第1話

文字数 1,999文字

「こんぺいとうみたいだね」
 今私が食べているのは間違いなくみかんで、それも、こたつでみかん、みたいなベタなやつ。三が日特有ののっぺりした刺激の無い一日。箱根駅伝も見終わったけれど頭は溶けていて、優勝したのがどこだったかを辛うじて覚えているくらいだ。
「これ、みかんだけど」
 わかってるよと笑ったみちるは、リモコンを手にチャンネルを回した。
「私、こんぺいとうは噛み砕かずに舐める派なんだけど」
「今テレビでこんぺいとうの話してた?」
「ううん。してない」
 気に入った番組が無かったのか、局を一周してまたさっきと同じチャンネル。みちるは、こたつの真ん中に積んであるみかんをひとつ手に取って皮をむき始めた。こたつに篭る正月の気怠い雰囲気も何だか心地がよく、私はそのまま、むしったみかんをひとかけ頬張った。
「口の中で転がしてると、だんだんとげが無くなってって、まあるくなってくの。でもずっと甘い。とげは、実は最初から少しまるくて、甘くて、ずっと優しい。」
 眠りに落ちる前の子供みたいに同じ言葉を何度も繰り返すみちるが一瞬、幼い頃の姿に重なった。
「そういやみちる、昔からこんぺいとう好きだったね」
「うん。歯に悪いからってチョコとかキャラメルとかそういうお菓子買ってもらえなかったんだけど、和菓子は良いって謎のルールがあってさ」
 みかんの皮をむき終わったみちるが、ひとかけら頬張った。少し酸っぱかったのか、顔のパーツをきゅっと真ん中に寄せている。
「だから、そういうのの代わりにこんぺいとうだった」
 駄菓子屋で売っている、カップに入って一つ二十円くらいのやつから、時々、綺麗なかんかんに入ったやつ。みちるのおやつは決まって、こんぺいとうだった。駄菓子屋で同じカップのやつを買っても、私はすぐぱりぱりぽりぽり音をさせているのに、みちるのこんぺいとうは何時まで経っても減らなくて、音はなんにも聞こえてこなかった。
「あの日の朝も、留守番だからって、その代わりに特別だよってかんかんのやつくれたの」
 『あの日』は、わたしとみちるにとって多分一つしかない。こんぺいとうと、あの日。
「すごく甘くて、美味しくて、とげとげがまあるくて。遥にもあげたくないくらいおいしくて、喧嘩した」
「そんなことあったっけ」
「あったよ」
 あの日を忘れたことなんて、一度も無い。けれど私は、とぼけたふりでまたみかんをひとつ口に頬張った。私のみかんは、当たりで甘い。
「一日五つまでだよって言われてたのに、六つ食べちゃって。ママに叱られるって泣いてたらさ、遥、それまでひとつぶももらえないって拗ねてたのに、『なかないの!わたしがたべちゃったんだよ!』って言ってくれた」
「そんな事言ったけ」
「言ったよ」
 みちるが、私を見ながらくすくす笑った。そしていつも、この話はここまでの筈だった。けれど、みちるはごまかすようにテレビの話をするのではなく、じっと、手の中のみかんを見ていた。
「でも結局、ママもパパも帰ってこなかったから。怒られなかったんだよね」
 あの日。みちるの両親が出かけた日。二人は、帰ってこなかった。出先で事故にあってそれっきり。二度と帰っては来なかった。みちるは、叱られなかった。
「よくわかんなくて、ずーっと、涙も出なくてさ。こんぺいとうのことであんなに泣いてたのに」
 知らせがあって、お母さんたちとみちると一緒に病院に行って。みちるのパパとママはもう帰ってこないのだと話しながら泣き崩れるお母さんと裏腹に、みちるはずっと、泣かなかった。帰って来てからも、お通夜もお葬式も終わってからもずっと、みちるは泣かなかった。
「お葬式が終わって、それでも泣けなくて。私、なんかおかしくなっちゃったのかと思った。パパもママも死んじゃったのに、悲しいとかそういうの、全然分からなかった」
「・・・みちるは、ちゃんと泣いたよ」
「やっぱり、覚えてるんじゃん」
「・・・みちるこそ、覚えてたんだ」
 今迄、只の一度もこの先の話をしたことはなかったから。
「忘れるわけないよ」
 真っ直ぐに私を見据えて、みちるは笑った。あの時みちるは、葬儀が終わってからもずっと、両親の写真の前に座っていて、でもどこにもいないみたいだった。手にはずっとあのかんかんがあったのに、こんぺいとうは一つだって減っていなかった。その姿に何だかかっとなって、怒ればいい、怒って泣けばいい、そう思って、私はみちるの手の中から綺麗なかんかんを奪い取って、目の前でそれをぼりぼり、全部食べてやった。怒って、泣きわめけばいいと思った。でも、みちるは、笑った。お腹を抱えるくらいに笑って、それからわんわん泣いた。
「遥は、とげとげしてるのに、まあるくて、ずっと甘い」
「褒められてんの?」
「まぁつまり今年もね、三が日に家族とこたつでみかんができて嬉しいってことだよ、お姉ちゃん」
 今日は、妹と過ごす十三回目の三が日だった。
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