第1話

文字数 1,935文字

「課長、祖母が心臓の手術をすることになったので来週休暇を取らせてください」
 亀山さんが、そう深々と頭を下げると、課長は目も合わせることなく一言。
「あっそ、おばあさんお大事にね」
「課長……ひどい。いくらなんでもあんな態度とることないのに。大事な家族の手術に立ち会うのがそんなに悪いこと? 1日くらい亀山さん休ませてあげたらいいのに」
 自分のデスクから様子を見守っていると、先輩がカラカラと笑った。
「あなたはまだ入社したばかりだもんね、知るわけがないか」
「どういうことですか?」
「亀山くんのおばあさんね、二か月前にも手術してんのよ。そのときは肺だったかな。確か四か月前は大腸、半年前がすい臓、それからねぇ……」
「えっ? それって――」
「おっかしいでしょ? おばあさん手術するところがなくなっちゃうっての。ダルくて休みたいならもっと他に理由考えりゃいいのに」
 でも、亀山さんのあの不安げな表情。とてもウソをついているとは思えない。
 亀山さんは私より三つ上の26歳の総合職。
「どうしたの? 分からないことがあったらいつでも聞いてね」
って、まだ仕事に慣れない私にいつも声をかけてくれて、質問にもすぐ答えてくれる頼れるお兄さん的存在。チコクも無断欠勤もしたことないし、終業時間にはきちんと仕事を終えて帰る。あんなにマジメで優しいひとが言い訳なんてするのかな?
 それから、二週間後のこと。
「すみません、また祖母の手術があって。術後のリハビリもあるからしばらく休ませてほしいんですけど……」
「いいかげんにしろよ、お前。いつまでもそんな言い訳が通用すると思うか」
 課長がいら立つと、亀山さんは顔色を変えた。
「ウソなんかじゃありません。僕は幼いころ両親に先立たれて、それからはずっと祖父母と暮らしてたんです。とくに祖母はいつも僕に優しくて、祖父が亡くなってからは、二人でいつも助け合ってがんばってきたんです。今の僕には祖母のいない人生なんて考えられないんです!」
「勝手にしろ!」
 課長に叱責されたあと、亀山さんはひと目もはばからずに泣いていた。そして、まもなく亀山さんは会社を休んだ。
「もう有休なんて残りわずかよ。欠勤も覚悟なのかしらね。このまま会社辞めちゃったりして」
 先輩はそう言うけど、あのとき、亀山さんが必死に語っていたおばあさんへの思い。
 やっぱり私にはウソだなんて信じられないんだけど……。
 ところが、数日後の夜のこと。
 「わあ、今夜はなんだか混んでるな」
 いつもの帰り道は多くのひとでごった返している。どうも近くのイベントホールからの帰りらしい。
「あれ?」
 人ごみのなかに見慣れた顔を見つけた。
 亀山さん! そのとなりには……女の人。
 私と同い年くらいで、きゃしゃな体にひまわりの柄のワンピースをまとったその人と仲良く手をつないで歩いてる。
 なんだ……あれだけ祖母の手術が、なんて言っておいて、ちゃっかり彼女とデートしてるんじゃない。結局、先輩の言うとおりだったか。私、男見る目ないなぁ〜。
*
*
*
「どうだった? 今日のコンサート。いっしょに行ったの久しぶりだよね」
 僕がそう言うと、彼女はにっこりとほほえんだ。
「楽しかったー! 連れて来てくれてありがとうヒロくん。ああ、あたしまだ信じられない。こうやってまたヒロくんといっしょに手をつないで歩けるなんて。なんだかヒロくんが小さいころのこと思い出しちゃう」 
 はにかむ横顔は、まるであどけない少女のよう。
「あのときはいつも手をつないでたよね。保育園での帰り道。夕焼けに照らされた歩道を歩きながら、いっしょに『赤とんぼ』歌ったよね」
 ずいぶん昔のことなのに、今でも昨日のことのようにはっきりと覚えてる。
「そうそう。あんなに小さかったヒロくんが、今こんなに大きくなったなんてねぇ。そうだ、会社のほうはどう? ずいぶんと休んだんでしょう? 会社のひとたち、怒ってない?」
 不安げな彼女に、僕は小さく首を振り、
「確かに迷惑はかけちゃったけど、きっとすぐに分かってもらえるよ。僕がばあちゃんのことどれだけ大事に思っているか」
 と、彼女の顔をまっすぐ見つめた。
 ああ、よかった。この優しい目元は変わらないままだ。他はいろいろ変わってしまったけれど、なに一つ後悔なんてしていない。
「最後の手術が終わりました。これで、全ての臓器、肉、骨、血液……すべてが新しく生まれ変わりました。これでまたご家族仲良く末永く暮らせますよ、よかったですね。亀山さん」
 日本人初の「人体再生手術」は無事成功したと、先生は太鼓判を押してくれた。じきに新聞にも取り上げられるのだという。
 僕はばあちゃんが大好きだ。ばあちゃんのいない人生なんて絶対に考えられないんだ。
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