第1話

文字数 2,000文字

俺は名無しの何でも屋。今日は朝から冷えて、鬱陶しい天気。
そんな中、チラシ配りを頑張っている。相方は大学生の利根くん。チラシはこれが初めてらしい。

持っていた束を配り終わり、段ボール箱から何度めかの束を出していると、ようやくひと束配り終えた利根くんが弱音を吐いてきた。

「俺、これ向いてないみたい……」

なかなか受け取ってもらえない、と項垂れる。

「最初は誰でもそんなもんだよ。ちょっと人通りが途切れてるし、次の電車が着くまで休憩しようか」

「え……? いいの?」

「いいのいいの」

待っているように言い、俺は近くの自販機でコーヒーとお茶を買ってきた。

「お茶とコーヒー、どっちにする?」

「コーヒーで……」

代金を出そうと尻ポケットを探っているので、奢りだよ、と言っておく。利根くんは素直に頭を下げた。

「ありがとう。いただきます」

曇り空の下、しばしの休息。黙ってそれぞれの飲み物を飲んでいる。

「はぁ……」

「だいぶ疲れちゃったみたいだね」

「疲れるほど、配れてないんだけど」

全然ダメだ、と利根くんは萎れてる。

「何でも屋さんはすごいね。あっという間に配っちゃう」

「まあ、慣れてるから」

「慣れかぁ……」

利根くんは肩を落とす。

「コツがあるんだよ」

「コツ? どんな?」

食いつきぎみに訊ねてくる。彼には向上心があるようだ。微笑ましく思いながら、自分の経験から答えていく。

「大事なのは、人の動きを読むことだ。急いでる人に渡すのは無理。あと、右手が塞がってる人は諦める。いくらチラシを差し出しても、それじゃあ受け取れないからね。わざわざ左手を出してまで受け取ってくれる人は少ない」

「そういえば……」

利根くんは、頭の中で受け取ってもらえなかった状況を再現しているようだ。

「だけど、動きを読むって?」

「その人の歩く速度と身体の向きを見る。んーと、体育でリレーしたことあるよね? バトンのやり取り」

「あるけど……」

小学生のとき練習させられた、と利根くんは思い出すように言う。

「バトンを渡すとき、受け取るとき、相手の速度に合わせなかった? あれと同じだよ。こちらからタイミングを合せるんだ。ターゲットの手の先に自然にチラシが行くようにね。そうすると、受け取ってもらえる確率が上がる」

利根くんの顔が明るくなった。

「そうか……! やっぱり何でも屋さんはすごいや。教えてもらったコツを活かせられるように、次はもうちょっと考えながら配ってみることにする」

「それと、表情だね。こういう宣伝チラシの場合、あんまり真剣すぎると受け取るほうは怖くなるから、何でもありませんよ~、良かったら見てくださいね~、みたいなゆるい笑顔で。あんまり笑顔だとそれはそれで、何だろう? って思われるから、微笑くらいがいいと思うな」

「……なかなか難しいな」

困ったように笑う。

「そうでもないよ。今くらいの表情で、もうちょっと唇の端上げて。とにかく無害であればいいんだ。一番ダメなのは仏頂面。いかにも嫌そうに配ってる人のチラシなんか、自分だったら受け取りたくないだろう?」

「あー……そうかも」

何か思い出しているようだ。うんうんと頷いている。

「あと、これも大切なことなんだけど、受け取ってもらえなかったチラシをそのまますぐ次の人に渡そうとするのはダメ。たいてい受け取ってもらえない」

「え、どうして?」

びっくりしてるけど、でも。こう説明すれば分かってもらえるだろう。

「たとえば、ある女の子がきみの友達に告白してふられたとする。そのまま引き下がるのかと思いきや、『じゃあ、利根くんでいいからつきあお?』とか言われて、きみはつき合う気になる?」

「ならない! 誰でもいいんじゃないか、その女」

憤慨してるけど、答はそこにあるんだよな。

「それだよ」

「え?」

「チラシも同じ。前の人がいらないって思ったゴミを、なんで俺に渡そうとするんだよ? って次の人は思うわけだ。だから手はいったん引っ込めて、また次の人に差し出す。そのほうが受け取ってもらいやすい」

「……」

利根くんは黙ってじっと俺の顔を見てる。

「え? 何?」

「すごい考えて配ってるんだね。このバイト申し込んだとき、担当の人が、相方はチラシ配りのプロだって言ってた。それがよく分かった」

俺、何でも屋なんだけどな。そう思って苦笑いする。

次の電車が停まる音が聞こえたので、休憩は切り上げた。チラシの束を持ち、二人して持ち場に着く。さっきより人通りが膨らんでる。これはよく捌けそうだ。

ちらっと見ると、利根くんはさっそく俺の助言を参考に頑張っているようだ。こっちも負けてられないな。そう思いつつ。

俺は秘儀・両手配りの術を繰り出した。
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