第1話

文字数 6,850文字

 
-CATCH MY EYES-

          *

「それでは、確かにお届けしたのでー」
「はぁっ?! ちょっと待って――!」

 ――と叫んでも、

時はすでに手遅れだったらしい。

 焦って投げた制止の声も空しく、玄関は動けず固まっていたゆかりを置き去りにして、無常なくらい静かに扉を閉めた。

 去ってく配達人とスローモーションな扉を、へたりこんだ床から見上げてるしか出来なかった。そんな自分に呆然となる。

 用を終えた途端遠ざかってゆく向こう側の足音が、あまりに無責任すぎて、今が自分じゃないどこか別の世界に起こった出来事にしか思えない。

 やがて、マンションは完全に静まり返った。完全に静まり返った自宅のマンション。
 だけどたった数分間のうちに、ここはもう違和感だらけの異空間に変わってしまった。

 なんなんだ、一体何がなんなんだ。もう何がなんだかゆかりがさっぱりわからない。

 力をなくし、俯けた視界の辿ったその先では、ぎゅっとなったゆかりの手が膝小僧の隣でめいっぱい、グーを握り締めていた。
 端から、何かがこちらを覗いている。そいつを右手ごとゆっくり持ち上げて、手のひらを恐る恐るで開いてみる。

「……”控え”、代わりってやつ?」

 中からはくしゃくしゃになった紙切れが無残な姿を晒した。

 手の中で小さくカサリと音を立てる紙切れを、客観的に見ている自分がいる。
 そのことのほうが、どれだけ現実感があるかしれなかった。



/





 自分の膝小僧を間近にしながら、ソファの上に体操座りでじっと丸くなる。
 いつもの、ゆかりしか居ない部屋だというのに、未だ居心地の悪さが続いていた。

 考えてしまうのは、同じことばかり。

 チラリと見た部屋の隅にあるデジタル時計は、夜中もだいぶいい時間を指し示している。



 あの後、何かを考えるをしたくなかったゆかりは、それでもなんとか玄関に鍵をかけ、荷物を入ってすぐのトコに突っ込んで。
 とりあえず自分も部屋へ戻ろうと、リビングに足を向けた。
 しかし両足は、呼び鈴に反応した時とは比べようもない程重くなっていて、一歩、また一歩と進むにつれ全身にのしかかっている気だるさに似た何かを自覚させられるたびに、結局は頭がその原因となった出来事に戻ろうとしてしまうわけだ。


「はぁ~……」

 部屋の中に、ゆかりのずっしりとした溜息がとけてゆく。あ、なんかそう考えるともっと気が重くなってきた。だってあと何回しちゃうかわかんないし、気がつけば出ている溜息なんて、無意識なんだから止めようがない。その分の意識は、正直言ってもっと別なとこに裂くべきだね。特に今は。

「……はぁ~……」

 ……あ。

 時計が、固まっているゆかりを置いてまた1つ、数字を増やした。

 ――…よし、整理をしよう。

 ずっとこんな気持ちを引きずってても何も楽しいことはない。そうと決めると、ゆかりはこの短時間で起こった嵐をはじめから思い起こしてみることにした。




 ゆかりはまず、ゆっくりソファに寝そべって、「お疲れさま、ゆかりん」って一日の労を労うために狩りに出ていた。
 自宅でゴロゴロしながらレベル上げに勤しむ。毎日この時間だけは誰にも侵害されない、聖域と言っても過言ではない貴重なひと時を過ごしていたはずなのだ。
 それを土足で踏みにじるかのように破ったのは、23時を廻ったインターホン。――あの配達人だ。

 時間が時間だったから、少しイラッとしながらも何事だろうかと不安になりつつ、無視するにもずっとドアの前に立たれでもしたらもっと気持ちが悪い。
 ひとまず誰が来たんだか確認しようと思って、足音を消して廊下を進み、ドアフォンを使わず直接覗き穴から表を窺って、そこにいる人物が不審者ではないことを確認してみてやっとホッとする事ができた。――のも束の間。

「夜分にすみません。いやー、でもこれで助かった」

 開けた扉の向こうから、対面した途端ゆかり以上に安堵していると言わんばかりに盛大な溜息をつかれてしまい、一瞬何があったんだろうか、なんて、興味から気が緩んでしまってたんだと思う。

「こんな時間に何かご用ですか」――そうけん制をかけておけば。あの時に1クッション置くだけでも何か違ったんじゃないかと、今でも悔やまれて仕様がない。

「夜間指定のお届けものです」

 まるで虚をつくように、そいつは言うが早いかとんでもないものをゆかりへ渡してきた。
 ずっしりと重い”ソレ”にびっくりしたのと、腕力なんてあるはずない華奢なゆかりには両手でも抱えきれるはずもないのとで、そのままどさりと玄関口に一緒になってヘタリと座り込んでしまう。――この時点でもう、頭の中は完全にパニックになっていた。

「今日はもう女性陣先に帰っちゃって、かといって野郎がこんな時間に家までついてくわけにもいかないし。いやー、冗談はさておき居てくれて良かった。携帯かけても繋がんなかったから」――だって狩りに集中してましたもん。

「イチかバチかだったけど、ホントに。申し訳ないんだけど今晩だけお願いできるかな。本人もうわ言でずっとあなたの名前呼んでるしさ。って、半分寝てるようなもんだから同じ事か。
なんかあったら一応ココ、知ってると思うけど住所とか諸々書いといたから。ちなみに本人も了承済み。ね。助けると思ってさ。おい、着いたぞー? ……ま、いっか。
それでは、確かにお届けしたのでー」




 ――…普通さぁ、呆然としてる女の子にぜんぶうっちゃるとか、ありえなくない?

「もぉーっ何考えてんだよ、みっしー!」

 膝上に戻ってきたゆかりの悲痛な叫びに、ガチャリという無機質な音が被る。

「洗面所ありがとうございました、ゆかりさん♪」

 部屋の中に、使い慣れてたはずの石鹸の甘い香りと少し冷えた廊下の空気が背後で開いたドアの置くから流れ込んで。
 少しだけ、心臓に悪かった。










 文字通りさっぱりしてきたらしい”ソレ”こと奈々ちゃんは、悶々とするゆかりとは正反対の明るい声で感謝をのたまった。
 ちゃんと聞こえてはいたが、なんとなくそういう気になれなくてじっと背を向け続ける。
 するとゆかりを、そいつはソファの端からぐるり回り込んでくると、そのままちょこんと床に座って、じぃっと窺うように見上げてきやがった。無視してやろうかとも思ったが、何を考えてるんだか、奈々ちゃんはこっちを見続けている気配はするのだが、一言も発しようとはしやがらない。
 ……こうなると、流石にただ知らないフリを続けるにも気まずい。

「そう……それはよかったね、奈々ちゃん」

 結局耐え切れず、けれど視線を向けるまでするのはなんだか負けなカンジがしたゆかりは思い切り皮肉った台詞のみをぶつけてやったのだが、ソレを聞いたクセしてコイツは、

「はい♪ おかげ様で少しは抜けてくれました」

 と、赤い頬に満面の笑みを浮かべて、笑った。

 真夜中ではないにせよ、夜も深い時間に押しかけといてなにかましてくれてんだろう。
 コイツは……ほんとにこの状況を分かってるんだろうか?逆に不安になってくる。
「どんだけ飲んだの?」
「ええと……いっぱい?」
 訂正。物凄く不安だ。心なしか身体がふわふわ揺れてるもん。絶対抜けてないだろう。

 配達人――私と、そして目の前でふにゃりと笑うコイツの共通のプロデューサーであるみっしーは、ああ言っていたけれど。
 見るからに打ち上げ後なんだろうなってことは、ほろ酔い加減のみっしーを目の当たりにした瞬間理解したけれど、それでもまさかな話だ。だってその打ち上げにはゆかり、全然関係ないし、いくら他に送れる女の子がいなくなっちゃったからって、なんでゆかりだったんだという話だ。

「奈々ちゃんは、どうしてここへ来たの?」
 ダメ元で本人に聞いてみる。みっしーの口ぶりだと、本人がゆかりへどうこうと話をしたから、あの酔っ払いが鵜呑みにしてご丁寧にここまで運んできたんだってことになる。
 っていうか、ちょっと仲良くなってからはたまにメールとかくらいはするようになったけど、それでもゆかりの家に奈々ちゃんを招待したことは今までないし、むしろ余りに気を使われたり、ブースで二人きりとかにされると中々視線合わして話をする、なんてこともされなくて。見えない壁がある位にさえ感じていた。

 考える程にほんと「どうして?」な話のわけで。
 それに奈々ちゃんとは、一緒に作品の主人公を演じて以来、……番組収録が収録してこの半年、ゲストに行った奈々ちゃんのラジオ番組収録の1回位しか顔も合わせてない。
「確か、アルコール最近は強いほうだったよね。こんなベロベロな奈々ちゃん見るのはじめて」
 1年も続いたレギュラー番組は、でもその前にも3回、2クールでシリーズが続いたし、その後劇場版もあったから、その度にも打ち上げが催され、必ず場にはお酒も用意されていた。監督さんと並び主人公であるゆかりたちは特にグラスを回されることも当然多くなるわけで。
 けど、飲んだら大変なことになるからと遠慮せざる終えないゆかりと違い、奈々ちゃんはこの頃その味が段々わかるようになってきたと雑誌か何かに書いてあった。口にできる種類も増え、慣れてみれば結構いけるクチだったらしく、最近は飲酒もすることがあるのだという。
 けど実際今までそのシリーズ以外でも一緒の席になることはあったけど、酔っ払う、なんて姿を見た記憶がなかった。

 だから、迷惑よりも少なからずこの状況を素直に驚いているのもまた事実だった。
「私も、こんな私ははじめてかもしれないですねー」
 くてっ、と首をかしげながら、何が楽しいんだろうふにゃふにゃとした笑みをいっそう濃くしながら奈々ちゃんが言う。

「あ、でもそんなに言うほど酔ってはないんですよ?」
「はいはい」
 時計を見ると、日付的に翌日へと変わっていた。




「ゆかりさんの名前が出たんです」
「は?なんでゆかり?」
「そしたらなんだか、ゆかりさんにすっごく会いたくなって、そういう話してたら、洗面所お借りしてました」
「……えっと……?」
 ダメだ、意味がわからない。つーかやっぱりまだかなり酔っ払ってんじゃん?コレ……
 自覚あるほどしかめっ面になるゆかりに対し、やたらと奈々ちゃんは邪気のない笑顔を向けてくる。
「一応聞くけど、まだ酔ってる?」
「酔ってません」
 何故か見てるこっちが居た堪れないカンジがしてきた。いるよね、自覚ないのに真っ白だと即答する奴。
「ここは何処だかくらいはわかるよね」
「酔ってませんから知ってますよー」
「言ってごらん」
「リビングです♪
……あれ、ゆかりさん? 眠いんですか? 座ったままはキツいですよ」
 テーブルの上に転がしたままになっている走り書きのメモを睨み付ける。この場に居ない奴の替わりだった。
 なんでゆかりがこんなしょっぱい気持ちにならなきゃいけないんだー!
「うんと……あ、でもこうすれば寝やすいかも」
 天然とかそういうんじゃなしに、確実にまだ奈々ちゃんの中にはかなりの量のアルコールが残っていると思われる。
「ちょっとすみません」
 みっしーにクレームのひとつも叫びたいところであるが、まだ移動中かもしれないし、0時を廻って電話するのは許されているといっても、なんか同じこと仕返すみたいでヤだし
「……ちょ、っと、奈々ちゃん?」
 視界のすみで何かしてるなぁと思いつつも、ゆかりは絶賛みっしーへの報復方法に気をまわしていたので、奈々ちゃんをひとまず意識下へ入れないようにしていたのだが、それを見て一体なにを思ったんだか。奈々ちゃんは膝立ちでゆかりの正面へとやってくると、ソファに座ったまま身体を二つ折りにして思案するゆかりの両肩に手を置いて、ぐぐっと上半身を背もたれへ向けて押し上げてきた。
「で、これをこのまま……いや、こっちのがいいかも」
「聞けよ話」
「聞こえてますよー。で、このまま頭をもっかい倒してきてください」
「聞いてないじゃん」
「えっと、つまり、ちょっとすみません。こうしてー」
奈々ちゃんはゆかりの肩に置いてた手をそのままゆかりの首に廻してきた。
「だから何を……」
「はい、力抜いてください。でギューっと」
 全然話を聞いてないじゃん。
 面倒くさくなって、もう好きにすりゃいーじゃんと別の意味で脱力するゆかり。
 一応力加減しているんだろう、奈々ちゃんは擬音を口にしながら、ゆるゆるとゆかりに巻きつけた腕を寄せて、結果ひっぱられるカタチのゆかりの頭は、身体を半分に折り曲げてた時に近い状態にまで戻される。ただし、顔半分の隣には奈々ちゃんの顔もまた半分だけ近づいている。……何なんだ、この体勢は。
「なんなんだよぉーお前さぁー」
 ソファの上と床の上で、まるで支えあうみたいに微妙なカタチで座らされている。
「こうして寄っかかってるほうが、なんだか落ち着いたりしません?」
「……」
 うわ、なんだこいつ。
 抱え込まれてる頭の周りにある腕とか、ものすごくあったかい。お酒で血の巡りがよくなってるからだろうか。それでもこんなに熱いモンなのか?ちょっと流石に心配になってくる。
 けど元々の体温がどのくらいの奴かわからないので、どうにも目安がわからない。
 だって、
「あー……余計なこと思い出したぁー」
 こんなにべったりくっついたこと、今まで一度もなかったじゃん……ってぇ
「あーもぉぉぉー、ほんと余計じゃん、信じらんねぇ」
 意識しなきゃよかったのに、意識をさらに”意識”して、なんか無意味に熱くなってきた。

「あー……まぁ、なんつーか」
 ここでこれ以上慌ててもどうなるもんでもなし、ヘンに思われるといけないから冷静にいこう。そう決めた。うん。決めたら、色々なんとかなる気がしてきた。
「おーい? 奈々ちゃんそろそろいいー?」

 すぐ顔が横にあったけど、構わず普通の声で呼びかけてみた。
 けれど返事はなくって、代わりにゆかりの首にまわされた腕が、ぎゅっとなる。

「おーい、酔っ払い」
「……」
 微かに囁く程ではあるが、声は聞こえている。眠ってはいないようだ。
「……おーい?」
 首に回されたままにさせてる腕とは別に、近くになった身体から、ドクンドクンとリズムが響いた。めちゃくちゃ早いなと思ってたら、触れてるとこからゆかりと徐々に重なりだす。なんだ、一緒じゃん。
「すごくどきどきします……」
 ……エスパー?
「いいからもう、今日は寝ちゃいな」
「……ゃ、まだ私、何もできてないですから……」
 いつの間にか声も大分眠そうになっていて、このまま眠りの世界に落ちても可笑しくない
「腕もそろそろ外して、ベッドへ行く。ほら」
 酔っ払いだし、グズられてもどうしようもないのでさっさと寝かしつけてしまおう。ゆかりのベッドしかないけど、まぁなんとかなるか。
「直接会ったら言おうって、ずっと思ってたんです」
「はいはい、ひとまず寝て、起きたらその時聞くから」
「やっとゆかりさんに」
「何度もメールしてんじゃん」
「それじゃダメなんです」
 グズる奈々ちゃんは、でも段々と声を弱くしていった。ゆかりじゃ小柄な奈々ちゃんでもベッドまで運ぶことは難しいから、なんとかそれまで自分で意識持ってもらわなきゃ。
「はいベッド行くよ。奈々ちゃん立って」
「ゆかりさん、あのね、――」

耳のすぐ横につけられた奈々ちゃんの声は、途切れ途切れの歌になっていた。
前に会ったのは、三ヶ月以上も前で。

「………遅いっつーの…」

 腕の中で、一気に奈々ちゃんの重みが増した。どうやら目的を達して、細く繋がっていた糸がとうとう切れてしまったらしい。
「こんな自由な奴だったっけ……なんだかもう、今日は初めてづくしだなぁ」
 大きめのひとりごとを呟いた。部屋に、寝息に混じって吸い込まれてく。
面倒ごとはまっぴらなのに、回された腕だって結局首から外せてなくて重いのに、ゆかりの顔は、困ったことに笑いそうに口角をあげてゆく。
「次はちゃんと、2月に来なよ。私の、誕生日に」
 眠ってずり落ちそうだったから。
 くたりとなってる背中へはじめてぎゅっと、ゆかりのほうから腕を伸ばした。

 ――決してそれ以上の意味なんて、ないんだからなー!
 こんな、ロマンチックのようなそうでもないような、よく考えると(考えなくても)とっても残念な状況に落ち着いてしまった奴には、もったいないくらいの介抱をしてやったのだった。

fin.
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