第1話

文字数 1,102文字

 私は、母のお腹の中にいる時から教会に通っていた。いわゆるクリスチャンホームで生まれた。そして私の父は牧師だった。小学校一年生の頃、「自分は神様を信じています。」ということで洗礼を受けた。信仰告白も書き、教会員の前で読んだ。純粋な心で神様を信じていた。何もかも新鮮で何もかも美しく見えた。小学校三年生ぐらいの時に、自分と他の人との違いに気付いた。そう、他の人はノンクリスチャン、僕はクリスチャン。この違いが私を苦しめることになる。
 私の父は冷たい人だった。息子よりも神様を大事にし、私とのふれあいは二の次だった。私の母は、厳しい人だった。有名な大学を卒業した母は、誰よりも勉強と聖書を愛していた。そのせいか小さい頃から私は、ひたすら勉強と聖書を学んだ。これにより、日曜日には外出はもちろん運動会にも行けなかった。また、学校から帰っても夜遅くまで勉強しなければならなかった。このような小学校時代を過ごした私の心の奥底には、密かにストレスと憎しみと怒りが溜まっていった。そんな私に親はよくこう言った。「神様はあなたを愛しておられる。」と。私はそんな親が大嫌いだった。もちろんその親が教えている聖書も大嫌いだった。
 そんな私に変化が起きたのは、中学校三年生の頃であった。反抗期真っ只中である。私は親の教育に反抗し始め、教会に行かなくなった。毎日、親と喧嘩し家出もした。そんな私を見て、姉は言った。「あなたが母さんや父さんを嫌う気持ちは分かる。母さんと父さんは、嫌われる程の事をあなたにしたから。でもなんであなたは神様も嫌うの?神様は、あなたに何もしてないじゃん。大体、あなたは神様のこと全然知らないでしょ。神様の気持ちとか愛の大きさも。」と。そして私の机に聖書を置いて、いなくなった。私は呆然としてしまった。そして恥ずかしくなった。姉に何も言い返すことができない自分の心が、自分の姿が。
 そんな事があってから私は、真剣に聖書を読み始めた。「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。(ヨハネの黙示録三章二十節)」この聖書箇所は、私がいちばん最初に覚えた聖書の言葉であり、私にいちばん大きな影響を与えた言葉だ。閉じ籠っていた私に、新たに踏み出す勇気と力を与えてくれた神様の力を感じた。私は聖書のおかげで神様を、自分を、家族を愛することができた。みじめで愚かで弱いそんなクソみたいな私に愛をくれたのだ。だから私は聖書が好きだ。愛を与えてくれた聖書に、いや神様に今度は愛を返して生きたい。
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