暗闘

文字数 2,123文字

 ジリリリリン。

 朝6時。けたたましく鳴る目覚ましを止め、半身を起こして伸びをする。いつも通りの朝の光景。だがここ最近、そんなありふれた光景にちょっとした異変が起きている。

 扇風機がONになっているのだ。

 寝る前にセットした記憶はない。私はそれほど暑がりでもないし、どうしても暑い時はエアコンをつけてから寝ることが多い。扇風機は部屋に一台だけ置いてあるが、全くと言っていいほど出番はないというのが実情だ。
 その使っていない扇風機が、ここ数日、起きると必ず回っている。それは必ず、布団が敷いてある左側、部屋の扉付近にそっと置かれ、そこから私の胴体に向かって、斜めに風を吹き付けている。風力は中、首は回さず、そよ風モードやタイマーなども一切ついていない。
 不思議な現象ではあるが、正直、私自身はこのことで大した被害は被っていない。少々だるさがあるといえばあるが、体調を崩したり、これが元で仕事を休んだりというほどではないのだ。
 恐らく家族━━妻か娘のどちらかがやったんだろう。だが、面と向かって問いただすようなことでもない気がする。しかしよく分からないのは、二人ともそれぞれ自分の部屋で寝ていて、そこには各自の扇風機もエアコンもあるということだ。鍵をかけていないとはいえ、眠っている私の部屋にわざわざ忍び込む理由も、扇風機をわざわざつける理由も、彼女たちには一切ありはしないのだ。

 心に引っかかりを覚えながら、愚直に仕事をこなしている扇風機を止めて一日をスタートさせる。顔を洗い、朝食を食べ、歯を磨いて、出勤する。扇風機のことをしばし忘れ去った昼食時、近所の定食屋で、雑談まじりに同僚とこんな話をした。

「小さい頃、扇風機をつけたままで寝ると死ぬって脅かされたっけ」
「へえ。そんなこと、言われたんだ」
「おまえは言われなかったのか。子供の頃はよく言われていたんだよ、回したままで寝ると低体温になって死んじゃうってな」
「……実際に死ぬような事件があったのか?」
「いや、大人になって知ったんだが、酔っているとか持病があるとかじゃない限り、まず死ぬことはないらしい」
「……ふうん」
「でも、おなかを冷やすことなんかはありそうだから、それを戒めるために作ったでっち上げだったんじゃないかな」
「なるほどねぇ……」

 夜。この話を頭の片隅に留めていた私は、暗闇の中、眠気をこらえて目を開けていた。理由はもちろん、毎晩、扇風機を回す者の正体を突き止めるためだ。

 日付が変わり、思わずウトウトとし始めた頃、暗闇に慣れた目にそろそろと少しずつだが、部屋の扉が開くのが見えた。扉を開いた「影」はゆっくりと音を立てずに私の部屋に侵入すると、恐らくいつもやっているように所定の位置に扇風機を移動させ、手早くスイッチを押して立ち去った。

 しっかりと犯人像を捉えた私は、そのまま1時間ほど布団の中でいろいろと思案する。そして考えがまとまった後、あることをするために足音を立てずそっと部屋から抜け出した。

 朝。

「ねえ。パパ、ママ、どうしたの? 今日、なんか様子が変だよ。ふたりとも黙りこくっちゃって」
「ん? いや、何でもないよ」
「ええ、何でもないわ。ひかりちゃん、今日、日直でしょう? ご飯、食べたなら、早く学校行きなさい」
「はーい。じゃあ、いってきまーす」
「…………」
「…………」

 妻は私と同年代。ということは昨日の同僚の話━━扇風機をつけて寝ると死ぬ、という昔のうわさを彼女も知っている可能性が高い。そんな妻が、動機はよく分からないが、夫である私をできるだけ安全に殺そうとするならどうするだろうか。その知識を利用して、深夜、私の部屋に忍び込んで扇風機を回し、自身が疑われないように殺害を図るのではないだろうか。昨日、同僚は酔っているか、体が弱くない限り、死ぬことはないと言っていた。だが、私は普段、晩酌をするのが日課なのだ。妻は恐らく、普通の人ならば死ぬことはないということも知っているのだろう。

 もし、殺害に成功して疑われることがあっても、そんな知識はありませんでしたと言えば問題はない。いや、それよりも、夫は夜中、扇風機をつけて寝る癖がありましたと証言したほうがいい。それさえすれば、私の死は不運な事故として片付けられ、妻の殺意は永久に暴かれることはなくなる。万が一、妻が扇風機を付けたという証拠が見つかっても、それほど問題ではない。私の部屋のものとはいえ、わが家の扇風機に妻の指紋が付いているのはそれほど不自然なことではないはずだから。

 だが、そちらがそういう手を使うならばこっちにも手はある。私は警告の意味を込めて、昨晩、妻の部屋に忍び込み、全く同じこと━━扇風機を彼女に向けて回してやった。妻は心臓があまり強くない。私だって、同じ方法を使うことは十分、可能なのだ。

 今夜、妻がどう出るか。やめるのならそれでいい。こっちもやめてやる。だが、あくまでも扇風機をつけ続けるのならば、こちらも全く同じことをやって返すだけだ。

 生死をかけた暗闘。妻も恐らくそう思っていることだろう。そんな思いをお互い心中に抱え、学校へ行く娘を見送った妻と私は、差し向かいで朝食を黙々と食べ続けていた。
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