第1話

文字数 1,997文字

 インターホンに呼ばれてモニターを覗くと、眼鏡をかけたおばさんが映っていた。花柄のブラウスに地味なカーディガン。いかにもな格好だ。
 無視しようか。一瞬迷ったが、また後で来られても面倒だと、俺は通話ボタンを押した。
「──はい」
「あなたは幸せですか?」
 すかさず飛んできた言葉。典型的な宗教勧誘だ。こういうのを黙らせる必殺技を、俺は知っている。
「はい、とても幸せです」
 では、と俺はモニターを消すボタンに指を置いた。
 画面のおばさんは鞄を漁っている。どうせパンフレットだけでも見てほしいと、ポストに入れていく気だろう。
「そういうのは要らないんで、十分幸せですから」
 ところが、おばさんが鞄から出したのはスマホだった。少し画面を触って、その画面をカメラに向ける。
 そこに映っていたのは、俺のSNSのアカウントだった。
 俺は心の底から驚いた。
「……何で、それを……」
 ゲーム繋がりの趣味垢。他愛のないゲームの話題や、仕事の愚痴なんかを呟いている。リアル人間関係に趣味がバレるなど、公開処刑にも等しいから、誰にも教えていない。それを、なぜ、このおばさんが……!?
 画面の中で、おばさんはにこやかに言った。
「あなたは幸せですか?」
 返す言葉がない。上司の悪口や後輩イジりも、かなりな頻度で呟いている。とても幸せには見えないだろう。
 おばさんは再びスマホを触った。そして再びこちらに向けた画面には、違うアカウント。
 ……ゲーム垢の気に入らないフォロワーへの毒を吐く、裏垢。
 ゲーム垢のフォロワーにさえ教えていない。同一人物だとバレないように、細心の注意を払っていたはずだ。
 それなのに、なぜ……!?
「おまえは誰だ!? なぜ俺のアカウントを知ってる?」
「神様は、全てを見ておられますよ」
 笑顔を崩さず、おばさんは言った。
「あなたは幸せですか?」
 発狂寸前だった。
 何だこいつは!? 何の目的で俺のところに来た!?
 おばさんは俺の焦りを無視して、またスマホを触る。そして向けられた画面に、俺は失神しそうになった。
 バレたら即ち社会的な「死」を意味する、特定のジャンルのみをフォローした、誰にも公開していない、鍵垢。
 その画面を見せながら、おばさんは言った。
「神様は、全てを見ておられますよ」
 言葉が出ない。どうしていいか分からない。目眩でくらくらする画面の中で、おばさんは再び口を動かした。
「あなたは幸せですか?」
「うわああああ!!」
 無茶苦茶に叫んで、インターホンを力いっぱい叩く。プツンと消えたモニターを背に、俺はベッドへと走った。頭から布団を被る。全身汗だくだが、暑い訳ではない。むしろ、ガタガタと震えるほどに、血液が恐怖で冷え切っている。
 あいつは何者だ? なぜ俺の全てを知っている? 何の目的で俺のところに来た?
 答えの出ない疑問がぐるぐると頭を巡る。心臓が苦しい。助けてくれ……!
 救いを求め、俺はスマホに手を伸ばした。そして、見慣れたSNSの画面を開く。
 この向こうには、この恐怖を分かち合える人が沢山いる。しかし、さすがにそれはできない。
 俺は新たにアカウントを取得した。そして、叫ぶように呟いた。今あった出来事を。
 知らない人でいい。反応がなくても構わない。誰かの目に止まりさえすれば、この恐怖は和らぐ気がした。
 ところが、「送信」ボタンを押して間髪入れずに反応があった。リプライが自然と目に入る。それを見て、俺はスマホを投げた。

『神様は、全てを見ておられますよ』

 無茶苦茶に叫んだ気もするし、そのまま意識を失った気もする。
 気が付くと朝だった。
 出勤しなければ。しかし、扉の向こうにあのおばさんがいる気がして、どうしても動けない。
 仕方なく、俺は会社に電話をした。上司の反応は、まるで全てを知っているかのような、あっさりとしたものだった。
 もう会社になど行けない。家からも出られない。俺は病んだ。

 欠勤している事が、両親に伝わったようだ。心配して見に来た両親に事情──SNSのアカウントを知る、見ず知らずのおばさんが来た、としか言えないが──を話し、実家に戻る事にした。
 会社を辞めた。ゲームも、SNSも、全てのアカウントを消した。
 もうこれ以上、あいつと関わる事はない。
 俺は少しずつだが、外に出られるようになった。

 俺を心配して家を空ける事がなかった母親も、俺の様子に安心して、仕事に復帰した。
 仕事を探さなければという焦りはあるが、安心して生活できる環境というのはこれほど貴重なものかと、心の底から思った。
 家にひとり。就職サイトを眺めていると、インターホンが鳴った。宅配便か? 何気なく出てしまったモニターの中に、あのおばさんがいた。

「あなたは幸せですか?」

 
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