第1話

文字数 6,061文字

 警備員としての新人研修をおえて、田中博は特別介護後期高齢者養護施設に配属された
五階建てのかなり大きい施設で元々は公園であったとのこと。増える老人のために、公園
がつぶされた。
遊ぶ子どもがいないのだから仕方ないかもしれない。田中は夜の10時少し前に施設につい
た。玄関はすでに閉まっていて、中の様子は暗くてわからない。施設のまわりをぐるりと
まわっていわゆる裏口をさがす。そこが社員通用口で窓口があり、明かりがついている。
なかをのぞきこみんでみた。
 「本日よりこちらに出勤するように、会社から言われたものですが」
 受け付けに座っていた七十歳くらいの警備員につげた。
 「どうぞ」通用口のドアをあけてくれた。
 警備室は田中と同じ警備服をきた人物がふたりいた。ひとりは窓口にいてドアをあけて
くれたひと、もうひとりは奥にいて、やはり七十歳くらいであった。
 部屋は通用口に向かって小窓があり机がおいてある。そこにひとり座っていてあとは、
真ん中においてあるテーブルのパイプイスに腰掛けている。広さは十畳ぐらいか。いかに
も警備室らしくモニターが壁に装備されている。
画面は四分割になっていて、薄暗い玄関らしきところ。おそらくは地下駐車所。屋上らし
き場所。そしてこの部屋のある通用口が写っていた。田中が自己紹介すると、窓口にいる
人物が口をひらいた。
 「こちらのひとが犬山さん、おれが猫田だ。よろしくな」
犬山と呼ばれたひとが田中に向かって手招きしたので、そばによった。パイプイスをすす
められたのですわった。
 「まだ、若いね、いくつ」
 「30です」
 「おれたちの、半分以下だな」
 猫田がそれを聞いて笑う。
 「この職場はけっこうヒマだから、若い人にはつまらないとおもうよ」
 猫田もそれを聞いてうなずいている。
 「欠員がでたとかで、自分がこちらにまわされたんだと思います」
 配属命令のときそんな話をきかされた。
 「うん、やはり、年寄りが配属されると、長続きしなかったり、歳のせいで身体が弱く
なったりで、やめるひとが、続いたからな、ためしに、若いひとをよこしたのかもしれない」
 「そうかもしれませんね」
 「まぁ、いいや、仕事の説明をします」
 「はい」
 「いつもはふたり体制で見回りとかひとりでやるのだけれど、田中さんは初めてなので、
一緒にまわってみましょう」
 「はい」
 「三人いると、二人出て、ひとりは休み。今はふたりなので、休みなしで出ている」
 「けっこう激務ですね」
 「そんなことはないよ、来て、歩き回るだけの仕事だから、健康によいと思うよ」
 「巡回ってやつですね」
 「うん、簡単に仕事の説明をするね」
 「はい、お願いします」
 「夜の10時から朝の7時までが警備員の駐在する時間であとは、
 この裏口の受け付けは閉めて、用事のあるひとは、表玄関から出入りする。夜の10時
から朝の7時まで、玄関は自動的にカギがかかるので、ひとの出入りはこの通用口から
のみになる。わかったかい」
 「ええ、夜に勤務ということですね」
 「見回りの時間は夜の11時、夜中の2時、朝の4時と6時の四回で、ひとりが見回り
で、ひとりは部屋で待機。10時にきてやることは、前日からの引き継ぎ、事故などが
なかったかどうか、その日やることの確認、夜間、具合が悪そうになる利用者がいた
場合の連絡をうけてからの行動」
 「なにをするんですか」
 田中の問いに、犬山が答えた。
 「介護職員から救急車を呼んだと連絡がはいるから、玄関のカギをあけて、救命士の
ひとをまって、きたら、部屋に案内する」
 「裏口にだれもいなくならないように、ふたり体制なのですね」
「そういうことだね。だから三人必要なんだ。今までいたひとも老人だったので、
たぶん疲れたのだろうね、見回りのとき、歩くから。入ったばかりの時はそのひと
元気だったのだけれどみるみるうちに、やつれてきて、退職していまったんだ、で、
今はもう死んだらしい」
 歩き回れば元気になりそうなものなのにな。と漠然と感じた。
 そんな話しをしているうちに、時計の針が夜の11時になった。
 「それじゃ、見回りに行こうか」
 犬山が机においてあった懐中電灯の大きいものを手にとってたちあがった。田中もつら
れて立ち上がる。
 「では、行ってまいります」
 「そうだ、忘れてた」
 犬山が机にある書類が立ててあるブックエンドからバインダーを取り出した。
 「これが、チェックリストだ」
 みると、チェック項目がずらりと並んでいた。
 「消火器の前に邪魔な物はないかとか、非難通路にはなにもおいていないか、とか、
あたりまえのことが、書いてあるだけだからな、いつもは、あとで、チェックするんだ。
いちいち項目を確認してい見回っていたら、たいへんだよ。まぁ、とりあえず今回はもっ
ていくよ」
 猫田もそうしたほうがいいと言う。
 田中がバインダーをもった。犬山が猫田に挨拶をする。
 田中もぺこりと頭をさげた。
 犬山と一緒に巡回へ。
 巡回コースは決まっていて、時間もだいたい決まっている、階段で地下までおりて、
地下駐車所を見回ってから従業員用のエレベーターで屋上へ。
 「ここは、警備室のモニターに写っているし、玄関のところにも、カメラがある。 
もし、最後の玄関に着く時間にいつまでたっても姿が映らないと、携帯で
連絡が来ることになっている。あまり遅いと異常事態の発生、あるいは警備員そのものが
体調をくずした。などがあるからな」
 「ひとりで、歩いているようでも、もうひとりが常にモニターで見ているということですね」
 「そうだ」
 ふたりは地下駐車所に着いた。地下駐車所は明かりは落としてあるが、真っ暗
ではないのでまだ懐中電灯は点けないようだ。犬山が監視カメラに向かって手をふった。
 「そんなこともするんですか」
 「むかし、ある警備員が、地下でモニターに写ったあと、屋上にも玄関にも姿が見えな
かったことがあったらしい、そのひとは車の陰にたおれて死んでいたそうだ、なんでも心
臓発作とかでな。だから、まぁ、猫田さんがみているかどうか時々手をふっているよ、
おれは元気だぞって」
 「反対に、モニターの前にいるひとが、たおれていたら、いやですね」
 冗談とも本気ともとれる意見に犬山は苦笑いした。
 エレベーターで屋上につくと、ふたりは、警備用の光の強い懐中電灯を点けて、あたり
を点検した。つぎに、非常階段の戸をあけ、外側のバルコニーから、利用者さんの眠って
いる部屋を見回った。
 その際には懐中電灯の明かりを一番小さくして、なおかつ部屋には光をいれないように注意し
て見回ることと、いわれた。
 「むかしは、警備員が施設の中の廊下から、利用者さんの部屋に入って見回るなんてこ
ともしていたようだけれども、今ではご法度だよ」
 「警備員が利用者さんと接触するのよくないということらしいですよね」
 「むかし、この警備服が怖くて、死んだひともいたらしい。なんでも、なんでも万引き
でつかまったことがあって、そのトラウマで警備員が怖かったらしいぞ」
田中にはどこまで本当の話か見当もつかなかった。
 「今は入居者さんのプライバシーもかなり考慮されますから、介護の職員以外は部屋に
入ってはこまるのでしょうね」
 たとえば、スーパーなどでは制服姿の警備員が万引き抑制に一役買っているそうだが、
介護施設にはそんな必要ないだろうなと、田中は時代の流れみたいなものを感じていた。
 「警備室のモニターにも部屋はもちろんのこと、このバルコニーも写らない、だから、
われわれの姿は屋上のカメラに写ったあとは、玄関のカメラまで写らないということだ」
 「警備室のモニターにはここの場面はありませんでしたね」
 「別の施設の話なんだが、介護の職員が、利用者の爺さんが夜中うるさいってことで、
ガムテープを口にはりつけて、その際に鼻にもテープがついていたみたいで、窒息死した
ことがあって、そのときに、介護のやつが警備員がやったと言い張ったことがあったよう
だぞ、もちろん指紋とかで犯人は介護のやつってわかったのだけれど、そのうたがわれた
警備員も結局うたがわれたという理由で首になって、そのあと自殺したそうだ」
 そんな話しを小声でしながら、五階から一階までを巡回してまわり、最後に玄関をライ
トで照らしてよく見て、警備室へと戻った。
 「どうだった、何かあったか」
 猫田が真面目な顔できく。
「別に、かわったこともなく、順調に見回りができました」
 猫田は残念な感じでそうか。とだけ答えた。
 田中はその言い方に何か腑に落ちないものがあると思った
 二回目の巡回は猫田と田中で行く事になった。猫田は犬山と違って、あまり話しをしな
いタイプらしく、注意事項だけを淡々と話すくらいであった。
 三回目はまた犬山と。
 「どうだい、けっこう、退屈だろう」
 犬山がからかうように言う。
 「まだ、ぜんぜん、分かりませんよ」
 田中は各部屋を注意しながらみていた。夜中ということで、利用者さんはみなさんよく
眠っているようにみえた。
 犬山が暗い表情をした。
 「じつは、あそこのなかの何人かはもう、死んでることもあるんだぜ」
 「ほんとですか、怖いなぁ」
 犬山は声をおさえながら、ひくひくと笑った。
 「いやいや、これは冗談。実際にここで死なれると、警察が検視にきたりたいへんだか
らな、予兆みたいのが、あったら、すぐに救急車だよ」
 「夜、寝られずにおきている利用者さんとか、いますかね」
 「それは、まず、いないなぁ、寝そうにない利用者さんには、介護のひとが昼間話しか
けたり、歩かせたりして、疲れてねむるようにしているみたいだ。おれは起きている利用
者はみたことが、ないな」
 「薬をつかって眠らせるとかあるのですか」
 「どうかな、あばれるようなひとには、看護士さんが使うかもしれないが、詳しくは知
らないし、知る必要もないね。あくまで、われわれの仕事は警備だからな、あまり色々と
考えないほうがいいよ」
 そうか、警備だということを忘れないように、異常があったときだけのことを考えたほ
うがよさそうだ。
 そして、最後の巡回は猫田と行く事になった。あまり話しをしない猫田であったが、田
中は気になる事があったので、各階を見回ったあと、玄関につくと猫田にはなしかけた。
 「犬山さんは気付かないみたいでしたけれど、猫田さんは知ってましたよね」
 「何がだ」
 「五階の真ん中あたりの部屋の利用者さんが、ひとりだけベットのわきにたっていたこ
とをですよ」
 猫田はなにも言わない。
 「猫田さんもちらっちらっと、見ていましたよねあの利用者さんを。だってずっと立っ
ているんですよ」
 「そうか、あんたも見えるひとか」
 「見えるひとって、どういう意味ですか」
 「あれを、おれは死神だと思っている。あの利用者さんのところにも死神がきたんだ。
たぶんまもなく、つれていかれるんだろう。死神に。実は何回かみた事がある、死神が立
っているのを。あとから聞くと決まって、そのひとは亡くなっていた。犬山さんには見え
ないようだ。だが、あんたとおれには見える」
 「そんなぁ」
 「あんたの、前任者もうっすらと見えたようだ、うっすらだったのが災いして、あいつ
は幽霊をみたと言っていた」
 「猫田さんはなんて、答えたんですか」
 「おれにも、見えるとかいうと、パニックに陥りそうだったので、おれには見えないと
ウソをついた。そのせいで、やつは、自分だけに見える、自分だけがおかしいと、考えた
のだろうな、やはり辞めてしまったよ」
 「死んだそうですね」
 「そんな話を噂できいた。おれは後悔したよ、おれにも見えるといっておけば別の道が
あったかもしれない、それで、あんたはどうなのか気になっていた」
 さきほど、猫田がざんねんそうだったのは、これだったのか、田中もみえないひとと思
ってがっかりしていのか。しかし、実は田中もみえるひとだった。それもかなりはっきり。
 「黙っていることだ、見えたって、別にこっちが困ることはない、黙っていることだ」
 猫田がだれにともなく、つぶやいた。自分自身にも言い聞かせているようにもとれた。
 もし、死神だとしたら、本人にそっくりなんだなと、田中は考えた。最後の巡回のとき
よくよく目をこらして見てみた。はじめ立っているのはその人なのかとおもったのだが、
ベットに同じ顔をした老婆が寝ていたのだ。ライトを当てることはできなかったが、月明
かりでも充分にその顔をよくみることができた。
 つぎの日いくと、今日も猫田と犬山がいた。猫田が近づいてきて、そっと耳打ちをした
 「知り合いの職員にきいたら、やはり、あのおばあさん、昨日亡くなったそうだ」
 田中はこの仕事を続けるかどうか、迷いはじめた。
 「それじゃ、今夜一回目の見回りは、ひとりでできるよな」
 犬山が提案した。
 「はい、だいじょうぶです」
 ひとりでは、怖いなどといったら、どんだけ笑われるかわからない。今夜はだれもいま
せんように、と思いながら、田中は五階のバルコニーへと向かった。
おそるおそる、最初の部屋をのぞくと、全員が立っていた。立ってベットに寝ている自分
とそっくりな顔を見つめている。
 田中は走って、四階へと駆け降りた。四階の部屋も五階の全部の部屋と同じように、全
員が立っていた。三階も二階も一階も
 全部の部屋の全員が立ってベットの自分を見つめている。
 田中は、気も狂わんばかりになって、警備室に飛び込んだ。猫田と犬山も立っていた。
猫田に向かって、叫ぶように言った。
 「全員立っています」
 「だれに、話しかけているんだ」
 犬山の声がした。みると、もうひとり犬山がパイプイスに腰掛けている、となりには、
唖然として、立っている
 猫田を見つめる猫田の姿が。
 あれはもしかしたら、自分自身をつれていく、自分の姿をした死神。おれは、おれは、
田中は部屋中を見渡したが、いない。おれはいない。なんでだ。
 その途端、床がすさまじいいきおいで揺れた。

 東京を襲った震度7の大地震は一夜にして、東京を壊滅状態に追い込んだ。死者の数は
膨大であった。
 今、田中は粗末なベットに並べられてるように横たわっていた。なんとか意識はあった。
医療機関も正常ではない現在、田中も自分のことがよくわかっていた。
 田中はじっと、自分のベッドの端を見つめていた。
 「おれは、包帯でぐるぐる巻きなのに、立って自分をみつめている自分は警備服なんだな」
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