銃を撃つ前に通り過ぎた。
 ピラトはバイクを眺めていた。
「任務放棄です、追跡の命令を」軍人はピラトに命令をせかした。
「橋塔の補修なんて、言いえて妙だね」
 軍人はピラトの言葉に眉をひそめた。
「椅子取りゲームの音楽を止めに戦地に行ったんだ、追跡しなくても死ぬよ」ピラトは苦笑いをした。「検問を離れた時点で我々の管轄ではなくなった。まずは通信装置を直して連絡をするんだ」
 軍人は納得出来ない表情をした。「連絡先は」
「管轄しているケイン大尉の元だ。シティエンドか棄民街か、近い場所は他にないよ」ピラトはあくびをして、バスが倒れた場所に向かった。
 軍人はピラトの態度にあきれた。





 ナフの乗った車は、シティエンドから棄民街に至る道にある検問に入った。
 車が止まり、軍人達が集まってきた。
 助手席の窓が開き、ナフが腕を窓から出し、身分証明書を出した。「ナフ少尉だ」
 作業をしている軍人達は身分証明書を見ると、ナフを見て軽く礼をした。身分証明書はナフに返した。
「ナフ少尉だ、すぐに通せ」ナフから指示を受けた軍人は声を上げた。
 軍人達は一斉にナフの乗っている車から離れた。
 ナフは窓を閉め、車を動かした。
 車は森に入った。森は施設跡に軍人達が集まり、テントが間を開けて設営してある。森を通過して棄民街に入った。入り口の検問を通過し、倉庫に停車した。
 ナフは車から降りた。
 軍人達が近づき、車の臨検に入った。
 ナフは作業をしている軍人に近づいた。「統括者はいるか」
「奥にいます」軍人はナフを奥にある統括者のいる部屋まで案内した。通路は軍人達が忙しく行き交っている。
 軍人はドアをたたいた。「セト大尉、ナフ少尉が来ています。入ります」
「入れ」
 軍人はドアを開けた。
 セトがニムロドと戦闘時の配備と進軍について話をしていた。「ナフ、寄り道か」
「状況確認の偵察と、使いです」書類を取り出し、テーブルに置いた。封蝋はない。
 セトは書類の内容を確認した。ナフは内容をのぞき見た。撤退の文字がペンで打ち消してあり、「あなたとの約束を果たすまで見捨てない」と署名に続いて書いてある。
 ニムロドは文を見て、表情が一瞬、強張った。「写しを取ってもいいですか」
「構わん」セトはニムロドに書類を渡した。
 ニムロドは書類と同じ大きさの紙を取り、隅にある複写機を起動した。
「ケイン大尉は随分迷っていると見える」セトはテーブルから1枚の紙を取り、ナフに差し出した。
 ナフは紙に書いてある内容を軽く眺め、セトに返した。「準備に難があったのでしょうか」
「ケイン大尉は慎重だ、準備が出来ているから攻めを決める」セトはテーブルに向かい、メモを書いた。書き終えるとニムロドに差し出した。
 ニムロドは書類を受け取り、代わりにセトに写し終えた書類を返して内容を確認した。
 ナフはニムロドの持っているメモをのぞき込んだ。「戦闘員と混ぜるのか」ニムロドに尋ねた。
「潜在の適性はある。住処を侵しに来たと知れば全力で守る」
「薬物で盲目も同然で、戦闘は極限に至ります。敵味方の区別も出来ない、単純な殺し合いです」
「自分の古巣を守る手段を、実践で教えてやる必要がある」
 ニムロドはセトの言葉にあきれを覚えた。「了解しました。但し予想通りに動くかは不明です。動けば幸運、程度に捉えてください」ニムロドは部屋を出た。
「状況は」
「地下施設の連中は動きますが、問題は住居区域です。平和主義者が多いですから、たき付けないとですかね」
「手段は」
「人は極限に至れば否応なく動きます。住居区域の輩は前線で働かないと困ります」
 セトは書類の1枚を手に取り、眉間にシワを寄せた。
「我々の評価は侵攻の成否を問わずに上がります。作戦に問題はありません」
 セトは気難しい表情をし、テーブルの端に置いてある懐中時計に目を向けた。時刻は8時20分を示している。部屋を出た。
 ナフはテーブルに置いてある見取り図に目を向けた。棄民街はシティエンドに向かう出入り口が3ヶ所、川を挟んでシティアークへ向かう出入り口が2ヶ所ある。



 ニムロドは移動用の車に乗り、住居区域に向かった。
 住居区域の広場では軍人達が住民を集めて説明していた。達軍人達がは力なく突っ立っている住民達を囲って監視していた。
 ニムロドは住民の動きを見て、気難しい表情をした。
 軍人は一人の年老いた男の住民を呼び寄せ、武器を渡した。男は武器を手に取ると、軍人に向けた。
 住民達は一斉に沸き立った。
 別の軍人は即座に男の頭に銃を突きつけた。
 男は眉間にシワを寄せた。
 軍人は男を突き放し、足を撃った。男の足から血が吹き出す。
 男は痛みで悶えた。
 軍人達は更に男を取り押さえ、両肩を持って支えて住民達に見せつけた。「歯向かえば怪我では済まなくなる」
 別の軍人が男の頭に銃を突きつけた。直後に何者かが軍人に銃を突きつけた。何者が突きつけたのか、目で銃の持ち主を追った。
 ニムロドが銃を突きつけている。「何をしている」軍人に尋ねた。
「従わないんだ、見せしめが必要だ」
 ニムロドは住民達を見た。住民達はぼう然とした状態でニムロド達を見ている。軍人が取り押さえている男に銃を突きつけた。「血を望むか」住民に大声で尋ねた。
 民間人は誰も答えない。
「血を望んでいるかと聞いている。答えろ」
 住民達は誰も答えない。男の足から流れている血を見て息が荒く、目つきが虚ろになっている。
 ニムロドは住民達の反応を見て銃を下ろした。「下ろして早く手当をしろ」住民達に目を向けた。住民は皆、血を見て闘争本能がにじみ出始めている。普段から投与している薬物の影響だ。一方で自我を失うのを恐れ、理性で抑えて震えていた。
 軍人達は男を壇上から下げた。
 ニムロドは前に出た。「皆、聞いてくれ」大声を出した。
 民間人も軍人も、一斉にニムロドの方を向いた。
「お前達の居場所を奪う輩が攻めてくる。男は殺し、女は犯す。お前達より野蛮なオオカミ達だ。我々は君達の盾になり、率先して守る。守るが、人数があまりに不足している」ニムロドは頭を下げた。「済まない、一緒に戦ってくれ」
 住民の一人は地面に転がっている石をつかんで投げた。石はニムロドの前に落ちた。石を投げた住民を見て、住民達が次々と石をつかんでは投げ飛ばす。石はニムロド達に当たった。
 軍人達は住民達に向けて銃を構えた。
 ニムロドは軍人の前に手をかざした。
「何をしているんです」軍人はニムロドに尋ねた。
 軍人達はニムロドの行動に苛立ちを覚えたが、銃を下げた。
 住民達はニムロド達が無反応に耐えているのと見て、石を投げるのを止めた。
 ニムロドは住民達に目を向けた。「今は耐えてくれ、耐えた先に幸福が待っている」
 住民達は黙ってニムロドの話を聞いていた。
 軍人達は住民達の元に向かい、話しかけた。
 住民達は困惑していたが抵抗はせず、軍人達の説明に従った。
 ニムロドは話を終え、隣にいる軍人に近づいた。「状況は他も同じか」
「把握していませんが、同じかと」
「エノス少尉は今、何をしている」
「地下です」
「分かった、話に行く」ニムロドは壇上から降り、住居区域から外れた施設を通って地下通路に出た。
 地下通路は軍人も民間人も関係なく動いていた。アナウンスが天井のスピーカーから響いているが、足音とノイズで相殺していた。
 ニムロドは地下通路を通り、地下に出た。
 地下では住民達が軍人達と協力し、忙しく動いていた。廊下や作業場には物資が積み重なっている。
 ニムロドは近くにいる軍人に近づいた。「エノス少尉はいるか」
 軍人はうなづき、集会所まで案内した。
 広場では武装した若者達と軍が一緒に集まっていた。
「アベルの同胞か、住居区域と違うな」
「逃げる準備をしているだけですよ」軍人は笑みを浮かべた。
 ニムロドは集会所を通過し、管理室の前に来た。結露が出ている頑丈な鉄扉がある。
 軍人は扉をたたいた。「ニムロド少尉を連れてきました、入ります」扉の取っ手に手をかけ、引っ張るが動かない。何が起きたのかと困惑した。
 扉は勝手に開いた。先にはエノスが立っていた。「待っていた、入ってくれ」
 ニムロドはエノスの案内で部屋に入った。
 部屋ではアベルが切れかけた電灯の元で、中央にあるテーブルにぶちまけた書類を眺めていた。
 ケインの軍閥はかつて棄民街を管理していた。当人達は住民を蔑ろに扱わず、自立への支援や養育をしていた。養育には軍事も含んでおり、志願者には訓練も課していた。
 現在棄民街を占領、管理しているセトの軍閥は住民を虐げる体制を採っている。住民に恨みとゆがんだ自己認識を与え、ケインが積み上げた教養や自立意識を破壊した。
 人々は次第に順応したが、ケインの軍閥に属していた軍人達は住民達の一部と党を組み、自立する機会を伺って地下で活動した。
 アベルはケインの直弟子で住民側を統制していた。エノスはケインの部下であったが、セトの占領時に撤退せず、地下の管理を引き継いだ。アベルとエノスを中心とした組織は他の軍閥とつながりを持ち、蜂起と解放の機会を伺っていた。
 エノスはニムロドの方を向いた。「少尉、用件は概ね把握している」
 ニムロドは渋い表情をした。「分かっているなら、来る意味はなかったな」
 アベルはニムロドの方を向いた。「知っているだけで詳細は分からない。状況を教えてくれ」
 ニムロドはアベルにメモを見せた。
 アベルは塗り潰してある文章と共に「あなたとの約束を果たすまで見捨てない」との記述を見て、気難しい表情をした。「信じる者を救う、か。出来上がっているな」壁にかけてある時計に目を向けた。8時40分を示している。「他には」
 ニムロドは首を振った。
「保護しに来るか攻めに来るか、分かるか」
 ニムロドは首を振った。
 アベルは渋い表情をした。「戦闘時に接触してみるしかないな」
「敵に近づくと」ニムロドはわずかにうつむいた。「同志を捨てるのか」
 アベルはエノスの表情を見て、笑みを浮かべた。「軍閥同志の戦闘は本気で来ない。接触は分の悪い賭けではないと認識している。と言うより、アイディアが他にない」
「徹底抗戦は」ニムロドは声を上げた。
 アベルは首を振った。「俺達の同志はケイン大尉を崇拝している。一戦交える意欲はない」
 ニムロドはうなった。
「逃げるにしてもだ、避難経路を知っているのは相手だけだ。他に手段はないんだ」アベルはドアに向かい、ノブに手をかけた。蒸気仕掛けのカンヌキがかかっている。カンヌキをずらしてドアを開け、部屋から出た。
「本当に、他にないのか」
「四方八方から囲い込みを受けているんだ、説得して逃げる以外に何もない」
 ニムロドはエノスの答えに渋い表情をした。
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